太田述正コラム#10748(2019.8.19)
<三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』を読む(その111)>(2019.11.7公開)

 それと同じような現実は、2014年に、勃発後100年を迎えた第一次世界大戦後の国際政治にも見られました。
 大戦前の英国を主軸とする覇権構造の解体とそれに伴う国際政治の多極化があったのです。
 それを促進した最大の要因は、第一次世界大戦とともに始まった世界的規模に及ぶ経済的文化的変容、すなわちアメリカニゼーションでした。
 当時すでにアメリカニゼーションは経済的文化的変容に止まらず、政治的変容をもたらす要因としての大きな可能性を孕んでいました。<(注143)>

 (注143)Americanization。20世紀初から第一次世界大戦中にかけて米国で盛んであったところの、移民同化・・米国の価値観、信念、および習慣を共有させる・・のための諸活動。
https://www.britannica.com/topic/Americanization
https://en.wikipedia.org/wiki/Americanization_(immigration)
 「・・・「アメリカニゼーション」という<日本で使われている(太田)>言葉は、過去の米国史における移民の同化過程でみられた古臭い概念のように見えながらも、現在でも新たな意味で再浮上しています。
 <すなわち、>米国が外国を占領や植民地化するなどして「アメリカニゼーション」を進めた事例(日本、フィリピンなど)・・・」
http://www.cpas.c.u-tokyo.ac.jp/research/kani.html

⇒ここは、三谷が「注143」で紹介したAmericanizationと表見的には同じ言葉だが事実上和製英語であるところの、アメリカニゼーション、とを混同するという、完全なる勘違いをしているとしか思えません。(太田) 

 その衝撃は各国の内政や外交、さらに国際政治にも及んだのです。
 日本の「大正デモクラシー」などは、その一つの事例として理解することができます。
 「大正デモクラシー」は日本一国に限られたローカルな政治現象ではなく、当時の世界的なアメリカニゼーションの日本における露頭とみなすべきです。

⇒いずれにせよ、「当時」、「世界的なアメリカニゼーション」など存在しませんでした。
 もとより、「第一次世界大戦・・・後の<米国>は世界最大の債権国に転じ、ニューヨークがロンドンと並ぶ国際金融市場になった。また、文化面では巨大な生産力を背景に大量生産・大量消費に基づく<米国>的生活様式を生み出し、映画・ジャズ・プロスポーツに代表される、大衆文化と呼ばれる新しい文化が誕生<し、この米国発>の大衆文化は1930年代にはいり西欧や日本にも定着した<が、>国際政治に関しては、孤立主義を唱える共和党・・・の大統領が続き、<米国>はアメリカ大陸外への政治関与には消極的であった<ため、>国際政治面では・・・世界の中心的存在にならなかった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%8A
という史実はあったわけですが・・。(太田)

 「大正デモクラシー」<(注144)>といわれる場合の「デモクラシー」とはイギリス英語をはじめ一般的な英語ではなく、アメリカ英語の「デモクラシー」でした。

 (注144)「デモクラシー」なる言葉の出現:「経国美談(1883‐84)〈矢野龍渓〉前「正党は旧来現在の政体を維持して尚ほ一層人民に政権(デモクラシー)を与へんと欲す」」
https://kotobank.jp/word/%E3%83%87%E3%83%A2%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%BC-101525
 「デモクラシー」ならぬ「大正デモクラシー」は「信夫清三郎(信夫淳平三男、歴史学者)が1954年(昭和29年)に自著『大正デモクラシー史』でその呼称を提唱して以来、定着した語である。ただし、その定義や内容も曖昧であることや、大正年間が始まる前からの動きであると見る点から、江口圭一、井上清、伊藤隆などこの語句を不適当であると否定する歴史家も存在する。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E3%83%87%E3%83%A2%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%BC
 「民本主義を最初に唱えたのは、当時東京帝国大学教授・・・の吉野作造であった。彼は1916(大正5)年に発表した論文で、民本主義を正面から打ち出したのであるが、そこでデモクラシーと民本主義の関係を次のように述べている。
 彼はまずデモクラシーは2つのちがった意味に用いられているという。その1つは「国家の主権は法理上人民にあり」という意味であり、この場合には「民主主義」の訳語をあてるのが適当である。しかし、デモクラシーには「国家主権の活動の基本的な目標は、政治上人民にあるべし」つまり人民の幸福を増進することが、主権を行使するにあたっての基本的目標でなければならないという意味もあり、この意味でのデモクラシーを、いちばんよく表している用語が民本主義だというのである。
 吉野は、この「民主主義」の意味でのデモクラシーは、日本に通用しないが、君主主権と衝突しない「民本主義」の意味でのデモクラシーは、日本でも政治上の基本原則にしなければならないというのであった。」
http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/30_area/1_3.html

⇒「古代ギリシアのテーベの興亡を題材として成立した『経国美談』」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E9%87%8E%E9%BE%8D%E6%B8%93 前掲
の中で、「デモクラシー」なる言葉を日本で最も早く用いた一人であった矢野が、イギリスの国制に倣った憲法策定を提言したということは、この言葉が、三谷の指摘とは逆に、「イギリス英語をはじめ一般的な英語で」あって、「アメリカ英語の「デモクラシー」」ではなかった、ということを示しているのではないでしょうか。
 矢野自身が既にそうだったと想像されるけれど、「注144」で紹介したところの、吉野の、民本主義なるデモクラシーの縮小的訳語、が示唆しているように、戦前の日本人が日本の政治を論じる時に民主主義の韜晦語として用いたのがデモクラシーであった、というのが私の(これも常識的な)見解です。(太田)

(続く)