太田述正コラム#10792(2019.9.10)
<サンソム『西欧世界と日本』を読む(その15)>(2019.11.29公開)

 「・・・江戸文学自身の功績についてはほとんど意見を述べる価値がない。
 われわれの江戸文学に対する興味は、社会現象としてのものであり、稀にはある種の技巧を弄した(ソフィストケイテッド)冗舌や、衰弱させられた優雅さにさえ、欠けていたわけではなかったが、(重要だが)数は僅かしかない例外を除けば、江戸文学は根本的に卑俗であり、悪い趣味と乏しい内容をもつ文学だったのである。
 「浮世」(Floating World)を書いた文学は、これを描いた絵画に驚くほど劣っていた。・・・

⇒ここは、サンソム、歴史学者であることを忘れたかのように、自分の個人的な好き嫌いを露骨に出し過ぎています。
 すぐ思いつくだけでも、実話を脚色した近松門左衛門作の『心中天網島』は映画化も漫画化もされている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E4%B8%AD%E5%A4%A9%E7%B6%B2%E5%B3%B6
ところ、このような人形浄瑠璃だって立派な文学ですし、同じく実話を脚色した井原西鶴の浮世草子の『好色五人女』も映画化も漫画化もされています
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%BD%E8%89%B2%E4%BA%94%E4%BA%BA%E5%A5%B3
し、更には、完全フィクションの曲亭馬琴の読本『南総里見八犬伝』に至っては、次から次へと、歌舞伎化、近代演劇化、映画化、TVドラマ化、翻案小説化、漫画化、ゲーム化、され続けています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E7%B7%8F%E9%87%8C%E8%A6%8B%E5%85%AB%E7%8A%AC%E4%BC%9D
 これらの作品が、「悪い趣味と乏しい内容をもつ文学」であったならば、それだけ長期にわたって人気を保ち続けるはずはありませんし、だからといって、これらが、「数は僅かしかない例外」であるはずもまたありません。
 挙げればきりがありませんが、例えば、井原だけでも、その処女作たるフィクションの浮世草子、『好色一代男』、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%BD%E8%89%B2%E4%B8%80%E4%BB%A3%E7%94%B7
や、別の作家なら、上田秋成による、支那の白話小説の翻案によるところが大きいとはいえフィクションの読本、『雨月物語』、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A8%E6%9C%88%E7%89%A9%E8%AA%9E
がすぐ思い浮かびます。
 『好色一代男』は「有り体に言ってしまえばポルノグラフィである」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%BD%E8%89%B2%E4%B8%80%E4%BB%A3%E7%94%B7 前掲
ことから、ヴィクトリア朝的な謹厳実直な紳士だったとすれば、サンソムには、ことのほかお気に召さなかったのかもしれませんが・・。(太田)

 大都市の生活に占める放蕩者の行く場所<(遊里)>の重要さが、強調されすぎやすいことはいうまでもない。
 なぜなら有徳の市民の行状は、記録されずに進むからである。
 当時の作家たちの興味をひいたものは、事物の表面だけであった。
 ヨーロッパ文芸批評の用語を用いるのには注意が要るが、町人文学が「写実主義(リアリズム)」に支配されていたといっても、さほどまちがいではない。

⇒「当時の作家たち」は「町人文学」者だけではない・・「「浮世」・・・を書いた文学」だけではもちろんありません・・ので、ここでのサンソムの主張は、「当時の作家たち」の作品全般を対象としたものではなかったのかもしれませんが、江戸時代に限らず、日本には、欧米におけるように、宗教やイデオロギーが人々の日常生活にも強い影響を及ぼすようなことが基本的にはない、という意味では「作家たちの興味をひいたもの<が>事物の表面だけであった」ようにサンソムには見えた、ということでしょうね。(太田)

 この点で、町人文学は明らかに、都市にあっては現存秩序に対する満足の形をとっていた当時の気分に一致していた。
 町人は一般に繁栄しており、その生活水準は高く<(注18)>、しかも幾分は尊敬のそぶりを見せざるを得ないにせよ、実は貧窮している武士階級を見くだすだけの余裕をもっていた。

 (注18)無宿(無宿者)について、「江戸時代、欠落(かけおち)、勘当(かんどう)、追放刑などにより、人別帳(にんべつちょう)(戸籍)から記載を削られた者を総称していう。宿とは住所を意味し、無宿とは定住の場所をもたぬ者のことであり、帳外(ちょうがい)(ちょうはずれ)ともいった。出身の国または町名を冠して常州無宿、浅草無宿というようによぶ。江戸中期以降増加し、天明(てんめい)の飢饉(ききん)以後激増した。とくに江戸では、周辺諸国から離村した貧窮農民が流れ込み治安を脅かした。幕府は無宿の横行に手を焼き、追放刑を制限する一方、これを捕らえて佐渡金山の水替人足(みずかえにんそく)に送り、また江戸の石川島に人足寄場(よせば)を設置して更生を図った。」
https://kotobank.jp/word/%E7%84%A1%E5%AE%BF-140476
から窺えるように、確かに、江戸は「繁栄しており、その生活水準は高」かったのだろう。
 但し、それが、つつましくささやかな繁栄であり生活水準であったことが、下掲から分かる。↓
 「江戸庶民の生活」
http://www5e.biglobe.ne.jp/~komichan/tanbou/edo/edo_life_1.html

 当時は、人々が事物の表面より裏面まで洞察しようと努めるような疑惑と困難に満ちた時代ではなかった。
 市民たちはすべて現在に生き、町のその日その日の生活にしか興味を抱いていなかった。
 それこそ実に、「浮世」<(注19)>の意味するところのものだからである。

 (注19)「憂き世(つらい世の中)と浮世ふせい(はかない世の中)の二つの意味が重なり合った語」
https://kotobank.jp/word/%E6%B5%AE%E3%81%8D%E4%B8%96%E3%83%BB%E6%B5%AE%E4%B8%96-209367

⇒サンソム、どうやら、「浮世」の意味を勘違いしていたようですね。(太田)
 
(続く)