太田述正コラム#10337(2019.1.26)
<2018年度八幡市セミナー2回目次第等/皆さんへの問いかけ(コラム#10251)について(その1)>(2019.12.18公開)

           –2018年度八幡市セミナー2回目次第等–

八幡市の生涯学習センターは、見た目、前回と同じくらいの聴衆数でした。
 40分程度でレクを切り上げ、後は質疑応答。
 比較的若い人からの質問もありました。(但し、男性。)
 終わってから、JRの長岡京駅まで送ってもらいました。
 駅のホームに降り立ったら、急に大雪になり、この雪とは関係ないのですが、人身事故の影響で電車が遅れ、私がやっと乗った普通電車が予定が変更され、次の快速電車に抜かれることになり、抜かれる駅でそちらに乗り換えるべきであったところ、六甲道・・「ろっこうどう」じゃなく「ろっこうみち」なんですね・・駅に快速が止まるかどうかわからなかったので乗り換えないでいたところ、今度は、西明石行きだったのが宝塚線行きに変更されましたというアナウンスが流れ、何となく、神戸、従ってその手前の六甲道に行けないんじゃないかという気がし・・正しかったことが後で判明・・、大阪で(切符が何度でも乗り降りできる切符だったので)改札を出て、歩き回り、駅ビルの一つの上の方の飲食店街を見て回ったりし、再びJRに、今度は快速が六甲道に停まることを確かめた上で神戸方面行の快速に乗ったのでした。
 未来都市のようであった大坂駅周辺・・私の選挙の時に訪れた梅田周辺の面影は全く残っていませんでした!・・とは全く違った、こちらの方はかって知ったる素朴な六甲道駅周辺のままでしたが、相当離れている宿舎のホステルまで、スマホに頼ることなく、山勘だけで、一発で到着、改めて食い物探しに道を引き返し、大衆フランス料理屋と持ち帰り洋食屋のどちらにするか迷いに迷った挙句、コストパーフォーマンスに軍配を上げて後者(ビーフシチュー的料理で、方や単品で2480円(税抜きか)v.方やご飯付きで800円(税込み))にし、宿で食べました。
 甘ったるかったけど、まあまあでしたね。
 その後が、ツイッターに書いたようにさんざんでしたが、何年振りかに(超ミニながら)、上記のように観光ができた、という次第です。
 で、宿のホステルですが、一番安いオプションにした・・一泊税込み2800円・・ところ、二段ベッド8組で16人が泊まれる大部屋なのに、私ともう2人の計3人だけのようです。
 土曜日だというのに、なんでこんなにガラガラとは・・。
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–皆さんへの問いかけ(コラム#10251)について(その1)–

1 始めに

 以下に書いたことは、あくまでも、私による解答であって、何度も申し上げたように、これ以外の解答がありうることを否定するものではありません。
 私による解答ですが、それは、一言で言えば、幼児度の違い、です。
 しかし、「幼児度」ですと、自己卑下したようにも見えますし、AさんやBさんをディスったようにも受け止められかねないので、もう少し、あたりが柔らかい、というか、中立的な、表現である、「おさなご度」、を使おうと思います。
 さて、私の気持ちの中では、おさなごを象徴するものは、まっさらであること、と、好奇心の塊であること、です。
 で、それぞれについて、少し掘り下げてみたいと思います。
 
2 躓き

 掘り下げようとして困ったのは、私にとっては意外でしたが、おさなごが「好奇心の塊であること」を学術的に紹介、説明したものどころか、とっかかり的なものすら、ネット上で発見することが容易ではなかったことです。
 ようやく、とっかかりを一つ見つけたと早とちりしたのが、下掲の詩の第5行です。
 
 「・・・くまのプーさんの原作者の  A A  ミルンの詩 (訳 周郷 博)
「6つになった 」
1つのときは なにもかも はじめてだった。
2つのときは ぼくはまるっきりしんまいだった。
3つのとき  ぼくはやっとぼくになった。
4つのとき  ぼくはおおきくなりたかった。
5つのとき  なにからなにまでおもしろかった。
今は6つで  ぼくはありったけおりこうです。
だから いつまでも 6つでいたいと ぼくはおもいます。・・・」
http://blog.asobigocoro.com/?p=3209

 私は、この詩こそ知りませんでしたが、ミルン(注1)については、(皆さんの多くもそうだと思いますが、)よく知っていました。

 (注1)Alan Alexander Milne(1882~1956年)。「子供時代、<SF作家として有名な>ハーバート・ジョージ・ウェルズに教えを受け、大きな影響を受ける。パブリックスクールのウェストミンスター・スクールおよびケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで学び、学生時代から学内誌に詩や随筆を投稿し、作家を志す。大学在学中から英国のユーモア誌『パンチ』に投稿し、後には編集助手となった。その後、作家として独立。1913年、ドロシー・ド・セリンコート(ダフネ)と結婚。1920年、1人息子、クリストファー・ロビン・ミルン(1920年8月21日~1996年4月20日)が生まれる。かの有名な『クマのプーさん』はクリストファーのために書かれた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/A%E3%83%BBA%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%B3

 私としては、この詩の、「5つのとき  なにからなにまでおもしろかった。」がそれだ、と喜びました。
 ところが、です。
 原詩にあたってみてガックリです。↓

When I was One,
I had just begun.
When I was Two,
I was nearly new.
When I was Three
I was hardly me.
When I was Four,
I was not much more.
When I was Five,
I was just alive.
But now I am Six,
I’m as clever as clever,
So I think I’ll be six now for ever and ever.
https://en.wikiquote.org/wiki/A._A._Milne#Now_We_Are_Six_(1927)

 ’I was just alive.’は、「5つのとき ぼくはやっとのことでいきていた。」と訳さなきゃいけません。
 どうも、本件、最初から誤訳問題につきまとわれていますね。
 何度も注意喚起していることですが、翻訳本(だけ)を読んで分かった気になるのは危険極まりない、ということです。

(続く)