太田述正コラム#9842005.12.4

<黒人とイスラム教徒の悲劇(その1)>

1 初めに

「移民の貧困と失業には根本的原因があるのであって、米国で1960年代以降にとられてきたアファーマティブアクションを含む抜本的な差別対策が、黒人の貧困と失業の根本的原因を解消できなかったように、・・フランスでも移民の貧困と失業の根本的原因は解消できないだろう」と以前(コラム#953で)申し上げたところです。

 それがどうしてなのか、もう少しかみ砕いて説明しておきましょう。

2 米国の黒人の悲劇

 1955年に、アラバマ州モントゴメリーで、当時42歳だった黒人女性のローザ・パークスRosa Parksが、バスの白人専用席(注1)にあえて座ってつまみ出されたことに抗議して、黒人によるバス・ボイコットが始まったことがきっかけとなって、黒人差別撤廃運動が盛り上がり、翌1956年に米最高裁で、バスの座席の白人・黒人分離は違憲であるという判決が下され、1960年代には一連の公民権法案が米議会で採択されて黒人差別が法的には撤廃され、黒人を対象に様々なアファーマティブアクションもとられ、黒人の、政治を含む様々な分野への進出が果たされました。過渡期の1960年代に頻発した都市黒人暴動も、今ではすっかり影を潜めています。

 (注1)南部の様々な州で、バスの座席が分けられていた他、白人の子供を連れた召使いとして以外は黒人が入れない公園があったり、黒人が入れる公園でも水道の蛇口が分けられていたり、白人専用のレストランがあって黒人は裏口からの料理の注文・テークアウトしか許されなかったり、映画館で席が分けられていたり、ありとあらゆる分離政策がとられていた。

 

こうして黒人差別撤廃に多大な貢献をしたローザ・パークスは、今年10月に永眠し、異例にもワシントンで国葬がブッシュ大統領も出席して11月に執り行われました。

しかし、パークス自身、デトロイトに移り住んでから入っていた借家の家賃は教会が代納を続け(途中から家主は彼女の家賃を免除した)、遺産は皆無であったことに象徴されているように、平均的黒人の境遇は決して改善されていません。

 米国で1959年には貧困ライン以下の黒人は半数以上であったのに白人は五分の一に過ぎなかったのに対し、現在では、貧困ライン以下の黒人は四分の一、白人は十分の一に過ぎないのですから、米国全体が豊かになった程度には黒人も豊かになったけれど、白人と黒人の豊かさの差は余り縮まっていません。 黒人の失業率が白人の二倍にのぼる、という状況も、1972年からずっと変わっていません。

 一生の間に牢屋に入れられる割合は、黒人は実に三分の一近くですが、白人は十六分の一未満であり、また、2002年には、黒人は白人よりも6倍も殺害される比率が高い、という結果が出ています。

 ですから、白人は黒人の近くには住みたがりません。こうして白人と黒人の棲み分けは依然として続いており、公立学校における白人と黒人の共学政策も、次第に元の木阿弥になりつつあります。

 更に言うと、2002年のデータでは、1年以内に乳児が死亡する割合は、黒人1.44%に対し、白人は0.57%に過ぎません。また、現在の平均寿命も、黒人は白人より、男性は6年以上、女性は5年弱短いのです(注2)。

(以上、http://www.guardian.co.uk/usa/story/0,12271,1605180,00.html11月1日アクセス)、及びhttp://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/4482988.stm12月4日アクセス)による。)

 奴隷として米国に連れてこられたアフリカの黒人の子孫である米国の黒人は、恐らく現在のアフリカの黒人同様、平均的に見て、生来的に現代社会への適応が容易ではない、と言わざるを得ないのです。

 (注21950年の米国の人口は約1億5,000万人で、白人89.5%、黒人10%、その他(インディアン・アジア人・太平洋諸島人)0.5%だったが、2003年には人口3億人弱、うち白人80.5%、黒人12.8%、その他6.8%(中南米人は人種ではないが、13.7%)となっている。

(続く)