太田述正コラム#9952005.12.11

<ネオ儒教をめぐって(その1)>

1 始めに

 最近(コラム#951954957で)、中共の胡錦涛政権が、共産主義に代わる国家イデオロギーとして、儒教の近代版たるネオ儒教を打ち出すべく、模索しているのではないか、という指摘を行ったところです。

 その模索の方向性と新イデオロギー採択のねらいについて、更に考えてみることにしましょう。

 

2 模索の方向性

 (1)概観

 共産主義に代わるイデオロギーと言っても、中国共産党が公式に共産主義を放擲する(党名の変更を含む)、ということには恐らくならず、支那の顔をした共産主義(socialism with Chinese characteristicsの新バージョン、として提示されるものと思われます。

 共産主義はもはや時代遅れであり、資本主義化した中共の現実とマッチしないとして、大学生全員の必修科目である共産主義理論の時間に、一部の大学の教官は支那の伝統的思想を教えるようになってきていたのですが、このような動きに対し、最近中共当局はまったをかけました。

 さりとて、一体いかなる共産主義理論を教えたらよいのか、具体的な指示が中共当局から出ていないので、教官達は頭を抱えています。

 恐らく、支那の顔をした共産主義の新バージョンは、胡錦涛政権が唱え始めたばかりの、調和のとれた社会(harmonious society)なる観念を取り込んで変容した共産主義、という形をとることでしょうが、胡錦涛等は拙速は禁物であると考えているに違いありません。新イデオロギーの中身の確定と採択は、中共内の抵抗勢力たる江沢民系一派の抵抗を排しつつ行わなければならないからです。

 (以上、http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/12/04/AR2005120400982_pf.html12月6日アクセス)による。)

 この新イデオロギーを、私は先回りしてネオ儒教と名付けたわけです。

 私は、胡錦涛らはシンガポールをモデルに仰いでいる、と考えています。

 (2)モデルとしてのシンガポール

 今年10月、離任することになったラヴィン(Frank Lavin)駐シンガポール米国大使は、シンガポールが5人以上のデモを禁止していることに言及した上で、2003年に、対イラク戦争に反対するデモが米国大使館の前で行われようとした時に、このデモ参加者を逮捕してデモを中止させようとしたシンガポール当局に抗議したというエピソードを披露しました。そして、シンガポールは一党支配の下で極めて有能な指導者によって統治されているが、国民の表現の自由を認めないようでは(注1)、シンガポールは21世紀の情報化時代において、他国と伍していくことはできないだろうう、と指摘しました。

 (注1)シンガポールの人権状況は悪名高い。シンガポールは同国でメイドとして働くフィリピン人達約15万人から年間5億3,000万米ドルもの租税収入を得ている。しかしシンガポールでは、外国人メイドが妊娠すれば国外に追放される決まりだ。また、メイドの雇用主は、メイドが逃げ出すと罰金を科されるため彼女たちを軟禁状態に置いているほか、メイドに物理的・性的虐待を加えたり食事も碌に与えないケースが少なくない。しかも、通常の労働法令が彼女たちには適用されないため、長時間労働の著しい低賃金が習いとなっている。このような背景の下、シンガポールでは、1999年以降だけで少なくとも147人の外国人メイドが事故または自殺で命を落としている。(http://news.ft.com/cms/s/2840c1aa-6684-11da-884a-0000779e2340.html12月7日アクセス)

 この外交儀礼を無視した率直な発言(注2)に対し、シンガポールのリー・シェンロン(Lee Hsien Loong李顕龍。1952年?)首相兼財務大臣は、理想化された形の自由・民主主義は、シンガポール向きではないので採用すべきではない、と反論しました。

(以上、特に断っていない限りhttp://news.ft.com/cms/s/7168dfa8-3b04-11da-a2fe-00000e2511c8.html1013日アクセス)による。)

 (注2)この発言は、ブッシュ政権のシンガポールの人権状況に対する懸念の深まりを反映している。ちなみに、1980年代末にシンガポールは、米国がシンガポールの野党に密かに資金援助していると非難し、米国大使館に対する大規模なデモを特別に許可して、米国に圧力をかけたことがあるが、最近のシンガポールと米国との関係は、極めて良好だった。

 このシンガポールは、1980年代に儒教を国家イデオロギーとして採用しているのです。

 胡錦涛らにとって、これほど心強いモデルはありますまい。

(続く)