太田述正コラム#9962005.12.11

<ネオ儒教をめぐって(その2)>

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 すべては、1979年にシンガポールのリー・クアン・ユー(Lee Kuan Yew李光耀)首相(当時。その後、シンガポール上級相を経て内閣顧問(Minister Mentor1923年?)が、シンガポール建国以来一党支配を続けてきた人民行動党の意向を受けて、家族や社会等の集団に献身的に奉仕するシンガポール国民を養成するために、公教育に道徳教育を導入するよう指示したことに始まります。

 これは、欧米諸国の経済が相対的に停滞する中、日本を含めた東アジア諸国の急速な経済成長を儒教道徳の効果であるとする、その頃現れた欧米の論調に触発されたものです。

 1982年には、この首相指示を踏まえて、宗教教育(Religious Knowledge)が開始され、その中で、キリスト教・仏教・イスラム教・ヒンズー教・シーク教と並んで、本来宗教とは言い難い儒教(Confucian ethics)も選択できるようになるのですが、この中で政府が最も力をいれたのは儒教教育でした。

1983年には、主として儒教を研究する東アジア哲学研究所(the Institute of East Asian Philosophy)が設立され、第一副首相が所長、第二副首相が副所長を兼務し、上記儒教教育のサポートを行うようになります。

こうして儒教は、シンガポールの国家イデオロギーとなり、政治・経済・社会・文化政策等あらゆる政策が、このイデオロギーに則って推進されるようになるのです。

そして、これを契機に、漢人(華人)を多数派とする多民族国家シンガポールは、儒教文化を体現する漢人が名実ともに優位に立った国家に変貌することになります。

また、儒教を国教とする歴代支那王朝が、その王朝のリーダーを科挙で選抜したように、儒教を国家イデオロギーとするシンガポールは、この頃から、学力に秀でた生徒や知能指数に秀でた生徒を対象とするエリート教育によって、シンガポールのリーダーを養成するようになるのです。

(以上、http://www.p.u-tokyo.ac.jp/coe/workingpaper/Vol.9.pdf1211日アクセスによる。)

3 新イデオロギー採択のねらい

 以前(コラム#957で)、胡錦涛政権のネオ儒教の採択のねらいとして、中国共産党支配の正統性の確保と中共の勢力伸張を挙げたところですが、ほかにもねらいはありそうです。

 欧州文明諸国(その延長たるロシアと中南米諸国を含む)との伝統的紐帯の回復です。

 欧州文明は全体主義文明であり、同じく全体主義文明である支那文明は、互いに惹かれ合い、親近感を抱いてきたという歴史があります。

 ヴォルテールを初めとする18世紀のフランスの啓蒙主義者達は、支那では君主が、学力だけによって選抜された教養ある君子達によって支えられ、迷信やドグマによってではなく、合理的精神によって統治している、と支那を理想視しました。

 このような伝統があったからこそ、毛沢東は、サルトル(Jean-Paul Sartre)やマルロー(Andre Malraux)らの20世紀フランスを代表する知識人達によって、詩人たる哲人絶対君主として崇められたのです。

(以上、http://business.guardian.co.uk/story/0,16781,1664205,00.html1210日アクセス)による。)

中共が国内を固め、東アジアに勢力を伸張し、その上欧州諸国との伝統的紐帯を回復することができたとしたら・・・なんて、考えたくもありませんが、そうなるかどうかの鍵は日本が握っていると私は思います。

(続く)