太田述正コラム#10282006.1.3

<キリスト教と私(その7)>

 ヴェーバーの説の形成とこの説に対するベルギー・フランス・イタリアの学界の批判を概観することによって、20世紀において欧州が置かれた状況が見えてきたように、戦後米国がどのようにヴェーバーの説と向き合って来たかをざっと概観しただけでも、米国自身の戦後思潮の変遷をうかがい知ることができます。

戦前まで、「故郷」たる英国や欧州諸国にコンプレックスを抱いていた偉大なる田舎者にして孤立主義者であった米国は、先の大戦が終わった時点で、突然、名実共に世界の覇権国となり、世界の檜舞台に立ち、共産主義勢力と対峙するに至った自分を発見します。

 この戦後の米国に大きなインパクトを与えたのが、1940年代に初めて英訳が出て米国に本格的に紹介されたヴェーバーの学説(http://www.historycooperative.org/journals/ht/36.4/brown.html。1月3日アクセス)でした。

 欧州史や米国史の実証研究が十分行われていなかった当時の米国では、ヴェーバーの学説は、何の疑いもなくそのまま受け止められました。

 その米国では、米国ピューリタン(カルヴィン主義者)起源論が素朴に信じられていました。

 ヴェーバーはプロテスタンティズム、就中カルヴィニズムが資本主義(近代)をもたらした、と主張した(注11)わけですから、このヴェーバーの説は米国のエリート達の自尊心を大いにくすぐったはずです。

 (注11)そもそもヴェーバーが、カルヴィニズムが資本主義をもたらしたと主張した「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の『精神』」の中で、「プロテスタンティズムの倫理」の例証として挙げたほとんど唯一の根拠は、ピューリタンたる米国人フランクリン(Benjamin Franklin1706?90年)の手記だった。

ちなみに、英国の二人の学者が、1989年に、フランクリンの手記は、ピューリタニズムの発現でも何でもなく、単にフランクリンが金持ちになるためのノウハウを記しただけであるとし、ヴェーバーがこの手記に拠ったことはナンセンスであると指摘している。

(以上、http://www.ecs.gatech.edu/support/sandra/paper.html前掲、及びhttp://soc.sagepub.com/cgi/content/abstract/23/1/81(1月3日アクセス)による。)

 しかも、理念(idea)が転轍手となって歴史を動かしてきたのであって、プロテスタンティズムの倫理が資本主義(近代)をもたらしたというヴェーバーの主張は、経済的(階級的)利害(economic interests)が歴史を動かしてきたのであって、資本家階級の経済的利害が資本主義(近代)をもたらしたというマルクスの主張に対するアンチテーゼでもありました。ヴェーバーの説は、マルクスの説が誤っており、従ってマルクスの説に立脚した共産主義も間違っていることを示してくれている、というわけです。

 まさにヴェーバーは、新覇権国たる米国に、その拠り所となるイデオロギーを提供したのです(注12)。

 (注12)戦後の日本でヴェーバー・ブームが起きたのは、米国の圧倒的影響下に置かれた日本に、この米国でのヴェーバー・ブームが移植された、ということだろう。

20世紀の米国を代表する歴史家であるホフスタッター(Richard Hofstadter.1916?70年)(注13)やブーアスティン(Daniel Boorstin1919?2004年)(注14)、また、その主著The Modern World-System近代世界システム論)で知られる米社会学者のウォーラスティン(Immanuel Wallerstein1930年?)は、いずれもヴェーバーに大きな影響を受けていることで知られていますhttp://www.historycooperative.org/journals/ht/36.4/brown.html上掲、http://www.nytimes.com/books/98/09/06/reviews/980906.06lindlt.html(1月3日アクセス)、及びhttp://www.ecs.gatech.edu/support/sandra/paper.html前掲)。

(注13) ユダヤ人の父とルター派ドイツ人の母の間に生まれる。若かりし時は共産党員だったが転向した(http://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Hofstadter。1月3日アクセス)

(注14)ユダヤ系米国人二世。やはり若かりし時共産党員だったが転向した。(http://education.guardian.co.uk/higher/news/story/0,9830,1159352,00.html。1月3日アクセス)

 

しかしやがて米国は、自らが覇権国であることを当然視するようになります。そして、欧州や英国に対するコンプレックスを解消し、共産主義勢力に対しても心理的優位に立つことになります。

米国における欧州史や米国史の実証研究も進展します。

 その過程で、ピレンヌやブローデルの著作が翻訳され紹介されたこともあって、西欧中世が暗黒時代であったという認識(注15)は改まり、米国史におけるピューリタニズム偏重論も是正されていきます(注16)。

 (注151983年の時点で、まだブーアスティン(上掲)は、著書の西欧中世の章に「キリスト教教義の牢獄」という章名をつけていた(http://amywelborn.typepad.com/openbook/2005/12/catholics_and_c.html。1月3日アクセス)

 (注16)米国が「誇る」宗教的自由や平等の思想は、ニューイングランドのピューリタンではなく、クェーカー教徒を率いてペンシルバニア植民地を創設したペン(William Penn1644?1718年)に負うし、米国の憲法ないし法思想に及ぼした影響も、ピューリタンではなく、マーシャル(John Marshall1755?1835年。最高裁長官)からカルフーン(John Caldwell Calhoun1782?1850年。下院議員・上院議員・副大統領)に至る南部の啓蒙主義者達の方が大きい(NYタイムス上掲)。

 この時期を代表するのが、(コラム#1023で)前述したマクニール(ただし冷戦終焉以前)とダイヤモンド(冷戦終焉以後)の、プロテスタント(キリスト教)に全く言及しない近代(資本主義)成立論である、と私は考えています。

(続く)