太田述正コラム#11001(2019.12.23)
<丸山眞男『福沢諭吉の哲学 他六篇』を読む(その6)>(2020.3.14公開)

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[中共における儒教の復権]

一、孔子学院(Confucius Institute。2004年~)

 「 孔子学院は2004年に設立され、同年11月大韓民国ソウル市に初めての海外学院が設置された。 ・・・<それ以後、海外で、>大学レベルの「孔子学院」と、中学・高校レベルの「孔子学級」がそれぞれ設置されている。・・・教育部が管轄する国家漢語国際推広領導小組弁公室(「漢弁」)が管轄し、本部は北京市にあり、国外の学院はその下部機構となる。・・・資金面では、漢弁が開設資金として10万ドルを提供して、さらに海外の提携相手に年間の助成金を払う。同額の運営費を提携相手も払う。・・・原則的には漢弁は、最初の3年間だけ初期費用を払い、それ以降は外国の提携先が運営費を払うというのが本来の形である・・・<その>ほか、海外の孔子学院・孔子学級で教える中国人教師の給与および海外生活手当の全額または相当額を支払うのが通常である・・・
 孔子学院・孔子学級の目的は主に、海外で中国語と中国文化を教えることである。中国語を教えるほかに、漢方医学や中国史、文化、社会、武道、演劇、生け花、剪紙などをも教える。現代の話題を取り上げることもある。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%94%E5%AD%90%E5%AD%A6%E9%99%A2

⇒胡錦涛(中共総書記:2002~2012年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%A1%E9%8C%A6%E6%BF%A4
は、孔子(儒教)の名前を完全復活させたわけだ。(太田) 

二、新時代公民道德建設実施綱要(新時代の市民道徳建設の実施概要)(2019年10月27日)(コラム#10998)

 「中共は、最近、社会的規範(social mores)を改善するために、<江沢民体制下の>2001年に次ぐ最初の、かかる画期的な綱要(program)<(表記)>を発布した。
 この綱要は、中共における飽くことなき経済競争の衝動が、精神的虚無を作り出し、諸規則を破り、礼儀(civility)を蹂躙することを、時に正当化している、との広く抱かれている感情に立脚している。
 多くの人々は互いを信用していない。
 この道徳の危機に対処するための政府の青写真は、特定の伝統的諸信条を支持(endorse)することを求めるものだった。
 この画期的論考・・漢字1万字に及び、英語に翻訳されたら、それより遥かに長くなることだろう・・は、中共の建国者たる毛沢東や彼の後継者達、並びに彼らの諸イデオロギー、に言及せず、その代わり、習氏、と、彼によるところの「金銭崇拝と享楽主義」といった社会的諸問題を是正するための諸努力、に焦点を当てている。
 それは、「核心的社会主義諸価値」といった諸共産党スローガンを唱えてはいるけれど、以前の、例えば2001年の文書・・それは、支那の諸伝統についてはほんの少し言及するだけだけだった・・とは対照的に、過去(the past)を、「道徳性の豊かな源泉(source)」と呼んでいる。
 この綱要は、「昔の立派な賢人達」を宣揚(promote)するとともに、「仁愛(ren’ai)」(博愛(benevolence))、「正義(zhengyi)」(正義(righteousness))、「正位建議(jianyi zhengwei)<・・この漢字を当てて正解なのか自信はない(太田)・・>」(真実のために勇敢に立ち上がる(standing up bravely for the truth))、といった伝統的諸概念を深く解釈する(deeply expound)よう命じている。
 この営み(effort)は、共産主義を儒教で置き換えようとする試みではない。
 とはいえ、1911年に支那の帝国的秩序が崩壊して以来、初めて、支那を過去2500年間の大部分機能させてきた(ran)ところの、政治的/宗教的秩序を作り上げてきた(made up)諸観念を、中央政府が抱懐しつつある、と言っても差し支えない。
 それは、中共の道徳的虚無を是正する(address)ためだけではなく、ポピュリスト的措置(measure)でもあるのだ。
 この国は、より低い成長と募る不平等性なる、より不確実な時代、に入りつつあるが、当局は、自身の魅力を拡大するために、伝統的外套を纏いつつあるのだ。
 そうするのは、政府は、伝統的な支那の諸価値や諸信条は、外国の諸宗教よりもコントロールするのが容易で、かつまた、そういったものを支援(support)することは、イスラム教とキリスト教を抑圧するコストを償って余りある、と思っているからであるように見える。
 しかし、私は、必ずしもそうは思わない。
 この秋、関帝廟(Lord Guan’s Palace)<(注5)>を訪れた際、私は、その大部分が30代と40代の10数人の人々が、王陽明(Wang Yangming)・・15世紀末に生まれた哲学者・・の諸著作を読んでいるのを見かけた。

 (注5)「関帝(関羽・関聖帝君・関帝聖君)を祀る廟。孔子を祀る孔子廟(文廟)に対比させて、武廟(ぶびょう)とも呼ぶ場合もある。関帝廟の本殿は中央に関羽を祭り、右側に小説『三国志演義』で養子の関平(史実では実子)、左側に同じく『演義』に登場する配下の武将周倉の二神をそれぞれ祭っている。関羽は、信義や義侠心に厚い武将として名高くまた『演義』での普浄の逸話などから、民衆によって様々な伝承や信仰が産まれ、信仰を高め、また後の王朝によって神格化されていった。その関羽を祭ったほこらが関帝廟の始まりである。また、関羽は(塩湖で知られた解県の出身である為)塩の密売に関わっていたという民間伝承があり、義に厚いとされる事から商売の神として祭られた。この事に起因して、そろばんの発明をしたという俗説まで生まれた。そのため世界中に華僑が散らばっていったときに、商売が繁盛する様にとその居住区に関帝廟を立てた。そのため世界中の中華街などで関帝廟を見ることが出来る。関羽の出身地である河東・解県(山西省運城市塩湖区解州鎮)にある解州関帝廟は、<支那>でも規模の大きな関帝廟として知られる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E5%B8%9D%E5%BB%9F

 表面的には、これは政府の政策に沿ったことであり、現に、党は、廉潔な(incorruptible)精神と言行一致を体現している王陽明を抱懐してきている。
 しかし、王陽明の著作の一文を読んだ後、男達と女達は、大きな木製のテーブルの周りに座って、その最も有名な句であるところの、知行合一(knowledge and action are one)を何度も何度も毛筆を揮って書いていた。
 王陽明によれば、この「知」は、いかなる政府も、それがどんなに強力であっても、コントロールすることができないところの、内部の光、良心、に由来するものなのだから。」
 (最近著として、『支那の魂–毛沢東後の宗教の復活(The Souls of China: The Return of Religion After Mao.)』のある、イアン・ジョンソン(Ian Johnson)執筆)
https://www.nytimes.com/2019/12/21/opinion/sunday/chinas-religion-xi.html

⇒習近平(2012年11月15日~)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BF%92%E8%BF%91%E5%B9%B3
は、孔子(儒教)の中身を、王陽明に重点を置く形で完全復活させたわけだ。
 (ジョンソンは分かっていないだろうが、)人間主義は、李程明が創唱し王陽明が承継したところの、万物一体の仁(コラム#10233等)・・孔子の唱えた仁のマークIIと言うべきもの・・の形で、イデオロギーとしては支那にも存在した以上、総体継受中の日本文明の核心部分は必ずしも借り物ではない、という含意で・・。
 罪作りな諭吉(?)の日本、由来の儒教の汚名は、ここに至って、支那において、中共当局の手によって完全に晴らされつつある、といったところだ。(太田)
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(続く)