太田述正コラム#11003(2019.12.24)
<丸山眞男『福沢諭吉の哲学 他六篇』を読む(その7)>(2020.3.15公開)

 「むろん、ここに見る如く近世儒教を以て悉く封建専制を「潤色」したものとし、「漢儒先生」がその「勢いを助けた」と断ずるのは表現過酷に失するのみならず、歴史的にも必ずしも正確ではなかろう。
 儒教的思惟は・・・そうした特定人格の意欲乃至利害心理よりは遥かに深く当時の人間の視座構造にまで喰い入っていたのである。

⇒さすがの丸山も、諭吉の儒教批判から若干なりとも距離を置いた方が安全かもしれないと思って、ここで、一種のディスクレイマーを付けたつもりなのでしょうが、全くディスクレイマーになっていません。
 なぜなら、「儒教的思惟<が>・・・人間の視座構造にまで喰い入っていた」のが事実だとしても、その出どころが、「近世儒教」だけなのかどうかはさておくとして、その究極の出どころは恐らくは複数の「漢儒先生」、であるはずなのであって、天から降ってきたり、地から湧いてきたものであるはずがないのに、「漢儒先生」の個名に一切言及していないからです。(太田)

 しかしこうした批判の「行き過ぎ」はあらゆる転換期に於けるイデオロギー暴露に必然的に随伴する現象であって、むしろその故にこそ、それは一定の歴史的役割を果しえたともいえるのではないか。」(18~19)

⇒それがいかなる「歴史的役割を果<た>し・・・た」か、丸山は詳らかにせず、あたかも、察してくれ、とい言わんばかりですが、私は、日本では殆ど「歴史的役割」を果たさなかったと思っており(典拠省略)、むしろ支那で大いに「歴史的役割」を果たした(後述)と思っているのです。

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[丸山が諭吉の反儒教論を疑わなかった理由(その1)]

 表記については、丸山が東大法学部で法解釈学を学ばされたことも大いに与っていると思われる。
 法解釈学について、以下を参照。↓

 「法解釈学<(Rechtsdogmatik)とは、>解釈法学ともいう。実定法の規範的意味内容を体系的,合理的に[<、すなわち、>中世以来の<欧州の>法学を母胎にして,法秩序の無欠缺(むけんけつ)性,論理的完結性,体系的整序性を前提に,精緻な概念構成と厳格な形式論理によ<って、>]解明し,裁判における法の適用に影響を与えることを目的とする実用法学。
 実定法を構成する文字および文章の多義的な規範的意味内容を明確かつ一義的に確定していく作業が法の解釈である<ところ、>・・・通常,法学といえば,この法解釈学をさすことが多い。
 これは,古代ローマ以来の長い伝統をもつ法解釈学が,法哲学を除けば,だいたい19世紀までは,法に関する唯一の専門的な学問であっただけでなく,現代でも,法を研究対象とするもろもろの学問の中心に座を占めていることによるところが大きい。」
https://kotobank.jp/word/%E6%B3%95%E8%A7%A3%E9%87%88%E5%AD%A6-131823
 「<それに対し、>19世紀末から 20世紀初頭にかけて,ドイツおよびフランスで主張された一種の法学改革論<として、>・・・自由法論(Freirechtslehre)<が唱えられるようになり、>・・・制定法の厳格な解釈,適用に専念していた 19世紀の支配的な法学を「概念法学」として批判し,判決の具体的妥当性を保障するために,・・・社会のなかで流動する〈生きた法〉の探究,・・・裁判官の法創造の役割を強調した。・・・
 自由法論・・・の自由とは制定法からの自由を意味する。・・・
 伝統的法学の硬化に反省の機会を与え,法社会学への機運を醸成する重要な役割を果したが,他方では・・・<それでは、>法概念の厳密性を失い,解釈が主観的にな<ってしまうとして、>・・・感情法学<である、>といった批判も加えられた。・・・
 <とまれ、>こうした動きに対応して,ドイツ民法典(1900)は,第1草案(1887)が慣習法を基本的に否認しようとしていたのに反し,慣習法について明文の規定をおかず,学説にこれを委ねた。」
https://kotobank.jp/word/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%B3%95%E8%AB%96-77411 ([]内も)
 「日本の法学界にお<いては、遅れて、>・・・第2次世界大戦後<になって、ようやく、>・・・法解釈学の実践的性格が強調され<るようになっ>た。」
https://kotobank.jp/word/%E6%B3%95%E8%A7%A3%E9%87%88%E5%AD%A6-131823 前掲
 「<なお、いずれにせよ、基本的に、法解釈学においては、>法律制定当時の立法者の主観的意思<については、それが、>・・・法典の理由書,草案,議事録,起草委員の説明書などの資料によって・・・推測<できる場合であっても、>・・・成立した法は客観的なものとな<るので>,法解釈者は立法者の意思に拘束されない<、>と解するのが妥当とされている」
https://kotobank.jp/word/%E7%AB%8B%E6%B3%95%E8%80%85%E6%84%8F%E6%80%9D%E8%AA%AC-149065

 つまり、丸山は、一高時代にはもっぱら(演繹的ドグマである)マルクス主義文献を読みふけったと想像される上、東大法学部で、戦前の日本の法解釈学を学ばされたため、諭吉の儒教論を、諭吉の著作における儒教への諸言及のみでもって法解釈学的に、その「規範的意味内容」を「体系的、合理的に」「一義的に確定」してしまった、と、私は見ている。
 それに対し、非才ながらも、私は、法解釈学を学ばされこそしたけれど、それが日本の戦後の法解釈学であったということと、それに加えて、教養学部時代を含め、東大でも、そして、スタンフォード大学では一層、広範な勉強を(広く浅くではあっても)やったおかげで、法解釈学を学ばされた悪影響を希釈できたこともあって、「儒教への諸言及」に関し、かかる「諸言及」行った諭吉の「主観的意思」、や、儒教の「社会のなかで流動」してきたところの「生きた」姿、を踏まえた上で、私なりに、その「意味内容」を「確定」しようとした、というわけだ。
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(続く)