太田述正コラム#11045(2020.1.14)
<丸山眞男『福沢諭吉の哲学 他六篇』を読む(その25)>(2020.4.5公開)

 「・・・福沢がいわゆる盲目的な欧化主義者といかに遠いかということは近年比較的に広く認識せられて来たが、その際どこまでも注意すべきはそうした立場は単に彼の愛国心とか国家主義とかいうことに帰せられるだけでなく、彼の根本的な思惟方法に直接連なっているということである。・・・
 福沢は一面ヨーロッパ文明の熱烈な伝道者でありながら、しかも他面において絶えずその価値を相対化する容易と余裕とを忘れず、その時々の具体的状況に応じて、例えば文明開化の盲目的心酔事大にはむしろその批判者として現われ、逆に復古的反動的風潮が支配的だろうとする場合にはいつも断乎としてヨーロッパ=近代的なものの側に立ったのであった。
 従って、ヨーロッパ文明論と並ぶもう一方のテーゼとしての日本の国家的独立という事もまた福沢にとっては、条件的な命題であることを看過してはならない。
 国の独立が目的で文明は手段だと福沢がいうとき、それはどこまでも当時の歴史的状況によって規定せられた当面の目標を出でないのであって、一般的抽象的に、文明はつねに国家的存立乃至発展のための手段的価値しかなく、国家を離れて独自の存在意義は持たぬという立場を取ったのでは決してない。
 かえって福沢は「文明」が本質的に国家を超出する世界性を持っていることについて注意を怠らなかった。
 さればこそ、上の命題を掲げたすぐ後に、「人間智徳の極度に至ては、其期する所、固(もと)より高遠にして、一国独立等の細事に介々たる可らず」といい、「此議論は今の世界の有様を察して、今の日本のためを謀り、今の日本の急に応じて説き出したるものなれば、固より永遠微妙の奥蘊に非ず。学者2遽(にわか)に之を見て文明の本旨を誤解し、之を軽蔑視して其字義の面目を辱しむる勿(なか)れ」(概略、巻之六)と繰返し念を押しているのである。」(78~79)

⇒丸山の根本的誤解は、ヨーロッパ(欧米)文明そのものではないとしても、欧米的な文明が、「国家を離れて独自の存在意義は持」つところの、諭吉を含む、全ての非欧米世界の人々にとっての、「目的」的なものである、と、諭吉が考えていた、と思い込んでいるところにあります。
 丸山は、諭吉が、「日本人の義務は唯この国体を保つの一箇条のみ。国体を保つとは自国の政権を失はざることなり」(前出)、つまりは、「日本の国家的独立」は「国体を保つ」手段である、と記していることの意味にきちんと向き合わなかったからそんな誤解をしてしまった、と、私は思うのです。
 諭吉が、日本の「国体」の重要な属性の一つを、支那の「国体」と比較する形で記した箇所が『概略』にあります。↓
 「或人の説に,支那は独裁政府と雖ども尚政府の変革あり,日本は一系万代の風なればその人民の心も自から固陋ならざるべからずと云う者あれども,この説は唯外形の名義に拘泥して事実を察せざるものなり。
 よく事実の在る所を詳にすれば果して反対を見るべし。
 その次第は,我日本にても古は神政府の旨を以て一世を支配し,人民の心単一にして,至尊の位は至強の力に合するものとして之を信じて疑わざる者なれば,その心事の一方に偏すること固より支那人に異なるべからず。
 然るに中古武家の代に至り漸く交際の仕組を破て,至尊必ずしも至強ならず,至強必ずしも至尊ならざるの勢と為り,民心に感ずる所にて至尊の考と至強の考とは自から別にして,恰も胸中に二物を容れてその運動を許したるが如し。
 既に二物を容れてその運動を許すときは,その間に又一片の道理を雑えざるべからず。
 故に神政尊祟の考と武力圧制の考と之に雑るに道理の考とを以てして,三者各強弱ありと雖ども一としてその権力を専にするを得ず。
 之を専にするを得ざればその際に自から自由の気風を生ぜざるべからず。
 之を彼の支那人が純然たる独裁の一君を仰ぎ,至尊至強の考を一にして一向の信心に惑溺する者に比すれば同日の論に非ず。
 この一事に就ては支那人は思想に貧なる者にして日本人は之に富める者なり。
 支那人は無事にして日本人は多事なり。
 心事繁多にして思想に富める者は惑溺の心も自から淡泊ならざるを得ず。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%98%8E 前掲
 このくだりを、『文明論之概略』に関する上掲邦語ウィキペディアは、「<支那>文明と日本文明との異同については、日本も古代においては「神政府」による支配で人民の心単一であったが、武家社会になると、「至尊」(王室=天皇の権威)と「至強」(武家権力)とが分離し、そのような神政尊祟の考と武力圧制の考の間に自由の気風が生まれたとして、これは<支那>のような純然たる独裁の一君を仰ぐような社会とは異なるとした。」(上掲)と要約していますが、こう要約したウィキペディア執筆者と同様、私自身も、諭吉の言う「国体」こそ、今、我々が使っている複数形を持つところの、「文明」なのだ、と解している次第です。
 そして、あえてこの段階で踏み込んで記しておきますが、諭吉は、喫緊の課題は、「日本の国体ならぬ文明」を、「欧米文明」を部分的継受することによって保つことであるとしているところ、そのようにして、より強靭なものとなった「日本文明」を、最終的には、(少なくとも欧米以外の)全世界に普及させるべきであると信じ、そのためには、日本は、次の課題(中間的課題)として、「欧米文明」の部分的継受を(欧米以外の)全世界に促すべきだ、と、訴えている、というのが私の理解なのです。
 諭吉は島津斉彬コンセンサス信奉者である・・と断定していいでしょう・・以上、そう理解するのが自然である、ということです。(太田)

(続く)