太田述正コラム#10582006.1.24

<オフ会の報告(その4)>

 1970年代の後半のことだが、海上自衛隊は、どうして護衛艦が必要なのだ、と野党が真面目に議論を吹きかけてきたら、とてももたないと心配し、有事に日本が食糧や石油等の資源を輸入しなければならないので、食糧や石油等を積んで日本に向かう船舶を護衛艦等で守る必要がある、というストーリーをつくって防衛庁内外に説明し始めたことがある。

 海上自衛隊は、有事には、国民に耐乏生活をしてもらい、生産活動も抑制することによって、食糧や資源輸入量を平時の約30%に抑えることとし、民間船舶に船団を組ませ、ハワイ方面とフィリピン方面に長さ1000マイルの二航路帯を設けて、その中だけを航行させ、船団の周りを護衛艦で固める形で敵(=ソ連)潜水艦の脅威から守ってあげる、というのだ。

 当時、防衛本庁で防衛政策を担当していた私は、こんなストーリーはおかしいと思った。

そしてまず、日本の食糧や資源の備蓄状況を調べてみた。そうすると、生活・生産水準を切りつめるということであれば、既に備蓄されているものに若干の積み増しを図れば、3ヶ月程度はもつ食糧・資源の備蓄が日本にあることが分かった。

 他方、米国の公刊資料を漁ってみると、たまたま同じ期間であるところの、3ヶ月もあれば、(・・米海軍と海上自衛隊の対潜哨戒機でもってすれば、ということだろう・・)日本列島より東側の太平洋海域からソ連の潜水艦を一掃できる、という記述があった。

 以上を組み合わせると、何と言うことはない。3ヶ月間、輸入をストップして、その間、ソ連の潜水艦を全部撃沈し、それから輸入を再開すればよいことになる。

 以上のような私の判断を海上自衛隊に伝えてからは、次第に海上自衛隊は、有事輸入量確保の話をしなくなったものだ。

 (誤解しないで欲しいので付言しておくが、だから護衛艦はいらない、ということにはならない。有事でまだ敵潜水艦が一掃されない時点で、兵員や軍需物資を積んだ船舶を走行させなければならない場合もある。このような時には、護衛艦で守ってやる必要がある。もっとはっきり言えば、朝鮮半島や台湾等に軍需物資を運ぶ船舶を護衛艦で守らなければならない場合があるかもしれない、ということだ。また、平時でも北朝鮮の不審船などに海上保安庁だけでは対処しきれない時に、護衛艦の出番が来る。しかし、こんなホンネの議論・・まだまだホンネに近い議論の域にとどまっているが・・ができるようになったのは、最近のことだ。)

 (9)核ブラフ

 続けてこんな話しもしました。

 原子力空母配備問題に不感症になっている日本の世論を見るにつけ、自民党の有力政治家達が、核ブラフを試みようとしないことが不思議でならない。

 北朝鮮の核をめぐる六カ国協議が進展しないのなら、日本も核装備を検討せざるをえない、といった発言をなぜしないのか、ということだ。

 日本が核ブラフを行えば、中共は尻に火がついて、北朝鮮を恫喝してでも六カ国協議を早期に妥結しようとするだろうし、韓国も少しは目が覚める可能性も出てこよう。

 (もっと「軽易」な核ブラフも考えられる。六カ国協議が進展しないのなら、非核三原則の撤廃を検討する、と発言するのだ。)

 (10)私のコラム

 B氏より、「日本人の書くものは、典拠がついていないものばかりだ。これに対し、太田さんのコラムには、きちんと典拠がつけられていて、しかもどこからが太田さんの見解なのかが分かるようになっている」、そしてD氏より、「外国人と話をしていると、われわれ日本人が暗黙の前提としていることについて、問われて、うまく答えられないことがある。そこのところを、太田さんはコラムで明快に説明してくれていてありがたい」、という発言がありました。

ここで、「太田さんのコラムは、日本では今までにないジャンルではないか」、いや、「こういうものこそ哲学なのではないか」という議論になり、私は、「私はコラムで世論誘導を図っているつもりだが、哲学者がそんなことをやってはいけないだろう」と間の手を入れました。

また私が、「このところ、コラムの購読者数が目減りを続けている一方で、ブログへのアクセス数、従って恐らくはホームページへの訪問者数も、毎週、記録を更新しているのは不思議だ」と言ったところ、B氏らより、「RSSの時代だということだ」との説明がありました。そして、色んな工夫をこれからもこらして、太田ブログへのアクセス数増加を図ろうということになりました。

 (11)その他

 その他印象に残っている話題としては、日本文明とは何かについてはなかなか説明が困難だとか、その関連で、本居宣長はもっと注目されるべきだとか、自由主義と民主主義は本来は相反するものであるとか、その関連で私から、「日独伊の「民主主義」と米国」シリーズの結末を披露したりしたことが印象に残っています。

(完)