太田述正コラム#11093(2020.2.7)
<丸山眞男『福沢諭吉の哲学 他六篇』を読む(その49)>(2020.4.29公開)

 「・・・福沢というのは、明らかに、・・・おれが好きだから売っているのではない。
 これを売ることが自分の使命だから、現在の状況ではこれを選択して売らなければいけないのだ。
 それは自分の好みとは別問題、・・・<という>タイプの思想家です。・・・
 <そして、この、>酒屋の主人、必ずしも酒が好きではないんだぞ、という思考法を、自分の場合に適用するだけではなくて、そういうものの考え方を世の中に一般化すること。
 それが、『文明論之概略』で縷々述べている知と徳との問題<(注55)>へと発展します。・・・

 (注55)「・・・<諭吉は、>徳の効果を社会で形にするには智の力が欠かせない、それにも拘わらず日本では徳に偏って尊重している、おまけに徳の中身は社会を広く見るの(公徳)でなく自身の周りしか見ない(私徳)、さらに、徳は西洋に大きく劣らないが智ははるかに遅れている、智に注力すべき<、と説いた。>・・・<すなわち、徳については、>古来我が国で徳義と称するものは、専ら一人の私徳のみ<。>・・・自分から働きかけるのではなく、物に対して受身の姿となり<、>・・・公徳は一層貴ぶべきなのに徳義のうちに加えず、往々忘るる<ところの、>・・・私徳の一方に偏したるもの<である、と。>・・・<また、智については、>数万の人を救い、万代の後に功業を遺したのは、聡明叡知の働きによってその私徳を大いに用い、功徳の及ぶところを広くしたため<、であるというのに、日本では、>・・・誤りの大きいものに至っては、全く智恵のことを無用とする者もなきにしもあらず<、と。>・・・」
http://www.care-news.jp/column/enbo/173_1.html

⇒要は、諭吉は、日本文明は人間主義文明なのだ・・諭吉の頭の中では、恐らく、日本は「万物一体の仁」の国、という認識だったことでしょう・・から徳は十分だが、この徳を日本の外にも普及させようとしてこなかった限りにおいて、それは「私」徳でしかなかったところ、それを「公」徳化させ、アジアを解放/復興させなければならないのであって、かかる目的を追求するためには、日本文明において不十分であった智、つまりは科学、とりわけ経験科学、の振興を図ることによって、それを富国強兵の手段として活用する必要がある、と、訴えたのだと思うのです。
 なお、丸山は、ここで、「知」ではなく、諭吉自身が用いた「智」と書かなければいけませんでした。
 (想像するに、諭吉にとっては、「知」は知識、「智」は科学、だったのでは?)(太田)

 自分の主張は自分の内心の好悪、自分の内面の心の赤裸々な信条の生の表現ではない。
 少なくとも、必ずしもない。
 ということは、言いかえるならば、彼の言動には多かれ少なかれ、「演技」が伴っているということです。・・・
 彼は・・・いたるところで・・・どんな時節で、どんな場所かということを言っています。
 それは、舞台はなんなのかということです。・・・
 舞台<には、>・・・藩という舞台、幕府という舞台、日本国という舞台、アジアという舞台、世界という舞台、そういう空間的な広がりにおけるいろいろなレヴェルがあります。
 それだけではありません。
 政治という舞台、経済という舞台、教育という舞台、学問という舞台、芸術という舞台、そういうジャンルで区別することもできます。
 空間的だけではなくて、歴史的な、時間的な舞台の違い、これが、時勢を知るということです。
 時勢を知らないといけない。
 いかなる時代であるか。
 昔の時代はこうだった。
 幕藩体制の時代はこうだった、あるいは、中世はこうだった、現代はこうだ。
 時代を知り、時勢を知る。
 これも状況認識の一つの側面です。
 そのなかで状況的な価値判断をするわけです。
 そこから彼がしばしば使うコンディショナル・グード<(conditional good)>という考え方が出てきます。
 コンディショナル・グードというのは、政治的な価値判断の場合にいちばん発揮される<ものです。>・・・
 政治的な価値判断というのは、彼によれば、ベストの選択でないことはもちろんのこと、ベターの選択でさえない。
 彼の言葉を用いれば「悪さ加減」ということです。・・・
 悪さ加減を比較してみるというと、これは状況認識の問題で、非常にシンドイことです。
 彼の政治的な思考が、手っとり早い結論を求めるとかいった、ひ弱な精神ではとてもそれに耐えられないということが、そういうところにも現われています。
 ・・・この舞台は、自分だけで演技して、あとは観客というのではない。
 すべての人が演技として人生を生きる。
 その術を学ばなければいけない、ということになります。
 ・・・社会や政治だけでなく、われわれの人生そのものが結局は芝居なのだという、そういう見方が彼にあるのです。」(191~192、194~195)

⇒丸山は、諭吉の言っていることについての「理解」は浅いながらもそう的は外していない、かつまた、この「理解」に基づき、丸山自身が敷衍的に書いていることも一般論としては概ねまともだ、とは思うのですが、いかんせん、丸山は、自身が書いたことを踏まえた実践をしていない、実践ができていない、と、言わざるをえません。
 私なら、さしずめ、諭吉の演技は、二つのレベルにおいてなされた、と指摘するところです。
 第一は、他人の思想に由来するところの島津斉彬コンセンサスを、それがあたかも諭吉自身の思想であるかのように言い換えた上でTPOを弁えつつ適宜発信していくというレベル、及び、第二は、前から繰り返し申し上げているように、諭吉には、革命家、経営者、教育研究者、という、立場・・更に細かく言えば、このほか、子や親としての立場だってありますし、時系列的にも明治維新より前と後等で立場は当然異なります・・、の優先順位があるところ、これらの立場の違いに応じて、演技のホンネからの乖離度、等、が異なるというレベル、です。(太田) 
 
(続く)