太田述正コラム#11165(2020.3.14)
<2020.3.14名古屋オフ会次第>(2020.6.4公開)

1 始めに

 本日は、カプセルホテルを10:00にチェックアウトして、ブランチとして、名古屋駅構内の、和食系簡易レストランで蕎麦とカレーのモーニングセット、喫茶店でサンドイッチのモーニングセットを食べて、名古屋オフ会会場に赴いた。
 私以外の5名の参加者は、1人がSkype参加者、残りが実参加者であり、うち1人は女性でした。
 なお、Skype参加者も、Skype画面でもって、記念撮影に入ってもらいました。
 参加者5名の内訳は、文十郎さん(主幹事)、KMさん(副幹事)、Tご夫妻(一方とカイロ時代に接点)、そして、Skype参加のAOさん、です。

2 質疑応答(oは私です)・・順不同。また、一次会と二次会の区別もしていない。

a:日本が神仏混交になったのはどうしてかを解明してほしい。
o:現在、再び、私にとっての課題が切れている状態であり、他にも何かないだろうか。
a:モード転換論を肉付けして日本の通史を、将来、誰かが太田さんの書いたものを元に書けるようにして欲しい。
o:確かに、古代、江戸時代、明治・昭和初期、に関するコラムはかなり貯まってきているが、鎌倉時代や室町時代はないな。
 こういう話をしていて気付いたが、日本型政治経済体制の、日本の古代以来の歴史を書く必要もありそうだ。
a:日本型経済体制についてだが、世界、どこの国でも、取引相手と信頼感に基づく長期的関係を取り結ぶものである、と、自分は認識しており、従って、別段、ユニークなものではないのでは?
o:それが日本型「政治経済」体制である点がユニークなのだ。
 日本において、企業間、企業内、のものを含む、広義の「政治」が、経済と不可分の関係があるのがユニークなのだ。
 これも、「課題」に入れるべきかもしれないな。。
c:欧米のヒューマニズムの人間主義に比しての問題点は何か?
 例えば、キリスト教徒以外には適用されないのでは?
o:それは、「課題」に付け加えよう。
d:朝鮮半島南部と九州北部とが人の往来が密で同じ文明に属していた、との太田説は、海が間にあって両者を隔てていたのだから、違うのではないか。
a:支那の寧波は、遣隋使や遣唐使が送られる際に使われた港町だが、海というものは、海流等の関係で、離(へだてら)ている人々を結びつけることが往々にしてある。
 具体的な例を出せば、対馬が福岡県ではなく、長崎県なのもそういうことだからだ、と思うのだ。。
 だから、古代における、朝鮮半島南部と北九州との関係、も同じだったのではなかろうか。:
e:カイロ時代に同じ小学校で、太田さんは4年生、自分は3年生、の時に、太田さんが英語を教えてくれた。
 太田さんは、きれいなイギリス英語を喋り、フランス語もでき、教え方もうまく、また、スポーツにも堪能だった。
 ピアノもお上手でベートーヴェンの曲を聴かせてもらったことがある。
o:スポーツの話は、誤りだ。
 自分は、スポーツはからっきしダメな人間だからだ。。
e:でも、水泳等を行っていた。
o:当時、「プールにせっせと通ったりしていた」といったことは認めるが・・・。
f:コロナウィルス問題の見透しは?
o:世界中の誰もが知りたがっているが、誰も、答えられないだろう。
a:そんな中、英国の冷静な対応には感心させられる。
0:日本の対応についてもそう悪くはないのではないか。
 日本は人間主義国であるのに対し、英国(イギリス)は人間主義的な国だから、という点と、それに、ハグ等の「濃厚接触」を盛んにやるイタリア人とは違って、英国人(イギリス人)は殆どやらないから、という点、も上げなければなるまい。