太田述正コラム#11169(2020.3.16)
<2020.3.14名古屋オフ会次第(続々)>(2020.6.6公開)

b:杉山元が無視されているのは、史料が消されているためか。
o:(日本の古代史なんて、(考古学的/文献的)史料が近現代史に比べればはるかに乏しいけれど、それなりに、様々な仮説が提起され、議論がなされてきており、同様のことが日本の近現代史においてもあってもいいし、あって当然だろう。)
 やはり、第一に、(広義の)日本近現代歴史学者達における切実な思いのなさのためだろう。
 杉山を含む当時の帝国陸軍について、切実な思いがあればすぐ見えて来るはずの追究課題がいくらでもあるはずなのに、それらを碌に追究してくれていないのだから・・。
 例えば、帝国陸軍の上層部の大部分が帝国主義的狂気に陥っていた的な指摘がなされることが通常だが、それでは、帝国海軍と違って帝国陸軍が最後まで割れなかった理由が説明できない。
 正気の人々が若干でもおれば、割れていたはずだからだ。
 ならば、帝国陸軍の上層部の全員が狂気に陥っていたというのか。
 でも、大きな国家機関の上層部がほぼ全員狂気に陥る、という例が、それまでに、古今東西、果して存在しただろうか。
 そうなると答えは一つ。
 全員が狂気どころか全員が正気だった、ということしかなかろう。
 ここまで来れば、正気の国家機関である帝国陸軍が、絶対に負ける戦(いくさ)をあえてやったのは何故か、解答を出さなければならなくなる。
 とまあ、こういった具合に話が進まないのは、彼らに切実な思いがないためだ、と私は言いたいわけだ。
 (ここで、彼らは、引き分けに持ち込める可能性があると思っていたのだろう、といった反論が予想される。
 帝国陸軍上層部が、戦の帰趨の予想を間違えるなんてことはありえない、ということくらいは説明すれば大方の人は納得してくれるが、米英両政府、とりわけ米国政府、の対応の予想は容易ではなかったはずだ、と。
 だから、彼らは、米国政府が途中で嫌気がさして引き分けに応じる可能性がある、という希望的観測を抱いていたのではないか、と、多くの人が、最後の抵抗を試みるだろう。)
 で、第二に、世の中には恐ろしく頭が良い人がいるということを、戦後の日本の歴史学者の誰であれ、まず知らない、ということが問題になる。
 (これを知らないと、帝国陸軍の最上層部の人々が、恐ろしく頭が良い人々だった場合、どれだけ、優れた情勢判断や戦略立案ができるか、ということを想像することができない。
 この想像ができないと、彼らが、米国政府は絶対に引き分けになどしてくれるワケがない、と読み切っていたはずだ、ということが想像できないのだ。
 この想像さえできれば、全く展望ゼロだというのに、一体どうして、帝国陸軍は対米英開戦をしたのか、を解明しなければ、と、眦を決するはずなのだが、恐ろしく頭が良い人を知らないために、誰もそんな問題意識を抱くことがないまま、現在に至っているわけだ。)
a:伊勢うどんの話(コラム#11163)についてだが、コシのあるうどんって讃岐うどんくらいなもので、一般にはうどんにはコシがないものだ。
o:へえ。

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[03-13伊勢観光メモ]

 パソコンの電池切れのおかげで急遽伊勢観光をしたのだが、「うどん」の話題を記したところで、忘れないうちに、この観光のメモを残しておこうと思い立った次第。

〇外宮参拝

 外宮(豊受大神宮)については、下掲参照。↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E5%8F%97%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E5%AE%AE
 外宮と言えば、狭義には正宮のことを指しているところ、私は、この正宮のほか、以下の3宮にもお参りをした。↓

 多賀宮
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E8%B3%80%E5%AE%AE
 風宮
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E5%AE%AE
 土宮
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%AE%AE

 (それぞれにウィキペディアがあるというのは、さすがだねえ、と、感心した。)
 最後にせんぐう館だ。
 このせんぐう館は、2017年10月に台風21号で被害を受け、2019年11月にリニューアル開館したばかりであったところ、コロナ禍で再び休館中だったが、休憩所には入ることができ、大きな人工池が目の前に広がり、天気が良かったこともあり、気分は最高。
 イスに腰を下ろして、外宮紹介ビデオを見ながら休憩した。↓
https://www.sengukan.jp/
 構外に出る直前、手水舎でお清めをするのを忘れていたことに気付いたが後の祭り。
 ここで昼時になった。
 何か伊勢のものを食べようと、河崎(下出)への道順の再確認をしがてら、観光案内所で尋ねた。

〇河崎

 伊勢における河崎について(含ロケーション)は下掲参照。↓
http://www.isekawasaki.jp/about/
 最初に、観光案内書ご推奨のつたやで、昼食として伊勢うどんをいただいた。
 下掲の写真のものに、若干加薬を加えたものにしたが、既に記したように絶品だった。
https://www.ise-cci.or.jp/iseudon/sp/udon.php?no=20151215105110
 店を出てから、伊勢河崎商人館で客寄せされたが、入らずに通り過ぎた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E6%B2%B3%E5%B4%8E%E5%95%86%E4%BA%BA%E9%A4%A8
 で、川の駅でちょっと休憩。↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%B4%8E_(%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%B8%82)
 上出それぞれの位置関係が下掲に載っている絵図で分かる。↓
http://www.isekawasaki.jp/file/machinami_20160214.pdf
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