太田述正コラム#11362006.3.21

<アイルランド史から見えてくるもの(その2)>

3 第二次英仏百年戦争の最初の戦場

 皆さんの多くは、いわゆる名誉革命(Glorious Revolution)について、「1688年イギリスでおこった・・革命・・。流血がなかったのでこの名がある。」http://www.tabiken.com/history/doc/S/S083L200.HTM。3月21日アクセス)という認識をお持ちだと思います。

またこの革命について、清教徒革命の後、イギリスでは王制復古がなったものの、チャールス2世の後を継いだ、チャールスの弟のジェームス(ジェームス2世)が反議会的政治を行ったため、1688年、イギリス議会がジェームスの娘メアリーとその夫でジェームスの甥にあたるオランダ総督オラニエ公ウィレム(ウィリアム)(Dutch stadholder Willem of Orange)に救援をもとめたところ、メアリーとウィリアムは2万人の兵士とともにイギリスに上陸し、ジェームス2世はフランスに亡命し、翌1689年に、メアリー(2世)とウィリアム(3世)はイギリスの共同国王に就任し、議会の要望を受けて前年に発した権利宣言を踏まえ、権利章典を制定した(http://db.gakken.co.jp/jiten/ma/607130.htm。3月21日アクセス)、というくらいのこともご存じのことでしょう。

しかし、この革命は決して無血ではありませんでしたし、この革命をイギリス史の観点からのみ語ることもまた不適切なのです。

すなわち、名誉革命は、イギリスでこそほとんど無血であったものの、スコットランドではジェームズ2世シンパの反乱が起きますし、アイルランドでは、ジェームズ2世がフランスのルイ14世の支援の下、フランス軍を率いてアイルランドに上陸し、カトリックのアイルランド人がこれに同調して、イギリス軍との間で激しい戦闘が起きるのです。

16907月1にアイルランドのボイン(Boyne)で行われた戦いで、ウィリアム率いるイギリス軍3万6,000人がジェームス率いるフランス・アイルランド連合軍に大勝利を博し、その一年後にアイルランドはイギリス軍に完全に平定される(http://www.bbc.co.uk/history/timelines/ni/battle_boyne.shtml。3月18日アクセス)のですが、再度フランスに亡命したジェームズは退位を肯んじず、また引き続きフランスはジェームス2世を庇護し続けます。

上記の名誉革命にせよ、名誉革命に伴う上記戦闘にせよ、これらは、1688年に、ウィリアムらのイギリス上陸以前に既に始まっていたところのファルツ継承戦争(=War of the Grand Alliance<反仏>大同盟戦争=アウグスブルク同盟戦争=9年戦争=ファルツ戦争。1688?1697年)・・いささか単純化して申し上げれば、プロテスタンティズムと教皇主義(Popist=カトリシズム)、ないし自由と絶対主義(absolutism=専制)の間の戦争・・の一環として論じられるべきなのです。

しかもこの戦争は、ファルツ継承戦争の終結によって終わったわけではありません。その次のスペイン継承戦争(the War of the Spanish Succession1702?13)の終結までを一括りにして25年戦争ととらえ、数百万人の死者(焦土戦術による民間人の死者や飢饉による死者を含む)を出したこの25年に及ぶ戦争こそ、最初の世界戦争であったとする見方があります(注5)。

(注5)その戦場は、英仏の北米・インド植民地に及んだ。

 

 また、ファルツ継承戦争へのイギリスの参戦(1869年)(注6)から、ジェームス2世の孫のボニー・プリンス・チャーリー(Bonnie Prince Charlie)によるスコットランド/イギリス侵攻(1745年)(注7)(コラム#181)・7年戦争(1756?63年)(コラム#457)・米独立戦争(1775?83年)(コラム#502?504621)・フランス革命戦争/ナポレオン戦争(1793?1815年)(注8)にかけて、長期にわたって断続的に続いた英仏間の戦争が、18世紀の100年間プラス17世紀と19世紀のそれぞれ10年ちょっとにわたったことから、これを第二次英仏百年戦争と称することもあります。

(以上、特に断っていない限りhttp://books.guardian.co.uk/reviews/history/0,,1733316,00.html(3月18日アクセス)、及びhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E8%AA%89%E9%9D%A9%E5%91%BD(3月21日アクセス)による。)

 (注61689年に、ウィリアム3世はメアリーとともにイギリス国王に就任するとただちに(1686年に締結された)アウグスブルグ同盟に加盟し、イギリスはファルツ継承戦争に参戦する(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%90%8C%E7%9B%9F%E6%88%A6%E4%BA%89。3月21日アクセス)。

 (注7)失敗に終わったが、この間、フランスはブラッセル占領に成功した。

 (注8)この間の1797年に、フランスは大ブリテン島への最後の侵攻を行っている。(もちろん失敗。)

 すなわち、アイルランドは、世界最初の世界大戦にイギリスが参戦した後、最初の英仏間の戦闘が行われた地であると同時に、第二次英仏百年戦争において最初の戦闘が行われた地でもあったわけです。

(続く)