太田述正コラム#11532006.3.30

<イスラムの病弊(その2)>

3 サウディでの話

 (1)大胆な発言

 英国のチャールス皇太子夫妻は、エジプト訪問の後、26日までの三日間サウディを訪問しました。

 そのサウディで、まず話題を呼んだチャールスの発言は、「私がこの20年来やろうとしてきたことは、生きるに値するコミュニティーをつくり出すため、<都市や建物の>設計の過程で車より歩行者を優しく優先することだった」であり、これは暗に、公共交通機関が全くないサウディの首都リヤド(Riyadhの、世界一車優先の都市のあり方を批判したものです。

 しかし、チャールスは、もっと大胆な発言を最終日の26日にやってのけました。

 イスラム教の説教師・宗教裁判官・宗教警察官を養成するサウディの宗教大学(Imam Muhammad bin Saud Islamic University)で、欧米人としては初めて行った講演で、「われわれはイスラム教の偉大なる時代における深さ・精妙さ・想像に関する寛大さ・智恵への敬意、を再発見しなければならない。・・<イスラム>信仰の偉大なる時代を疑う余地無く特徴づけるものは、当時の人々が、聖なるテキストと同時に、神の言葉の時代を超えた意味とその時代の意味、とを弁別する、聖なるテキスト解釈技術が存在することを理解していたことだ。」と発言したのです。

 つまりチャールスは、イスラム保守派の巣窟において、現代に適した形にコーランを柔軟に解釈すべきだ、と言ってのけたわけです。

 しかし、この発言は所期の目的を達成しませんでした。

 というのは、24,000人の男子だけの学生は、この講演を聴講するすることを禁じられ、聴衆は(男性である)役人と政治家だけだったからですし、サウディの新聞もこの発言そのものの報道は行わなかったからです。

 もっとも、仮に学生が聴講していたとしても、学生達がチャールスの発言の趣旨を理解したかどうかは保証の限りではありません。BBCの記者からこのチャールス発言を伝えられた学生は、異口同音に拒絶反応を示したからです。

(以上、http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/4844952.stm(3月26日アクセス)、及び

http://commentisfree.guardian.co.uk/brian_whitaker/2006/03/prince_charles_the_islamic_dis.html(3月28日アクセス))

 (2)つけたし

 チャールス皇太子の政治的発言の数々については、以前にも(コラム#420で)取り上げたことがありますが、最近も彼が提起した、彼の日記(ただし、親しい人間に回覧させていたもの)の英タブロイド紙への掲載指し止め請求裁判の中で、彼が自分を「政治的多数派に抵抗する反体制派(dissident)である」と思っていること、中共が腐敗していて中共の役人達は度し難い古びた蝋人形であると述べたこと、チベットの自治を目指すダライラマに敬意を表して、江沢民が1999年に英国を訪問した時に中共大使館で行われた宴会をあえて欠席し、欠席の事実とその理由がメディアにリークされるようにしたこと、等が暴露されたばかりです。

 このようなチャールスの姿勢は、政治的発言を一切しない、彼の母親であるエリザベス2世とは対照的です。

 英国には憲法がないので、特段国王が政治的発言をすることが禁じられているわけではありませんが、1215年のマグナカルタ・1642年から1651年の議会派と国王派の内戦・1689年の権利の章典、等の歴史を経て、既に150年も前に、当時のビクトリア女王の顧問官(Baron Stockmar)が言ったように、英国の君主は「彼女の大臣の意向どおり、頭を同意のしるしで縦に振ったり、不同意のしるしで横に振ったりする首振り人形」であることが当然視されようになっていました。

エリザベス2世もこの不文律を遵守していることからすれば、まだ国王にはなっていないとはいえ、王位継承順位第一位のチャールスが政治的発言を乱発するのは、異例のことです。

 総じて言えば、英国の政治家やメディアはチャールスのこの種発言をおおむね大目に見ており、自分達の政治的立場に合致した発言をチャールスが行った場合は、喝采まで送る場合があるのに対し、米国では、政治家は他国のことですからもちろん何も言っていませんが、メディアは、英国王の支配を打ち破って英国から独立したからでしょうか、チャールスに批判的です。

 チャールスが英国王に就任した場合、それ以降も政治的発言を続けるとなると、その重みは皇太子当時の比ではありません。母親にならって、沈黙に転じるか、それとも政治的発言を続けて、日本の天皇制に次いで由緒ある英国の君主制の存続を危うくするか、乞う期待、といったところです。

(以上、http://www.csmonitor.com/2006/0306/p09s02-coop.html(3月6日アクセス)による。)

(完)