太田述正コラム#11372(2020.6.25)
<末木文美士『日本思想史』を読む(その62)>(2020.9.16公開)

 「・・・儒者の政治論に対して、まったく別の原理に基づく政治論を展開して異彩を放ったのが、本居宣長であった。・・・
 『玉くしげ』によれば、「まことの道」は普遍的ではあるが、他国では失われて、皇国(日本)にのみ正しく伝わっているという。・・・
 このような宣長の論は、『古事記伝』(1764~98)に集大成される神話研究に基づくものであった。

⇒宣長自身がそう言っていたとしても、宣長の「まことの道」にせよ、それと、ほぼ同値であると私が見ているところの、「もののあはれ」にせよ、要するに、それは人間主義なのであって、それが「普遍的ではあるが、他国では失われて、皇国(日本)にのみ正しく伝わっている」という認識は、明治維新より前の日本の一定以上のレベルの識者であれば、支那史や朝鮮史、と、日本史、との一般的概括的知識を踏まえた比較を通じて、意識的、無意識的に、誰でも、容易に到達する結論であったはずです。(太田)

 宣長以前の神話解釈としては、儒家系の解釈が主であり、例えば山崎闇斎は、神話を五行説によって解釈している。
 注目されるものとして、新井白石の解釈がある。
 白石は『古史通』<(注195)>(1716)において、『旧事本紀(くじほんぎ)』<(注196)>(聖徳太子撰と伝える歴史書)をもとに神代史を考察する。

 (注195)「林羅山らの儒者は当時、倭人の祖は古代<支那>の呉の王である太白の子孫と考えていた。また『釈日本紀』の卜部兼方や一条兼良といった神道の立場の学者は、神は万物の宇宙の根源であり、高天原は虚空にあるとしている。これに対し、言葉の音訓から日神が立たれた土地は日立国で常陸という表記になり、高天原の高は旧事紀で高国と記述あり、即ち常陸国多珂郡であるという。・・・
 水戸藩の文庫に収められて太宰春台・伊勢貞丈・三浦梅園に多大な影響を与えた。・・・
 白石は<支那>の字書『爾雅』を参考に、「天」「日」等の言語学的考察に努め、神とか上も「加美」と同じで 神とは人のこと であると述べている。すなわち、 神とは人のことであって我が国では、普通尊敬しなければ成らない人を加美とよんでいる。これは昔も今も同じで、相手を敬う意味であると思う、今はこれに神の字を充てて使って、上の字であらわす使い方の区別も出て来た<、と>。
 しかし上代特殊仮名遣の研究から「神」と「上」は古くは音が異なっていたことが明らかになっているため、単純に神=上とは言えなくなっている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%8F%B2%E9%80%9A
 「「史は実に拠(より)て事を記して世の鑑戒を示すものなり」と記しており、道徳的教訓を示すものという視点で事実を選定している。この基準から、朱子学者としての白石の君主徳治主義的な観点に見合うものが史実として選定されている。」
https://kotobank.jp/word/%E5%8F%A4%E5%8F%B2%E9%80%9A-64708
 (注196)「推古28年(620年)に推古天皇の命によって聖徳太子と蘇我馬子が著し推古30年(622年)完成したものとある・・・蘇我馬子などによる序文を持つが、大同年間(806年~810年)以後、延喜書紀講筵(904年~906年)以前の平安時代初期に成立したとされる。江戸時代の国学者である多田義俊、伊勢貞丈、本居宣長らによって偽書とされた。近年序文のみが後世に付け足された偽作であると反証されたことから、本文は研究資料・・・として用いられている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%88%E4%BB%A3%E6%97%A7%E4%BA%8B%E6%9C%AC%E7%B4%80
 
 その基本的な態度は、「神とは人也」と見て、合理的な解釈を下そうとするところにある。
 そこから、中国や朝鮮と比較したり、もともとの神話の拠点を常陸を中心とする東国に見るなど、自国中心主義や皇統中心主義を排する特徴ある解釈を提示している。
 それに対して、宣長はまったく逆に合理的解釈を徹底的に排し、『古事記』に書かれたままをそのまま事実として読み取ろうとする。
 それは、一方では契沖(けいちゅう)に始まる『万葉集』研究における古代の発見を継承しながら、他方では荻生徂徠の古文辞学の厳密なテキスト解釈学の影響を受けたものであった。・・・
 <その上で、>神(カミ)を「尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏(かしこ)き物」(『古事記伝』巻二)と定義<する。>・・・
 しかし、そこから日本にのみ「まことの道」が伝わり、それが皇統となっているという日本中心論との間には飛躍がある。・・・」(133~135)

⇒上述したところの、「意識的、無意識的」な、思考過程、を、宣長もまた、書き残していないだけであり、かかる思考過程を勘案すれば、そこに「飛躍」などないのです。
 なお、大久保紀子(注197)は、「宣長の神は、行為する神であり、その「御所為」は日常的にめぐみという形ではたらきを人に」およぼす。神の行為は、君や先祖や親のめぐみとして、日々そこここに見出すことができる。その意味で、宣長が、神を如何に人智の及ばぬ遥かな所においていたとしても、その実、神は人の日常の世界の中に取り込まれていたということができる。」(「本居宣長の神の定義について」より)
http://ajih.jp/backnumber/pdf/28_02_04.pdf
としていますが、そうだとすれば、宣長の神は、私見では、いわば、人間主義を神格化したものであって、論理的にも、「飛躍」はない、ということになりそうです。(太田)

 (注197)1955年~。慶大修士(西洋史)、博士(お茶大)、東京理科大、立教大、お茶大非常勤講師。
https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&ved=2ahUKEwi14NyM9JnqAhVtyYsBHdL7C7YQFjABegQIAxAB&url=https%3A%2F%2Fteapot.lib.ocha.ac.jp%2Findex.php%3Faction%3Dpages_view_main%26active_action%3Drepository_action_common_download%26item_id%3D6777%26item_no%3D1%26attribute_id%3D21%26file_no%3D10%26page_id%3D64%26block_id%3D115&usg=AOvVaw16_B1xNYHFA5SzUh2SU6b2

(続く)