太田述正コラム#11500(2020.8.28)
<高橋昌明『武士の日本史 序・第二章以下』を読む(その47)>(2020.11.19公開)

 「・・・少し前まで、歴史研究者は、戦前の軍国主義への反発から、戦争の研究に関心が薄い、というよりそれを忌避する傾向にあった。・・・

⇒論理的には自分自身もそうだったと告白している、と受け止め、一応、高橋に敬意を表しておきましょう。(太田)

 明治22年(1889)から大正13年(1924)にかけておこなわれた編さん事業の成果である・・・『日本戦史』<(注131)>全13巻・・・は古いものだが、当時なりに史料を網羅して、戦国期の著名な合戦のほとんどを詳述している。

 (注131)「国立国会図書館デジタルコレクション」に収録されており、誰でも無料で読むことができる。
https://shibayan1954.com/degital-library/ndl/sanbouhonbu/

 だから、最近まで戦国合戦の叙述は、好むと好まざるにかかわらず、歴史小説家はもちろん歴史研究者も、これに頼るのが常であった。
 この・・・編さんと刊行の事業主体は・・・陸軍の参謀本部であり、推進力になったのは、参謀次長川上操六<(コラム#9902、9966、10042、10618、10705)>(そうろく)だった。・・・
 川上のドイツ留学・・・は、<明治20年>4月中旬から翌年3月まで続き、戦術関係を学び終わると、週2回「古来戦術の沿革」の講義を受けた。
 その経験が本格的な戦史編さんへの意欲とな<った>・・・と思われる。・・・
 参謀本部の概念は、ナポレオン王国において成立した<のだが、>プロイセンでは1816年に、歴史学者に替わって公式の戦史編さんに取り組む戦史課が<その>部内に創設され、古今のあらゆる戦争を研究することになっていた。・・・
 <日本の参謀本部において、>編集・執筆の中心となったのは横井忠直であった。
 彼は・・・1845<年に>豊前の儒医の家に生まれ、漢学塾で学んだ。
 明治3年(1870)京都府に出仕し学務課長に抜擢される。
 13年友人の勧誘で上京、推薦で陸軍省御用掛(ごようがかり)、15年参謀本部課僚に補され、17年陸軍大学校教授を兼任、23年陸軍編修に任ぜられている。
 古戦史の編修をもっぱらにする傍ら、西南・日清・日露の戦史編さんにも関与した。
 明治43年(1910)官を辞めたが、なお編修の事務を嘱託され、執筆をつづけた。
 大正5年(1916)没。・・・
 川上<は、>・・・「兵学によくあてはまるよう記述しようとしたが、当時の歴史書は今まで一度も今日さし迫って必要な条項を詳しく記録していない。そのため細大漏らさず詳しく、終始が整った戦史を修するに役に立たな」かった、にもかかわらず、手段を尽くして「この書を編」したと述べている・・・。・・・

⇒川上操六は重大な過ちを犯した、と言わざるをえません。
 武士の家の出身でもなければ、戦闘経験もなく、軍事の勉強は陸軍官吏として勤務の傍らでの読書と耳学問だけで、歴史学すら身に着けていない、という横井忠直のような人物に日本の安土桃山時代~江戸時代初期の戦史を執筆させたとは、絶句させられます。
 川上は、戦史編さんに必要な史料が存在しない、と言っていますが、そんな贅沢なことを言う以前に、こんな手抜きをしているようでは、川上を始めとする、当時の帝国陸軍の上層部には、まともな戦史を編さんする意欲も能力もなかった、と、断ぜざるをえません。
 「<明治>22年3月から31年まで<の>・・・2度目の次長就任まで,参謀本部は陸軍省の1局に似た位置にあり,常設の定員さえなかったが,26年の条例改正により定員を確保し,所管事項および権限を大幅に拡張し陸軍省に並列する機関になった。」
https://kotobank.jp/word/%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E6%93%8D%E5%85%AD-48194
という背景があったわけですが、せめて、川上は、戦史編さんは、明治26年以降に、定員としかるべき人材を確保してから始めてしかるべきだったのです。(太田)
 
 <結局のところ、>筆者は『日本戦史』を近代軍人の眼による擬古物語と考える。
 背景には、日本では近代史学のゆりかご時代に、大局観を有した軍事史が根づかなかったこと、外征戦争を志向する軍隊への転換が進むなかで、反対する陸軍反主流派を押えこむ動きの一環として軍人が自由な兵学研究をするのを禁じたこと、戦史といえば戦術と精神力に偏した戦闘戦史としてしか理解できなかった軍人世界の形成があった。」(222~224、226)

⇒「反対する陸軍反主流派を押えこむ動きの一環として軍人が自由な兵学研究をするのを禁じた」に典拠を付す必要は絶対的ですが、見当たりません。
 また、高橋には、帝国陸軍の戦史研究を批判するのであれば、帝国海軍ではどうだったのか、にも触れて欲しかったですし、とりわけ、東大等の史学や政治学(殆ど必然的に政治史学を含む)における戦史・軍事史の「戦前」における欠如・・欠如とまで言い切っていいかどうかはともかく・・について、高橋は触れるべきでした。(「戦後」については、高橋もちょっとだけ言及していますが・・。)(太田)

(続く)