太田述正コラム#12172006.5.5

<チャルマーズ・ジョンソン保護国日韓を語る(その1)>

1 始めに

 日本は米国の保護国だと申し上げてきたところですが、あの(コラム#11451148でお馴染みの)チャルマーズ・ジョンソンが、戦後米国が、日本と韓国という二つの保護国の内政をどのように左右してきたかを、アジアタイムス掲載の論考(http://atimes01.atimes.com/atimes/Front_Page/HE04Aa01.html。5月5日アクセス)に記しているので、それぞれについて、要約してご紹介しましょう。

 なお、部分的に私の言葉に直したことをお断りしておきます。

2 日本篇

 (1)ジョンソンの指摘

 日本は、中共と並んで、現存する最長の一党独裁国家の代表だ。

 日本で自由民主党の、そして中共で中国共産党の支配が始まったのはほぼ同じ時期であり、自民党と中国共産党の違いは、前者が1993年から94年にかけての短期間政権の座を離れたことくらいだ。

 日本が米国の保護国(satellite)であり続けたのも、自民党による日本の支配が続いたのも、宗主国米国の意思が働いている。そこに日本国民自身の意思も働いていることは、日本国民が米国が占領中に押しつけた憲法を墨守してきたこと一つとっても、否定はできないが・・。

 1950年代には、日本社会党が政権を獲ることがないよう、米国は自民党に秘密裏に資金援助を行った。

 また、戦時中軍需相であった岸信介が首相になった背景には米国の意向があった。

 更に米国は、日本社会党の力を削ぐために、日本社会党から分裂した民主社会党を支援し資金援助を行った。

 1960年には、国民の広汎な支持のあった安保改訂反対勢力と対峙した自民党政府を維持すべく米国は腐心した。

 このように米国の保護国であり続けるとともに米国の意向に従って自民党による支配に甘んじる見返りに、日本は、戦後の米国のイデオロギーに反する日本型経済社会体制(Japanese Model)を継続することを許された。

 日本型経済社会体制は、国内的には私有財産制と産業政策(industrial policy(注)・・国家による経済目標・市場・結果のコントロール・・が結合した体制であり、対外的には高関税等による保護主義によって国際的競争から守られていた。

 (注)産業政策は戦後の米国のイデオロギーに反すると言っても、戦後の米国は一貫して国防省による事実上の産業政策の下、軍産複合体が維持され、軍事ケインズ主義が実施されてきた。

 

皮肉なことに、保護主義は、建国以来1940年までの米国の経済政策の基本であり、そのおかげで米国経済は順調に発展したわけなのだが、日本はこのマネをしたのだ。

 (2)コメント

 自民党が米国から資金援助を受けたり、米国のお眼鏡にかなわない人物しか日本の首相にはなれない、といったことは、かねてより小さい声で囁かれてきたことですが、あっけらかんと指摘してくれた米国人ジョンソンに、ここは感謝の意を表しておきましょう。

(続く)