太田述正コラム#11558(2020.9.26)
<2020.9.26東京オフ会次第(その1)>(2020.12.19公開)

1 始めに

 出席者は私を除いて5人でした。
 うち、1人は岩手県からの出席です。
 前回の東京オフ会の前に関西在住の読者から差し入れのあった、氷結清酒、私は前回のオフ会の時に飲みそびれ、その後も、私が一回では飲み切れない分量のパック入りだったので、本日、初めて飲むことができました。
 shihouenさんに改めて御礼申し上げます。

2 「講演」の際に使おうと思って使わなかった資料

 –第一次縄文モードから第一次弥生モードの鳥羽口までの主要事件–

延暦3年(784年) – 長岡京建設開始
延暦4年(785年) – 藤原種継暗殺、皇太子早良親王を廃位
延暦6年(787年) – 長岡京へ遷都
延暦7年(788年) – 最澄、延暦寺を創建
延暦13年(794年) – 長岡京を廃し、平安京に遷都
大同2年(807年) – 伊予親王の変☆
大同5年(810年) – 薬子の変☆
承和9年(842年) – 承和の変☆
天安2年(858年) – 藤原良房、人臣初の摂政となる(摂関政治の始まり)
貞観8年(866年) – 応天門の変☆
貞観11年(869年) – 貞観地震、陸奥国などで甚大な津波被害
元慶4年(880年) – 藤原基経、関白となる
仁和3年(887年) – 阿衡事件☆
寛平6年(894年) – 遣唐使廃止
昌泰4年(901年) – 昌泰の変☆
延喜2年(902年) – 延喜の荘園整理令
延長5年(927年) – 延喜式成立
天慶2年(939年) – 出羽において俘囚が反乱を起こす(天慶の乱)☆。平将門、常陸国府を襲撃し新皇を号する。
          藤原純友も受領を襲撃する(承平天慶の乱)☆
天慶3年(940年) – 平将門敗死
天慶4年(941年) – 藤原純友敗死
康保4年(967年) – 延喜式施行
安和2年(969年) – 安和の変☆
長徳2年(996年) – 長徳の変☆
長和5年(1016年) – 藤原道長、摂政に就任
寛仁3年(1019年) – 刀伊の入寇★
万寿5年(1028年) – 平忠常の乱☆
長元4年(1031年) – 平忠常、源頼信に降服
永承6年(1051年) – 前九年の役始まる☆
永承7年(1052年) – 末法の第一年を迎える
康平5年(1062年) – 安倍貞任敗死、前九年の役終わる
治暦4年(1068年) – 後三条天皇即位、摂関時代の終わり
延久4年(1072年) – 延久宣旨枡制定
永保3年(1083年) – 後三年の役始まる☆
応徳3年(1086年) – 白河天皇、上皇となり院政を開始
寛治元年(1087年) – 後三年の役終わる
嘉承3年(1108年) – 平正盛、源義親を追討(源義親の乱)☆
天永2年(1111年) – 記録荘園券契所設置
大治4年(1129年) – 白河法皇崩御、鳥羽上皇による院政開始
保元元年(1156年) – 鳥羽法皇崩御、保元の乱☆により後白河天皇方が勝利
平治元年(1159年) – 平治の乱☆
仁安2年(1167年) – 平清盛、太政大臣となる(平氏政権)
安元3年(1177年) – 鹿ケ谷の陰謀☆
治承3年(1179年) – 平清盛、後白河法皇を鳥羽殿に幽閉
治承4年(1180年) – 以仁王の挙兵、源頼朝、源義仲も相次いで挙兵(治承・寿永の乱☆の開始)
治承5年 → 養和元年(1181年) – 後白河法皇院政の再開、養和の飢饉
寿永2年(1183年) – 平氏西走し、源義仲入京。後鳥羽天皇即位。源頼朝、寿永二年十月宣旨により東国支配権の承認を得る
寿永3年 → 元暦元年(1184年) – 源義仲、源義経軍により敗死。源頼朝、問注所・公文所を設置
元暦2年 → 文治元年(1185年) – 壇ノ浦の戦いにより平家滅亡。文治の勅許により地頭・守護の設置始まる
https://www.wikiwand.com/ja/%E5%B9%B3%E5%AE%89%E6%99%82%E4%BB%A3

 上掲資料をTVから出力して見せて、この年表に肉付けする「講演」原稿にしようと当初は目論んだのだけれど、果たせませんでした。
 今となっては、☆と★が何を意味するのかも思い出せません。
 この資料を見せなかったのは、「講演」そのものを、「原稿」とは異なった内容のものに急遽切り替えたからです。

3 「講演」用メモ

 実際に行った「講演」は、下掲の「「講演」用メモ」に基づいたもの・・私の知的遍歴・・です。
https://www.youtube.com/watch?v=0QFvnCSK5yA
 (↑このyoutubeをアップしてくれた出席者は、「防衛庁入庁~この講演までの事」というタイトルを付けてくれていましたね。)

エジプト暮らしとピアノ
東大紛争
東大法学部 憲法:芦部信喜/小林直樹 成績
父親(警察か防衛か、戦争体験–しごき(縄文人)、『人間の学としての倫理学』)
防衛庁入庁後の衝撃
防衛庁/自衛隊–ムチャクチャ
経済—高度成長
留学—GSB(運輸省出向者/ハーヴァード失敗)も政治学科登録も偶然の賜物(GSBの一年先輩三枝匡/「同期」中川八洋)
  –日本型政治経済体制(エージェンシー論(一橋大伊丹敬之)/日経連載(長銀竹内宏))
  –その起源(大政翼賛会の無思想性(超近代性))
帰国後—執筆活動
起源—まず岸信介・石原莞爾らに注目
防衛関係費GNP1%突破
英国防大学(RCDS)「留」学。(時代遅れの米国制。ムシャラフ、タイ国王)
このままでは日本脳死(GSBインセンティヴ論、家畜)
出馬(庁内からを断念)→コラム執筆開始も偶然。
人間主義
中共の対日軍事攻勢
中共の日本文明総体継受(上記を含む)
島津斉彬コンセンサス
杉山構想
聖徳太子コンセンサス/桓武天皇構想
日蓮主義
遣隋使・・文明の滅亡と文明の改造
建武中興/朝鮮出兵
近衛/島津

 「(エージェンシー論(一橋大伊丹敬之)/日経連載(長銀竹内宏))」と「起源—まず岸信介・石原莞爾らに注目」は話忘れたと思います。
 どちらも、質疑応答の時にカバーしましたが・・。

(続く)