太田述正コラム#12242006.5.9

<米国史の「真実」(その1)>

1 始めに

 絶対正しい歴史などというものはなく、立場や見方が異なれば違った歴史が見えてくるものですし、新しい史料が発見された結果、歴史が根底から改訂されることもあります。

 今回は、最近私が出会った米国史の新しい見方や面白い見方を、米国の始まりから現在までの各世紀から一つずつご紹介しましょう。

2 17世紀:ピューリタンも勤しんだインディアン虐殺

 イギリス人による北米植民史の初期を代表するのは、メイフラワー号から始まるマサチューセッツのプリマスへのピューリタンの植民です。

 最初のうちはピューリタン達とインディアンとの関係は悪くなかったのですが、ピューリタン達が奥地へと進出するにつれて両者間の軋轢が高まっていきました。

 1675年にはインディアンによるスプリングフィールドの焼き討ちが起こり、これが転換点となりました。

 間もなくフィリップ王の戦争(King Philip’s War。フィリップはインディアン側の指導者のあだ名)と呼ばれる戦争が始まり、約2年間続きます。

この戦争によって、プリマス植民地の成人男子の8%が命を落とします。

しかし、インディアン側はそれどころではなく、壊滅的打撃を受けます。ニューイングランド地方のインディアン人口は戦争前には約2万人でしたが、少なくとも2,000人が戦死し、3,000任が病気や飢餓で亡くなりました。そして、1,000人が船に乗せられて奴隷として売られていき、推定2,000人が逃散しました。すなわち、ニューイングランドのインディアン人口はその6??8割を失ったことになります。

(以上、http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/05/04/AR2006050401617_pf.html(5月7日アクセス)による。)

どうやら、米国史は最初から原住民殺戮の歴史だったようですね。

3 18世紀:政教分離のびっくりする起源

 米国の母国英国は、今でも国王が英国教会の長を兼ねており、そういう意味では政教分離ではありません。

 政教分離なる概念は米国が起源であることは衆目認めるところです。

 しかし、どのようにして米国で政教分離が始まったのでしょうか。

 米国憲法が制定されたのは1788年であり、政教分離規定を含む憲法修正第一条が導入されたのは1791年ですが、その直前の1789年時点で、各州を見てみると、バージニア州こそ政教分離規定を含む憲法を持っていたけれど、6つの州は州教(州の国教)を残しており、その他の4つの州は非キリスト教徒や非プロテスタントは公職に就くことが禁じられており、ペンシルバニア州とノースカロライナ州は神の存在を認める者のみに人権が保障されると定めるとともに州議会議員は旧新約聖書は神(=当然キリスト教の神ということになる)の言葉が顕現したものだと宣誓することを要求され、マサチューセッツ州は州知事は自分はキリスト教徒であると宣誓することとされていたのです。

(以上、http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/05/04/AR2006050401674_pf.html。(5月7日アクセス)による。)

 だから、憲法修正第一条にいう「連邦議会は、国教の樹立を重んじ、または宗教上の自由な行為を禁止・・する法律を制定することができない。(Congress shall make no law respecting an establishment of religion, or prohibiting the free exercise thereof)」には、各州の上記のような宗教慣行を連邦議会の干渉から守る目的も含まれていた、というのが上記ワシントンポスト論考の指摘ですが、私はより端的に、憲法制定時の米国の政教分離とは、キリスト教が国教的存在であることは当然視しつつ(コラム#502??504)、キリスト教の中の特定の宗派が国教的存在になってはならない、という趣旨以上のものではなかったと考えています。

 いや、建国当時の米国は宗教的だったが、それはキリスト教的というよりは、公共宗教(public religion)的というべきであり、米国のモットーである「神を信じ(In God We Trust)」とか、各種公職への就任宣誓の際に「神の下で(under God)」と述べたりするのは、そういう趣旨だ、という主張もあり、その根拠として、米国が建国時からユダヤ教やイスラム教に対して寛容であること(注1)が挙げらたりしますが、私にはそれは、イスラム教国において、ユダヤ教やキリスト教を一段低く見つつも同じ聖典の宗教として迫害はしない、ということと同じ次元の話にしか思えません。

(以上、ワシントンポスト上掲による。)

(1)ユダヤ教に対する寛容さについては、コラム#485??487参照。イスラム教に対する寛容さについては、1791年に米国がイスラム教国のトリポリと結んだ条約の中に、「米国政府は、いかなる意味においてもキリスト教に立脚してはいない」という一項があることを挙げる論者がいる。

(続く)