太田述正コラム#12412006.5.18

<子供の近視はよくなるのか(続)>

1 始めに

 息子を近所の眼科医院に連れて行ったのが13日、都心の視力回復センターに連れて行ったのが16日、そしてこのコラムの前編を上梓したのが昨日の17日でしたが、本日、18日、思いがけなくも、ほぼ結論が出ました。

2 最新の治療法を発見

 息子の視力が上記眼科医院では右0.4、左0.3、視力回復センターでは右0.09、左0.09とされたことが気になっていたこともあり、サード・オピニオンを求めるべく、比較的近所の良さそうな眼科医院をインターネットで調べたところ、ホームページを立ち上げているところを発見し、そこに行こうかと思ったら、木曜は診療がなかったのですが、提携先の眼科医院がやはり比較的近くにあることを発見し、そこに息子を連れて行ったのです。

まさに犬も歩けば棒に当たる、てやつで、行ってみて分かったのですが、そこの女医先生は、日本初の新しい近視治療法である通電治療を、慶應大学医学部の先生と一緒に開発した人だったのです。

この医院で測った視力は、右0.1、左0.08、両目0.15であり、最初にかかった上記眼科医院で出た視力より、視力回復センターで出た視力の方が正しかったことが判明しました。

それだけでなく、女医先生と話をしたところ、前回私が申し上げた、視力回復センター寄りの私の考えが正しいことに確信を持てました。

まとめると次のとおりです。

一、近視は病気でないことから、眼科医は近視を治す研究を怠ってきた。

二、しかし、日本で若者の近視がどんどん増えていることは、近視の主因が遺伝ではなく環境であることを示している(注1)。

 (注)日本では、高校生の50%が近視であり、なお増え続けている。また、目が良かったエスキモーにも、近代教育を受け出してから近視が増えている(http://e-mono.jfast1.net/sports/k1_ganma10.html(5月18日アクセス。以下同じ))。

三、子供に多い仮性近視(偽近視)は、早期に治療すればするほど効果が大きい。治療法としては、視力回復センターを利用するのも悪くない。(しかし、時間とコストの点から、通電治療の方が優れている。)

四、仮性近視にあっては、(眼鏡をつくる場合には過矯正でないものでなければならないことは当然だが、いずれにせよ、)眼鏡はどうしても必要な場合以外は、つくらず、またつくっても用いないことが望ましい。

 (以上、この眼科医院と女医先生についてはhttp://www.e-doctors-net.com/ohtaku/denenchofu/index.html、通電治療についてはこの女医先生の会社のサイトであるhttp://www.drcharis.jp/antiageing/myopia.htmlを参照のこと。)

さっそく試しに通電治療を施してもらったところ、息子の視力は、瞬時に右0.3弱、左0.2、両眼0.4弱まで回復したのです。

今後、週二回この治療を受け、次第に治療間隔を延ばし、治療後時間が経っても視力が下がらなくなったら治療を打ち切る、との説明を受け、私は息子に継続的にこの通電治療を受けさせることにしました。

3 最後に

 現在、日本で通電治療を行っているのは、この女医先生の眼科医院のほか、その提携先の二箇所の眼科医院(http://www.e-doctors-net.com/ohtaku/wakita/index.html、及びhttp://ganka.meditown.jp/ishikawa/treatment.html)の計三箇所だけであり、このように普及が遅れているのは、眼科医一般に近視治療への「偏見」があるからだが、昨今、ようやく全国的にこの治療法を広める環境が整いつつある、と女医先生は言っておられました。

 もっとも、良いことばかりはないもので、息子は、平素から軽い偏頭痛持ちであったところ、このところ、ストレスが多く、疲労が蓄積していたこともあってか、女医先生の所から帰宅してから、強い偏頭痛に見舞われ、寝込んでしまいました。

 そこで、急遽女医先生の再診察を受け、特効薬を処方してもらい、ほぼ回復しました。

 何でも、通電治療は血管を拡張するので、偏頭痛の引き金になったのだろうとのこと。

 先生は、通電治療後に毎回こうなるとは考えにくいので、今後とも通電治療の実施を勧める、と言われるので、明後日に予定されている次回の通電治療を息子に予定通り受けさせ、様子を見ることにしました。

 それにしてもこの6日間は、インターネットを通じた私自身の情報収集・分析が本件でもおおむね誤っていなかったことにほくそ笑み、医療や健康の分野が日進月歩であることに改めて感嘆し、そして最先端のものを含むあらゆるものが狭い地域に集積している東京に住んでいる幸せを噛みしめた、貴重な日々でした。