太田述正コラム#12562006.5.25

<アングロサクソン論をめぐって(続x3)(その3)>

 この手の論考は、イギリス人の間では常識的な共通認識・・アングロサクソン文明は世界の頂点に位置し、欧州文明も、その他のもろもろの文明同様、一段と低い野蛮な文明である・・をイギリス人たる筆者とイギリス人たる読者が密かに再確認し合い、ほくそ笑み合うのが目的なのです。内々のエールの交換だ、と言ってもいいかもしれません。

 そんな身内同士の密かな楽しみのために、イギリス人以外の人々、とりわけ一衣帯水の位置関係にある欧州の人々、を怒らせてしまうようなことは愚の骨頂であり、避けなければなりません。

 そこで筆者は、意図的に論理構成を無茶苦茶にすることによって、欧州の人々に具体的な攻撃材料を与えないようにしているのです。

欧州の人々は、イギリス人が自分達を野蛮人視していることをうすうす感づいているし、この論考がこのようなイギリス人の欧州観を記したものであることも何となく分かるけれど、筆者は、プライドが高い欧州の人々が、明確に侮辱的文言が記されているわけではない上に論理構成も無茶苦茶である論考であれば、怒りを飲み込んであえてイチャモンはつけないことを知っているのです。

3 18世紀の欧州に起こったことは何だったのか

 では、18世紀の欧州を席巻した新思潮の正体は一体何だったのでしょうか。

 前から私のコラムを読んでこられた読者にはお分かりでしょうが、私は、その新思潮とは民主主義独裁の理論であり、この理論のつくったのはスイス出身のフランス人、ルソーであると考えています(コラム#646671)。また、今まで申し上げたことはありませんが、この理論を初めて実践に移したのがフランス人革命家のロベスピエール(Maximilien Robespierre1758??1794年)であると考えています。

 実のところ、以上はイギリス人の考えでもあるのです。

 このことを、イギリス人の手になるロベスピエール論を例にとって検証しましょう。

 少し古いところでは、英百科事典ブリタニカの1911年版(http://en.wikipedia.org/wiki/Maximilien_Robespierre。5月25日アクセス)

が、ロベスピエールについて、次のように言っています。

 「何千人もの他のフランス人の若者と同様、彼はルソーの著作を読んでそれれらを聖書(gospel)のように受け止めていた。この幻想が人生の現実によって破壊されるされる前に、そしてくだらない(idle)夢や理論の愚かしさ(futility)を教えてくれたかも知れない経験を積まないまま、彼は国会(states-general)議員に選出されてしまった。・・その彼は・・パリのジャコバン・クラブで彼に耳を傾ける(彼と同様の)ルソーの使徒達と出会う。・・彼は自由主義的見解と実際的本能(liberal views and practical instincts)を身につけていなかった。・・致命的な過ちは、<彼のような>理論家に権力を持たせたことだ。・・<その結果が>恐怖政治(terror)<だった。より正確に言えば、始まりつつあった>恐怖政治を、ロベスピエールは、自分の考え(ideas)と理論を実行に移すために増幅したのだ(intensified)。」

 上梓されたばかりの、イギリス歴史学者スカー(Ruth Scurr)によるロベスピエールの伝記、Fatal Purity: Robespierre and the French Revolution のイギリス人女性作家による書評http://books.guardian.co.uk/reviews/biography/0,,1779041,00.html。5月20日アクセス)を見ても、イギリス人のロベスピエール観は変わっていません。

 「彼が学校で学んだ<古代>ローマ共和国の政治的理念(ideals)、及び発禁図書だがベストセラーだったルソーの諸著作・・が一緒になって、ロベスピエールの、社会的平等と正義の理念に対する深く確固たる信念が形成された。・・彼は野心家で高度の自負心があった。・・後の1930年代のドイツにおけるヒットラーのように、彼が個人的に追求していたもの(theme)と時代のそれとが合致した。・・<こうして>ロベスピエールと共和国は一つに合体し、暴君(tyrant)となり、・・革命の敵であるとの嫌疑をかけられただけで、死刑を宣告されても不思議ではない体制が生まれたのだ。」

4 エピローグ

 これまで累次申し上げてきたことと大幅にオーバーラップしますが、ここで私が考えるところのイギリス人のホンネの近現代欧州観を改めてまとめておきましょう。

 先進国イギリスに劣等感をいだき、このイギリスに追いつき、追い越すにはどうすべきかを欧州で初めて考えたのが18世紀のフランスの知識人だった。

 しかし、ヴォルテールのように、イギリスの政治経済システムを直輸入することによって近代化を図れと説いた人々は主流とはならず、最終的に勝利をおさめたのは、欧州的な考え方を生かして近代化を図れと叫んだルソーだった。

 欧州的な考え方とは、古代ローマないしカトリシズムに由来する合理論的・演繹的な考え方・・理論ですべてを割り切ろうとする・・だ。これに対し、イギリス的な考え方は、ゲルマンに由来する経験論的・帰納的な考え方・・理論と現実のフィードバックを重視する・・だ。

 ちなみに、合理論的・演繹的な考え方を徹底させると無神論となる。これに対し、イギリス人は生活の知恵的な自然宗教観を抱き続けてきた。

 イギリス的な考え方は改革と妥協的政治をもたらし、欧州的な考え方は革命と恐怖政治、つまりは野蛮な民主主義独裁をもたらした。

 民主主義独裁の理論を打ち立てたのがルソーであり、この理論を初めて実践に移したのがロベスピエールのジャコバニズムだ。そしてこのジャコバニズムの発展型がナポレオンのナショナリズムであり、レーニンのマルクスレーニン主義(共産主義)であり、ムッソリーニやヒットラーのファシズムなのだ。