太田述正コラム#12812006.6.7

<東大法学部群像(その5)>

 もう一点お断りしておかなければならないのは、私がこれから書くことは、「原田」の一冊の「本」の批判自体が目的ではなく、この本の空疎さを通じて、かねてから私が感じている日本の論壇全般の空虚さを皆さんに体感していただくのが目的だ、ということです。

 これまで何度も申し上げていると思いますが、私はこの10年来、日本の社会科学や論壇の動向をフォローするのは止めています。ですから、事実やデータを調べたい場合以外は、学術本・学術雑誌以外の本、総合雑誌、新聞掲載の論説・論考の類はまず読みません。

 どうしてか?

 洞察力に欠けるか、(実体験、または信頼できそうな文献の)典拠が示されていないか、もしくはこの両方であるものばかりだからです。

 一番困るのは、学者が書くものですら、学術本・学術雑誌以外に掲載されるものには典拠が示されていない場合が多く、評論家の書くものに至っては、典拠が示されていたためしがないことです。

 極論すればそんなものは、著者の妄想の雑記帳に過ぎないのであって、およそ使いものになりません。

 長ったらしいお断り(disclaimer)はこれくらいにして、本題に入りましょう。

 (2)空疎な内容

 原田の本の「はじめに」の中で、「私たちが生きる戦後日本の「すべて」が、アメリカ合衆国(米国)の対日国家戦略の決定的な影響力の下にある。」(9頁)という一節を眼にした時、ここにも日本が米国の保護国だと考えている人間がいる、これはひょっとして久しぶりに読むに値する本に出会ったかも、という期待感を持ちました。

 しかし、その期待感は、次の頁の「「IT」とは本当は米国が軍事戦略目的の道具として開発し、世界中に<情報の収集という>一定の意図を持って普及させたものだ」というくだりで一挙にしぼんでしまいました。このくだりの前段は常識ですが、後段は非常識な珍説だからです。

 しかし、常識が間違っていることもありうると思い直し、念のため、第四章「決定打としての「IT革命」」を先に斜め読みしてみました。

 そうすると、「インターネットはそもそも米国が開発したものである以上、そこに米国の「奥の院」しか知らないある種の仕掛けがなされていても当然だ。私は非外交ルートを通じて米国の「奥の院」からのささやきを聞くなかで、実は米国政府はすべてのサーバを開き、そこを経由するすべての電子メールを読む技術を有しているという情報に接した。」(143頁)と書かれているではありませんか。ゴルゴ13じゃあるまいし、これでは上記珍説は典拠のない妄想であった、と告白しているようなものです(注3)。

(注3)アングロサクソン諸国による電子メール等傍受システムであるエシュロンの存在は公然の秘密だが、エシュロン(Echelonは「サーバを開く」ものではない(コラム#105)。

 ここで、この本をゴミ箱にたたき込んでもよかったのですが、私のコラム読者の「啓発」材料にできるかと思い、もう少し斜め読みすることにしたのです。

 読み始めてほどなく、この本で原田は、「米国の・・非民主的な・・「奥の院」である三つの要素・・軍隊という「物理的強制力」と、情報機関という「情報力」、そして・・血筋という「閉鎖的ネットワーク力」・・が米国社会の中で一つのネットワークを織り成している・・<ところ、この「奥の院」>が、ある一貫した発想をもって対日政策を展開してきている」(18??21頁)ことを知った上で、対抗手段を講じるべきだ、と言いたいことが分かりました。

 しかし、そのためにはまずもって、「」内の命題が正しいことを典拠でもって示さなければならないはずです。

 しかし、私が探した限りでは、この本の中に、典拠たるべき原田の実体験も、文献も全く出てきません。

 実体験が出てこないのは分からないでもありません。

 なぜなら、原田は「私は米国留学組という意味での「アメリカン・スクール」の一員として、外務省の中で育てられてきた者ではない。また、いわゆる「日米経済交渉」の最前線に立ったこともない」(12頁)からです。

 しかし、文献の典拠すら示されていないのでは話になりません(注4)。

 (注4)「閉鎖的ネットワーク力」の外延なのであろうか、米国の「奥の院」によって、日本のビッグファイブ系公認会計士や、米国系コンサルタント、更には米国でMBAを取得した日本人は、米国のヒューマン・インテリジェンス・ネットワークにからめとられている、とも原田は主張している(131??135)が、その唯一の典拠ならぬ傍証として彼が挙げるのが、米国でMBAを取得した人間には、「世界中どこへ行っても一生使える電子メールアドレス・・<が>渡される。これを使っている間に日本人卒業生たちの行動<を>トレースすることが可能なのである。」という「事実」だ。前述のIT妄想と結びついて、原田の妄想は限りなく膨らんで行く。

考えてもみてほしい。確かに私もスタンフォードMBAとしてメルアドをもらった。(一度も使ったことはない。)しかし、こんなサービスは、日本の旧帝大合同同窓会とも言うべき学士会でも提供している。(私は学士会のメルアドも使ったことはない。)

 これは典型的な陰謀論です。

 しかも、田中宇のように、怪しげな典拠すらつけようとしない、という意味ではより無責任な陰謀論です。