太田述正コラム#12007(2021.5.9)
<皆さんとディスカッション(続x4798)>

<tVBItST2>

 安心してください。
 女系だろうが、男系だろうが、遅かれ早かれ皇室とはおさらばです。
 だから女系か男系かという議論は、無意味です。
 そんなことより、死ぬまでに、皇室がなくなる瞬間に立ち会えるかもしれないラッキーに感謝しつつ、残された人生を謳歌しましょう!

<太田>

 そりゃ、日本は脳死したんだから、日本史をどう解釈すべきかどうかという議論は無意味です、という主張につながる暴論。
 古代エジプト史にしても日本史にしても、古代エジプトや日本の存続とは無関係に解釈されるべき。
 なお、「遅かれ早かれ皇室とはおさらばです」は単なる落書きに過ぎない。
 「遅かれ早かれ人は死にます」という命題と違って、全く根拠(典拠)が示されていないからだ。
<Py5h21vI>(「たった一人の反乱(避難所)」より)

 原理主義的な男系継承は、戦後、皇位継承問題が生起した際、でっち上げられた理論。↓

 「「天皇の皇位がなぜ男系によって継承されてきたか」。これに答えるのは容易ではない。そもそも、人々の経験と英知に基づいて成長してきたものは、その存在理由を言語で説明することはできない。なぜなら、特定の理論に基づいて成立したのではないからだ。天皇そのものが理屈で説明できないように、その血統の原理も理屈で説明することはできないのである。」<(竹田恒泰)>
http://www.hokkaidojingu.or.jp/sizume/column/takeda3.html

⇒後で記すような理由で、私は必ずしもそう思わない。(太田)

 男系継承(父系制)の始まりは、藤原氏の摂関政治(9世紀)。↓

 「父系制は天皇家から始まる。皇位が父系的に継承されるのは9世紀である。9世紀初頭になると天皇家の母方親族を外戚と認識するようになり双系制が崩れる。渡来人を母系とし天智天皇の孫である桓武天皇は、諸氏に系譜書を提出させて政治的な父系継承を強化した。10世紀には官職や役職は父子で世襲することが一般的になり、政治力を行使できない女性の地位は低くなっていく」
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%A5%B3%E6%80%A7%E5%8F%B2&oldid=83048507

⇒これは正しいのでは?(太田)

 「藤原氏は代々その娘を天皇のきさきにし,その子を天皇に立てて,天皇の外戚(母方の親戚)となり,皇室との関係を深め,他の有力な貴族(たとえば大宰府に流された菅原道真のように)をしりぞけ,政治の実権をにぎるようになった。藤原氏は天皇が幼いときは摂政,成人のときは関白となり,天皇に代わって政治を行った。これを摂関政治という。」
https://kids.gakken.co.jp/jiten/dictionary03400349/

⇒私の説では、摂関政治は、天皇家と藤原氏のコンセンサスに基づいて導入されたものであることはご承知の通り。(太田)

 「妻問婚は平安時代まで継承され、これが摂関政治成立の原因のひとつとなった。藤原氏を妻に持つ天皇の子は、母の一族である藤原氏のもとで養育され、その子が長じて天皇になった場合に、藤原氏の意向に従う存在となるのは当然の帰結であった。しかしながら平安時代中期より制度に変化が見られ、生まれた子供の養育を父の一族で行う慣例となり、これが後三条天皇以降の摂関政治の衰退の原因となる。」
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%A6%BB%E5%95%8F%E5%A9%9A&oldid=59603849

⇒「摂関政治の衰退」もまた、天皇家と藤原氏のコンセンサスに基づく成り行きであった、との私の説についてもご承知の通り。(太田)

 これは、ようするに、女系制(母系制)の強い古代日本において、藤原氏が円滑に権力を掌握する手段として、天皇の父系制を制度化し、利用したってこと。
 その結果、日本の支配層における女系制が衰退し、ひいては(女系制社会を政治基盤とする)藤原氏の衰退に繋がったって救いようのない話。
 そして、母の一族で次代の天皇が養育されるのだから、論理必然的に女系天皇と藤原氏(摂関政治)は相容れなかったってわかるよね。
原理主義的な男系継承は藤原氏のエゴを脳死で継承しているだけ。

⇒摂関政治の導入とその衰退についての私の説で説明して欲しい部分を除き、同感。(太田)

 藤原氏以前の話をすると、

 「6世紀末から8世紀後半にかけて6人8代の女帝が即位した。同時代に男性天皇が7代であったことを考えれば半数が女性であったことになる」
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%A5%B3%E6%80%A7%E5%8F%B2&oldid=83048507

 上掲の女性天皇は皆男系だって言うのかもしれないけど、女性の支配者に忌避感のない(且つ遺伝学とは無縁だった)当時の日本人が男系女系に頓着していたと考えるのは不自然。
 単純に、政治力学として、男系天皇の方が、子供を母方で養育できる都合上、好まれたという話ではないか。
 その当時の意識(女性性)の現れが、神話にも反映されているという話。
 つまり、皇室はアマテラスを皇祖神に戴き、*アマテラスの神勅により皇室が代々日本を統治している、と言う正統性の所以にしている。

*天壌無窮の神勅
「・・・瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就でまして治らせ。・・・」
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A5%9E%E5%8B%85&oldid=76904709

 古代日本は女系制の強い国であったと言うのに、皇室の永続性を犠牲にしてでも、女系を認めないと言うのは、理解ができない。
 そもそも、創作物(アニメ、マンガ、ラノベ)では君主は女性・女系頓着せず、かわいい女の子ばっか。
 変に長い間男系継承が慣習化してしまったせいで、あとづけ的にあれこれ言う人が出て来てしまっただけで、その感覚は古代から変わってないと思うぞ。

⇒概ね、同感。(太田)

<ZK20QGrw>(同上)

 「<・・・継承者不在となった例は江戸時代にもあったが、その時は閑院宮家から光格天皇が即位し、皇統断絶の危機を防いだ。なお、閑院宮家創設は、光格天皇即位の71年前である。時の為政者だった新井白石が皇統断絶の危機に備え、宮家を創設していたので危機を免れた。皇位継承を論じる際には、歴史に学ぶ姿勢が何よりも重要である。
 皇室において最も重要な原則がある。先例、男系、直系である。この順番を間違えてはならない。皇室とは先例によって出来上がっている世界なのだ。・・・
 最も重要な先例は皇位の男系継承である。・・・
 最も血縁が遠い皇位継承は、第25代武烈天皇から第26代継体天皇の先例だ。武烈天皇と継体天皇は第15代応神天皇を共通の祖とする。応神天皇は、二人の高祖父の父である。日本語には「高祖父の父」に当たる言葉はない。「父の父の父の父の父」である。これほど血縁が遠いにも関わらず、男系継承は守られた。西暦507年の出来事と伝わる。1500年前には、男系継承は絶対との伝統が確立していたのだ。

⇒「原帝紀の編纂と同時期(6世紀中葉か)に<継体天皇の>系譜伝承が成立したものと考えられる。・・・
 <この原帝紀を踏まえ、>『記紀』は共に継体天皇を応神天皇の5世の子孫と記している<が>、『日本書紀』はこれに加えて継体を11代垂仁天皇の女系の8世の子孫とも記している。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%99%E4%BD%93%E5%A4%A9%E7%9A%87
 ちなみに、継体天皇の父が応神天皇子孫の彦主人王、母が垂仁天皇子孫の振媛/布利比弥(ふるひめ/ふりひめ)であって、「男大迹王が幼年のうちに夫の彦主人王が薨去してしまった」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%AF%E5%AA%9B
、という次第だが、私は継体(新)王朝説
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E4%BA%A4%E6%9B%BF%E8%AA%AC
を採っているところ、当時は、支配層(弥生人系)は、母系制への移行過程にあって、双系継承制であったのではないかと見ており、だからこそ、継体天皇の帝紀編纂時、すなわち6世紀中葉(?)においては、双系制を踏まえた系譜が創られた、と想像している。
 ところが、天武朝下で、記紀編纂の実務にあたった藤原氏が、その内容を、将来の武家創出を念頭に、支配層の父系制への回帰を意図したものへと潤色させた、とも。(太田)

 継体天皇の先例は重要で、「五世の孫」は皇籍を離れることとなる。例外はあるが、皇位を継承する直系に属さない皇族は、五世以内に皇室から離れて臣下(民間人)となるのが原則だ。
 多くの外国では、血縁さえつながっていれば、未来永劫、王室に残れる。それが争いのもとになってきた。・・・
 今は皇族が少なすぎるのでわかりにくいが、多すぎても皇位継承は安定しないのだ。

⇒イギリス王室は、12世紀半ばから16世紀半ばを除き、双系制だった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%80_(%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E7%9A%87%E5%90%8E)
し、「血縁さえつながっていれば、未来永劫、王室に残れる」こととされてきた
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E7%8E%8B%E4%BD%8D%E7%B6%99%E6%89%BF%E9%A0%86%E4%BD%8D
にもかかわらず、イギリス王室は11世紀後半から現在まで続いてきており、他方、日本でも、王位(皇位)継承が常に安定的に行われてきたわけではない。(太田)

 そもそも、なぜ男系継承なのか。女性差別なのではないかとの誤解もあるようだが、まったく逆である。男系継承とは、男性排除の原理なのである。>・・・

⇒ものは言いようであり、天皇の子供は、男児であれ女児であれ、その母親の実家において、(例外的に天皇と同居していた)皇后/中宮の子ならば乳母と多くの場合祖母によって、それ以外の子であれば乳母と多くの場合当該母親によって、育てられたのだから、実家の女性達風に染め上げられるところ、これは、むしろ、天皇家における「女性排除の原理」だったとさえ言えるのではないか。(太田)

 平安時代、藤原氏は皇室の外戚として、三百年に渡り権勢を誇った。しかし、皇室に入り込むことは遂にできなかった。藤原氏の女は、天皇の后として皇室に入り、天皇の母となれた。一方で、藤原氏の男は一人の例外もなく皇族にはなれなかった。男系継承の歴史が盾となっていたので、藤原氏は外戚にしかなれなかった。もし男系継承の原則を変えるなら摂関政治などという面倒なことはしなくてよかった。

⇒繰り返すけれど、私の説では、摂関政治は、天皇家と藤原氏のコンセンサスに基づいて導入されたものであるわけだが、それはともかく、上記から、むしろ、藤原氏は、皇室を乗っ取ってしまった、とさえ言えるかも。(太田)

 <我が国の歴史において、臣下の男が生きて皇族となった例は一例もない。唯一の例外が、死後に法皇の尊号を贈られた足利義満だけである。義満は皇位を窺ったとされるが、もし男系継承の原則が無ければ、内親王と結婚し、子供を天皇にすればよかった。五世の孫の原則が無ければ、義満自身が清和天皇の男系子孫として天皇になれた。
 先例は、皇室を時の権力者から守る盾なのだ。>・・・」
https://news.yahoo.co.jp/articles/c7222d933d10ca926df318ecf0b67a8584e0f226?page=1
 倉山満
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%80%89%E5%B1%B1%E6%BA%80&oldid=82589641

 どういうこっちゃ。

<太田>

 コロナウィルス「問題」。↓

 <ホッとできるか?↓>
 「・・・死者は85人増えて計1万845人となった。・・・」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODL250V00V21C20A1000000/
 <コワイよー。↓>
 Mucormycosis: The ‘black fungus’ maiming Covid patients in India・・・
https://www.bbc.com/news/world-asia-india-57027829

 それでは、その他の記事の紹介です。

 概ね同感だが、米軍の日本からの撤退まで踏み込んでいないところがもどかしいわ。↓

 「普天間の現行計画、3つの誤り 米准教授が語る解決の道・・・」
https://www.msn.com/ja-jp/news/politics/%e6%99%ae%e5%a4%a9%e9%96%93%e3%81%ae%e7%8f%be%e8%a1%8c%e8%a8%88%e7%94%bb%e3%80%813%e3%81%a4%e3%81%ae%e8%aa%a4%e3%82%8a-%e7%b1%b3%e5%87%86%e6%95%99%e6%8e%88%e3%81%8c%e8%aa%9e%e3%82%8b%e8%a7%a3%e6%b1%ba%e3%81%ae%e9%81%93/ar-BB1guTC0?ocid=UE03DHP

 報道が落ち着いてきたな。↓

 「・・・容疑者は「吾義土」(あぎと)という名前だったが、<未成年時代に起こした>事件の影響で現在の「由征」に改名した。・・・」
https://news.livedoor.com/article/detail/20157647/
 「茨城殺傷、事件前に被害者宅を下見か…押収カメラから動画復元・・・」
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e7%8b%ac%e8%87%aa-%e8%8c%a8%e5%9f%8e%e6%ae%ba%e5%82%b7-%e4%ba%8b%e4%bb%b6%e5%89%8d%e3%81%ab%e8%a2%ab%e5%ae%b3%e8%80%85%e5%ae%85%e3%82%92%e4%b8%8b%e8%a6%8b%e3%81%8b-%e6%8a%bc%e5%8f%8e%e3%82%ab%e3%83%a1%e3%83%a9%e3%81%8b%e3%82%89%e5%8b%95%e7%94%bb%e5%be%a9%e5%85%83/ar-BB1gvTib?ocid=UE03DHP
 「・・・庭由征容疑者(26)が事件前に催涙スプレーを購入していたことも判明。茨城県警は、容疑者が単独で侵入し家族を襲ったとみて捜査している。容疑者の認否は明らかにしていない。
 県警が、容疑者宅からスポーツタイプの自転車を複数台押収したことも分かった。小林さん宅までの距離は約30キロで、容疑者は運転免許を持っておらず、移動に使われた可能性があるとみて調べる。」
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e8%b6%b3%e8%b7%a11%e4%ba%ba%e5%88%86%e3%80%81%e5%ae%b9%e7%96%91%e8%80%85%e5%8d%98%e7%8b%ac%e3%81%a7%e8%a5%b2%e6%92%83%e3%81%8b-%e8%8c%a8%e5%9f%8e%e3%81%ae%e5%ae%b6%e6%97%8f4%e4%ba%ba%e6%ae%ba%e5%82%b7/ar-BB1gvU2r?ocid=UE03DHP

 一応、私の、高校(当時は旧制中学)、大学(当時は旧制高校/大学)の先輩たる大秀才
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%B4%8E%E6%BD%A4%E4%B8%80%E9%83%8E
ではある。↓

 「・・・ 陸軍報道部は、全雑誌の編集長を集めて編集方針や内容について検討する会を開いていた。そこで陸軍報道部少佐が、『細雪』について「緊迫した戦局下、われわれのもっとも自戒すべき軟弱かつはなはだしく個人主義的な女人の生活をめんめんと書きつらねた、この小説はわれわれのもはや許しえないところであり、このような小説を掲載する雑誌の態度は不謹慎というか、徹底した戦争傍観の態度というほかない」と極言したことが記録に残っている。恋愛譚は受容できぬというのだ。
 谷崎はこの事態に対し、「ことは単に発表の見込が立たなくなつたと云(い)ふにつきるものではない。文筆家の自由な創作活動が或(あ)る権威によつて強制的に封ぜられ、これに対して一言半句の抗議が出来ないばかりか、これを是認はしないまでも、深くあやしみもしないと云ふ一般の風潮が強く私を圧迫した」と記した。これは、軍部からの干渉に対する怒りの表明だと思う。・・・
 谷崎が戦争抵抗者かどうかには疑義が呈されている。だが、軍事体制に積極的にかかわらず、内容的にもまったく戦意に関係のない『細雪』を戦時下に描いてみせた。しかも作品は、前述したように「谷崎らしからぬ」ものになった。これが「あえて」なのかも定かではないが、文学研究者・千葉俊二氏が指摘するとおり、谷崎は立身出世や社会変革よりも「官能の充足の方がもっと大切」という人生観を持っていた。彼の研究から明確に言えるのは「戦争や軍人を嫌っていた」ことである。
 少なくとも戦時下に書かれた『細雪』は、エロティックを強調せずとも「戦意高揚に資さない」文学として、きわめて「非戦」的だった。これをあえて戦中に書くことは、人々に「反戦」のイメージを抱かせただろう。
 谷崎が戦争や軍人を信念として嫌ったのか、それとも当局のやり方に反発する形で生理的に嫌ったのかはわからないが、静かな戦争抵抗者として彼を捉えることはできる。」
https://diamond.jp/articles/-/270421?utm_source=wknd_dol01&utm_medium=email&utm_campaign=20210509

 健康で長命なんだから、文句ねーだろ。↓

 「・・・日本は2020年の平均睡眠時間が世界で最も短く、6時間22分19秒であることが分かった。・・・年間で毎日の平均睡眠時間が6時間を下回ったユーザーの割合は32.13%で、「ショートスリーパー」の割合も最多となっている。・・・」
https://www.msn.com/ja-jp/money/other/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e3%81%ae%e5%b9%b3%e5%9d%87%e7%9d%a1%e7%9c%a0%e6%99%82%e9%96%93%e3%81%af%e3%80%8c%e4%b8%96%e7%95%8c%e6%9c%80%e7%9f%ad%e3%80%8d-%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%bc%e3%83%88%e3%82%b9%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%91%e3%83%bc%e3%81%ae%e5%89%b2%e5%90%88%e3%82%82%e6%9c%80%e5%a4%9a%e3%81%ab/ar-BB1gwlHs?ocid=UE03DHP 

 日・文カルト問題。↓

 <韓国、危うし?↓>
 「・・・死者は前日から9人増えて計1874人となった。・・・」
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20210509000400882?section=society-culture/index

 好きなようにどーぞ。↓

 Scotland Election Results Complicate Hopes for Independence Referendum–The Scottish National Party appeared likely to fall short of an outright majority, though pro-independence parties were on track to retain control of Scotland’s Parliament.・・・
https://www.nytimes.com/2021/05/08/world/europe/scotland-election-independence-sturgeon.html

 ひさーしぶりの無性愛者についての記事。↓

 ’I hoped I could repress my asexuality’–The number of people identifying with asexuality is growing, according to one organisation.・・・
https://www.bbc.co.uk/bbcthree/article/824b3fc4-b7b5-492c-b31e-1d37730c6770

 中共官民の日本礼賛(日本文明総体継受)記事群だ。↓

 <定番。↓>
 「日本の田舎を見て思う、真の意味での「日本超え」はまだまだ不可能・・・中国メディアの捜狐・・・」
http://news.searchina.net/id/1698986?page=1
 <同じく。↓>
 「日本のホテルが中国のホテルより心安らぐ3つの理由・・・中国のポータルサイト・新浪・・・」
http://news.searchina.net/id/1698990?page=1
 <概ね定番。↓>
 「敗戦国の日本が奇跡的な速度で復興できたのは「核心」・・・米国による援助・・・教育を重視・・・があったから・・・
 日本がさらに発展するうえで障害となっているのは「限られた領土と資源の不足」にあると主張した。それで、もっと大きな領土と資源があれば「日本はどれだけ発展したか分からない」と結んでいる・・・中国メディアの快資訊・・・」
http://news.searchina.net/id/1698988?page=1
 <同じく。↓>
 「日本が「70年」経っても北方四島を取り戻せずにいる理由・・・中国メディアの網易・・・」
http://news.searchina.net/id/1698989?page=1
 <定番になりつつある。↓>
 「われわれは、日本の「匠の精神」を賞賛しすぎたのかもしれない・・・中国のポータルサイト・百度・・・」
http://news.searchina.net/id/1698991?page=1
 <新しい。↓>
 「中国のポータルサイト・百度・・・記事は「卒婚」という考えは日本や欧米で流行しているものの、過剰に美化、理想化されている部分があり、現実的にはそううまくはいかないとした上で、「寛容と理解、相手の立場で物事を考える」という姿勢を保つことで「解決できない問題」の発生を避け、夫婦関係を続けていくことが理想との考えを示した。」
http://news.searchina.net/id/1698992?page=1
 <内心喜んでるくせに。↓>
 「日本の外交青書に、中国国防部「台湾に手を伸ばすな」と警告・・・中国メディアの捜狐・・・」
http://news.searchina.net/id/1698987?page=1 
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太田述正コラム#12008(2021.5.9)
<藤井譲治『天皇と天下人』を読む(その10)>

→非公開