太田述正コラム#12118(2021.7.3)
<藤田達生『信長革命』を読む(その30)>(2021.9.25公開)

 「・・・<1585>年の時点で、秀吉による天下統一は決定的となっていた。
 外交交渉に拠る平和的な統一が可能であったにもかかわらず、秀吉が全国規模で「征伐」(侵略戦)を繰り返し強行したのはなぜであろうか。
 筆者は、早くも同年9月の段階で秀吉が大陸出兵を表明していたように(伊予小松一柳文書)<(注73)>、彼の政治目標が政権掌握当初より対外戦争にあり、早急に仕置令を強制して自律性の高い戦国大名両国を解体・再編し、地域社会を兵員と兵粮の供給源へと改造する必要があったためと考える。

 (注73)「織田信長は天下統一の目処がたった1582年・・・イエズス会宣教師に向かって「毛利を征服して日本六十六カ国の領主となった後、一大艦隊を編成して支那を征服し、諸国をその子達に分ち与へん」と宣告している(『イエズス会日本年報』)。・・・
 秀吉自身の征明構想について現存する史料上確実なものは、紀伊・四国を平定し関白となった1585年・・・、家臣一柳末安に宛てた書状の中で「日本国は申すに及ばず唐国まで仰せ付けられ候、心に候か。」(伊予小松一柳文書)と記録されているのが最初のものである。
 1586年・・・には日本イエズス会の副管区長ガスパール・コエリョらに「日本を統治することが実現したらならば、日本は弟の秀長に譲り、自分は朝鮮と支那を征服することに専念したい(『イエズス会日本年報』)と告げている。 」
https://sites.google.com/site/woruzan/home/bunrokukeichou/bun-roku-no-eki/sei-min-kousou-no-houga
 一柳直末(末安)(ひとつやなぎなおすえ。1546~1590年)は、「美濃国・・・の土豪・・・の子として誕生。
 ・・・1570年・・・より織田氏の家臣・羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に仕えた。・・・1580年・・・、父の死により遺領を相続。各地を転戦して武功を挙げ、秀吉の黄母衣衆となった。
 ・・・1584年・・・、小牧・長久手の戦いの際に、秀吉が織田信雄配下・不破広綱の竹ヶ鼻城を水攻めによって落城させると(竹ヶ鼻城の水攻め)、直末が城主として入った。・・・1585年・・・には田中吉政・中村一氏・堀尾吉晴・山内一豊らとともに秀吉の甥・豊臣秀次の宿老に任命され、美濃国大垣城に3万石を領した。さらに・・・1589年・・・には軽海西城に転封となり、6万石に加増された(『寛政重修諸家譜』によれば、・・・1585年・・・に美濃国で6万石を領し、浮見城に住したとある)。また、・・・1585年・・・には従五位下伊豆守に叙せられた。
 ・・・1590年・・・、小田原征伐に参加。・・・銃弾に当たり戦死した。・・・
 小田原の陣中にあった秀吉は直末討死の報告を聞いて「直末を失った悲しみで、関東を得る喜びも失われてしまった」と嘆き、3日間ほど口をきかなかったという(『一豊公記』)。・・・
 妻<は、>黒田孝高の妹」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E6%9F%B3%E7%9B%B4%E6%9C%AB
 
 つまり、信長がなしえなかった海洋国家構想を継承しようとしたとみられる。

⇒「海洋国家構想」を「日蓮主義完遂構想」、と、私流に読み替えれば、間違ってはいません。(太田)

 秀吉が、無謀な対外侵略をめざしたのは、莫大な富と軍事力を背景に、ポルトガルやスペインという南欧勢力に対抗して、東アジアの外交秩序を再構築して海洋国家を創出するためと考えられる。
 これは、女真族を統一したヌルハチ(1559~1626年)が建国した後金が明を滅亡させた動きと共通する性格をもつ・・・。

⇒ほんのちょっと時期が後だとはいえ、「莫大な富<も>軍事力」も持たなかったところの、ヌルハチ/女真族が明征服をすることができたのですから、秀吉/日本はもちろん明の征服ができたはずであり、それを「無謀」だと切り捨てることができる藤田の頭の構造が私には理解不能です。
 なお、秀吉が日蓮主義を抱懐してやったことが「対外侵略」だと言うのであれば、ヌルハチとその子孫がやったことは、ただ単なる、権力、財力を追求した営みなので、「居座り強盗行為」とでも形容して欲しかったところです。(太田)

 東アジアの軍隊のなかで、これほどまでのプロ軍隊は存在しなかった。
 秀吉が、大陸侵略をめざした<1592>年6月、明を「大明の長袖(ちょうしゅう)(武士の公家・僧侶などに対する蔑称)国」と揶揄し、日本を「弓箭きびしき国」と対置しているのも(毛利家文書)、まったく故なしとはしなかった。」(257~258)

⇒秀吉には、(正しい判断でしたが、)十分成算があったことが窺えます。(太田)

(続く)