太田述正コラム#1467(2006.10.25)
<菜食主義を考える(その1)>

1 始めに

 スチュアート(Tristram Stuart)のThe Bloodless Revolution: Radical Vegetarians and the Discovery of India, HarperCollins の紹介かたがた、菜食主義(Vegetarianism。強度の菜食主義はveganism)について考えてみましょう。
(以下、特に断っていない限り
http://books.guardian.co.uk/reviews/history/0,,1854051,00.html
http://books.guardian.co.uk/extracts/story/0,,1855079,00.html
(どちらも8月22日アクセス)、及び、http://books.guardian.co.uk/reviews/history/0,,1862969,00.html
(9月2日アクセス)、並びに
http://enjoyment.independent.co.uk/books/reviews/article1919251.ece
及び、
http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2006/10/24/2003333186
(どちらも10月25日アクセス)による。なお、最初の四つは上掲の本の書評であり、最後の一つは、スチュアート自身の手になる論考だ。)

2 菜食主義の歴史

 インドにも古典ギリシャにも菜食主義がありました。
 インドには殺生を忌む仏教やジャイナ教やヒンズー教があり、古典ギリシャには菜食主義の哲学者にして数学者であったピタゴラス(Pythagoras。BC582??507年)がいました(注1)。そのどちらにも、輪廻(metempsychosis=transmigration of the soul)の思想が背景にあります。自分が来世で動物に生まれ変わるかも知れないとなれば、動物を食べるのは控えるべきだ、というわけです。

 (注1)哲学者プラトン(Plato。BC427??347年)はピタゴラスの影響を強く受けている。なお、アレキサンダー大王(Alexander the Great。BC356??323年)は、遠征でBC326年にインドに到達した時、ピタゴラスとインドの哲学の類似性を発見して驚いたとされる。
 
 しかし、キリスト教では、神がノア(Noah)に対して「お前は地上のすべての動物(beast)を恐れ厭え。・・生きていて動くあらゆるものはお前のための肉となる」と語った(旧約聖書の創世記9:2??3)とされる(注2)こともあり、基本的に菜食主義は異端とされてきました。

 (注2)大洪水期以前の人間は菜食主義であったところ、神は、肉は罪を犯した人間相応の食物であるとして、人間が肉を食べることを認めたのだとする説もある。
 
 近代菜食主義が生まれたのは、ご多分に洩れず、近代のほぼすべてを生み出したイギリスにおいてであり、それは17世紀にまでさかのぼります。しかも、その後の菜食主義の発展を主として担ったのもイギリス人でした。
 欧州においても、イギリスにおいても、肉は最も栄養価の高い食物として尊重されてきましたし、とりわけイギリスでは、肉はイギリスのアイデンティティーそのものであるという趣があるだけに、この国で近代菜食主義が生まれ、発展したのは不思議と言えば不思議です。
 どうやらその原因は、イギリスが、もともとキリスト教の影響を余り受けていなかったこと(私見)と、イギリスが、ポルトガル・オランダ・フランスとともに、早くからインド文明と接触しただけでなく、その後インドを統治したことに求められそうです。インドの菜食主義にして穏和かつ非暴力的な社会がイギリス人に感銘を与えたのです。
 イギリスの哲学者のベーコン(Francis Bacon。1561??1626年)こそ、世界最初の近代菜食主義者であり、フランスの哲学者デカルト(Rene Descartes。1596??1650年)、そして同じくフランス人の哲学者・数学者のガッサンディ(Pierre Gassendi。1592??1655年)がそれに続きました。
 イギリスの自然科学者にして自然哲学者であったニュートン(Isaac Newton。1642??1727年)も菜食主義を唱えています。 
 近代において、初めて菜食主義運動を行ったのは、イギリスのトライオン(Thomas Tryon。1634??1703年)です。
また、イギリス人の中からは、東インド会社のベンガル総督を勤めたハウエル(John Zephaniah Holwell。1711??98年)のように、任地のインドで菜食主義者になり、ついにはヒンズー教徒になってしまったような人物が何人も出ています。
 18世紀に入ると、フランスの思想家ルソー(Jean-Jacques Rousseau。1712??78年)(注3)・・自然に戻れ、と唱えた・・や スコットランドの経済学者にして倫理学者であったアダム・スミス(Adam Smith。1723??90年)を代表格とする科学的菜食主義が出現します。

 (注3)ルソーは、「残忍で凶暴な」イギリス人は、その肉食の暴虐なる産物であると述べている。

 人間の歯や内臓が、肉食動物(carnivores)より草食動物(herbivores)に近いことや、動物にも人間と同様痛みを感じる神経系があることが分かったこと、それにインドにおける社会調査をふまえ、菜食が健康と長寿をもたらす可能性があると信じられたこと、がその背景にあります。
 また、イギリスの経済学者のマルサス(Thomas Robert Malthus。1766??1834年)は、穀物を食べた方がより沢山の人口を養えることから、肉食は人口問題を深刻化しているとして、肉食に反対しました。
 更に、イギリスの詩人シェリー(Percy Bysshe Shelley。1792??1822年)は菜食主義を鼓舞する詩を次々に発表するのです(注4)。

 (注4)インド独立の父であるガンジー(Mahatma Gandhi。1869??1948年)は、シェリーの作品を読んで菜食主義者になった。これもそうだが、インド人が宗主国英国を通じて自らの伝統的文化を「発見」し、その文化に「回帰」した事例は少なくない(私見)。ちなみに、米国の建国の父の一人であるフランクリン(Benjamin Franklin。1706??90年。トライオンの本を読んで肉食を止めた(
http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Tryon
。10月25日アクセス))やロシアの文豪トルストイ(Leo Tolstoy。1828??1910年)やイギリスのノーベル文学賞受賞者のバーナード・ショー(George Bernard Shaw。1856??1950年)やナチスドイツ総統のヒトラー(Adolf Hitler。1889??1945年)が菜食主義者であることはよく知られている。

(続く)