太田述正コラム#1480(2006.11.1)
<江戸時代と現代日本>

1 始めに

 江戸時代と現代日本との繋がりを、今後折に触れてとりあげて行きたいと思っているのですが、一回目の話題は和算にしました。

2 遊びとしての日本の数学・・和算

 江戸時代には、関孝和(1640???1708年)が、遅れていた日本の数学をたった一人で当時の世界有数のレベルにまで引き上げました(石川英輔「大江戸テクノロジー事情」講談社文庫61頁)。
 関は、積分や整数論を独力で開拓したのです(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%AE%97
。11月1日アクセス)。
 その和算は、義太夫・長唄・俳句・囲碁・将棋などと同じような趣味・道楽・芸事の一つとして、師匠がいて学ぶ、という形で継承・発展して行きました。
 彼らは、勉強の成果を「算額」という方法で発表することがありました。
算額とは、絵馬の一種で、馬の絵の代わりに和算の問題、または問題と解答を書いた板を額に入れて、寺や神社などに奉納したのです。
 (以上、石川前掲62??63頁)
 ところが、和算が応用されたのは、暦と測量の分野くらいであり、欧州やイギリスにおける数学のように、科学技術を発展させるために用いられることは全くと言ってよいほどありませんでした(石川前掲68頁)。

3 和算と現代日本

 (1)フィールズ賞等
 数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞は、「4 年に一度」「40 歳以下」といった制限がついていることから、賞としての性格は異なりますが、1936年以来、世界で49名が受賞しており、うち日本人は3人(ちなみに、アジアからは計4名で、他の1名は中共人)です(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E8%B3%9E
11月1日アクセス)。
 また、フィールズ賞を授賞する国際数学者会議は、2006年、第一回目のガウス賞(社会の技術的発展と日常生活に対して優れた数学的貢献をなした研究者に4年に1回贈られる賞で、年齢制限はない)が、確率微分方程式を創始した伊藤清京都大学名誉教授に与えられたところです(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%A6%E3%82%B9%E8%B3%9E
11月1日アクセス)。
 併せると、50名中、4名が日本人であり、ノーベル賞におけるよりもはるかに健闘していると言ってよいでしょう(注)。

 (注)国際数学者会議が授与する賞としては、もう一つ、ロルフ・ネヴァンリンナ賞があるが、特殊な賞なので
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%8A%E8%B3%9E
)捨象した。

 これは和算の伝統がしからしめたものである、と私は信じています。

 (2)数の遊び
  ア 数独
 昨年、英国で数独(sudoku)という、日本からやってきたパズルが一大ブームになりました。
 英国に紹介されたのはそう昔ではないのに、昨年の5月時点には既に、タイムス紙を嚆矢としてほとんど新聞が数独欄を設けており、数独の全国大会が2つも開催されることも決まったし、数独の解説書はベストセラーになる、という状況になったのです。
 数独とは、9x9のマス目のどの行にも列にも1から9までのすべての整数が登場するとともに、9個の3x3のマスの中でも、このすべての整数が登場するように、数を書き込む、というパズルです。
 数独は、18世紀にスイスで生まれたらしいのですが、このパズルが最初に普及したのは日本においてでした。
 (以上、
http://www.csmonitor.com/2005/0531/p01s04-woeu.html
(2005年5月31日アクセス)による。

  イ 不等式
 更に今年、ガーディアン紙に欄ができたのが不等式(futoshiki)というパズルです。
このパズルは、5x5のマス目のどの行にも列にも1から5までのすべての整数が登場するように数を書き込むのですが、マスとマスの間に記されている不等号に反しない形で書き込まなければならない、というものです。
 不等式は、5年ほど前に、数独をヒントにして日本で生まれたパズルです。
 (以上、
http://www.guardian.co.uk/japan/story/0,,1884417,00.html
(10月1日アクセス)による。)
 遊びとしての和算の伝統が現代においても日本で生き続けている証拠が数独や不等式といった数を用いたパズルだと思いませんか。
 それにしても、これらの日本で発展し或いは生まれたパズルに最も目を輝かせるのがイギリス人とは、ここでも日本とアングロサクソンの因縁浅からぬものを感じますね。