太田述正コラム#12399(2021.11.20)
<三島由紀夫『文化防衛論』を読む(その5)>(2022.2.12公開)

 「第三に、かくして創り出される日本文化は、創り出す主体の側からいえば、自由な創造的主体であって、型の伝承自体、この原泉的な創造的主体の活動を振起するものである。・・・

⇒意味不明です。
 論考は、文学(小説や詩)とは違って、読者の感性に訴えるだけではダメなのであり、三島は、こういう、非論理的な、と言ったら語弊があるとすれば、余白だらけの、文章、を書いてはいけません。(太田)

 文化が文化を守ることはできず、言論で言論を守ろうという企図は必ず失敗するか、単に目こぼしをしてもらうかにすぎない。
 「守る」とはつねに剣の原理<なのだ。>・・・
 <ところが、>現代では、「菊と刀」の「刀」が絶たれた結果、日本文化の特質の一つでもある、際限もないエモーショナルなだらしなさが現われており、戦時中は、「菊」が絶たれた結果、別の方向に欺瞞と偽善が生じたのであった。

⇒菊を縄文性、刀を縄文的弥生性、と読み替えれば、「絶たれた」まではよしとして、縄文性に「際限もないエモーショナルなだらしなさ」の側面があるとは私は思いませんし、また、「戦時中は」日本の縄文性を守りつつ、日本文明の総体を東アジアと南アジアが自律的に継受することができる基盤を構築する目的で日本がその縄文的弥生性を最大限に発揮したのであって、その間も「菊」が絶たれたわけでは全くありませんでした。(太田)

 つねに抑圧者の側がヒステリカルな偽善の役割を演ずることは、戦時中も現在も変りがない。・・・

⇒従って、戦前(戦時中)に関しては、このくだり、間違いです。
 なお、やや次元の異なる話ですが、こういう書き方をしているところを見ると、三島もご多分に漏れず、有事における「人権」抑圧が、古今東西、いかなる文明においてもつきものだったことが分かっていないのではないでしょうか。(太田)

 <なお、>守るべき対象の価値がおびやかされており、従って現状変革への内発性をそのうちに含み、この変革の方向に向かって、守るという行為を発動するというのが、その一般的態様でなければならない。
 もし守るべき対象の現状が完璧であり、博物館の何百カラットのダイヤのように、守られるだけの受動的存在であるならば、すなわち守るべき対象に生命の発展の可能性と主体が存在しないならば、このようなものを守る行為は、パリ開城のように、最終的には敗北主義か、あるいは、守られるべきものの破壊に終るであろう。

⇒私は、縄文的弥生性に係る環境や技術の発展につれて、縄文性再活性化諸装置・・これも一種の「文化」だろう・・も発展していくものだと考えているので、その限りにおいては、日本文明は、その文化の「現状変革への内発性をそのうちに含」んでいるわけであるところ、そういう意味では、三島のこのくだりには首肯できます。
 私の場合、以上のような認識から、戦後における、「刀」(縄文的弥生性)の放棄は、日本文化・・日本文明ではないことに注意・・の発展の最も核心的な源泉の放棄であって、日本文化の発展は決定的に阻害されることになった、と考えていますが、この私の考えを「戦後における・・・日本文化の発展は決定的に阻害されることになった」という具合に要約すれば、三島も同じ考えだったはずです。(太田)

 創造することが守ることだという、主体と客体の合一が目睹<(注4)>されることは自然であろう。

 (注4)もくと。「[名](スル)目で実際に見ること。目撃。」
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%9B%AE%E7%9D%B9/

 文武両道とはそのような思想である。
 現状肯定と現状維持ではなくて、守こと自体が革新することであり、同時に、「生み」「成る」ことなのであった。」(35、38~41)

⇒三島は、その思考過程こそこの『文化防衛論』自身が物語っているように非論理的ではあっても、直感的に、私が散々苦労した挙句に論理的に到達した結論に達しているように見受けられます。
 どうして彼にそんな芸当ができたか、ですが、それは、彼が、武士の上澄みの子孫(コラム#12166。私はこの時に気付いたと思い込んでいたが、コラム#9809の時点で既に「知っていた」ことが、今分かった。)であったおかげで、武士が担ってきたところの、「武」(私の言う縄文的弥生性)の何たるかが、一種の家伝で分かっており、それが失われることが日本文化(私の言う日本文明)の終焉を意味することを直感できたからでしょう。

(続く)