太田述正コラム#1497(2006.11.9)
<米中間選挙で民主党大勝利(続)(その2)>

 すなわち、1960年代に、北部の党であった共和党がそれまで民主党の牙城であった南部を浸食して南部で優位に立ち、爾後、米議会は25年間にわたって共和党優位の下に推移してきたところ、今回の選挙で民主党が、かつての共和党の牙城であった北部において、非太平洋岸の西部においてすら、民主党が共和党に代わって優位に立つに至り、ついに米議会を再び制した、というのです(ファイナンシャルタイムス前掲)
 米スタンフォード大学に留学し、いよいよ日本に帰国する時が近づいてきた1976年に、政治学科で指導を仰いだ日系2世の池(Nobutaka Ike)先生に、米国の政治を理解するための本を一冊だけ推薦するとしたら何かと尋ねたところ、1949年に出たV.O.Key のSouthern Strategyだ、と言われたものの、ついにこの本を読まないまま現在に至っているのですが、先生は、当時始まったばかりの以上のような米国政治上の大変動の重要性を私に教えようとされていたのだな、と今になってようやく分かりました。まことに不肖の弟子であり、汗顔の至りです。

4 国防長官の交替

 選挙の次の日の8日に、ラムズフェルト(Donald Rumsfeld)国防長官が更迭され、ゲーツ(Robert Gates)氏が新たに国防長官に指名されました。
 ブッシュ政権がイラクで味噌を付けた最大の責任は(ブッシュその人を除けば)ラムズフェルトにあり、今回の共和党大敗北の元凶ということになるので、彼の更迭は当然のことでしょう(
http://www.time.com/time/nation/printout/0,8816,1556617,00.html)。
 後任のゲーツは、CIAに1966年に大学卒業後直接ソ連・ロシアの専門家として入った人物です。レーガン大統領の時の1987年に、CIA史上初めて、(官房長、副長官を経て)CIA内部からCIA長官に昇格する予定であったところ、自身は反対していたもののイラン・コントラ事件に形の上では関与していたことが禍してそれを果たせず、ブッシュ父大統領の下で安全保障担当次席補佐官を勤めてからついに1991年に晴れてCIA長官に就任します。
 現在は、ブッシュ父大統領の記念図書館のあるテキサス農工大学(Texas A&M University)の学長を勤めており、ベーカー元米国務長官等をヘッドとする、米行政府と米議会共管のイラク政策再検討委員会のメンバーでもあります。
 ブッシュ現大統領が、新設の国家情報長官(national intelligence director)職にゲーツをつけようとした時、2週間熟慮の上、これを断りましたが、それは、もう一度ワシントンに戻りたくなかったのと、この職に政策形成権限や人事権がほとんど与えられていないからでした。
 そのゲーツが国防長官のオファーを受けたのですから、ゲーツはブッシュから大幅な自由裁量権を与えられたに違いない、と噂されています。
 何よりもゲーツは、プロ中のプロ、傑出した学者であってイデオローグではなく、有能なプロジェクトマネジャーであるけれども、新しい地平を自ら切り開くような人物ではない、と表されており、あらゆる意味でラムズフェルトとは対照的な人物であることから、ラムズフェルトが細かいところまで口を出しすぎて、国防長官事務局と制服サイドとの関係がガタガタになっている現状を癒すことが期待されています。
 そして、イラク政策再検討委員会のメンバーであったことから、彼は、泥沼化したイラクから米国を救い出す方策を持ち合わせているであろうことも期待されているのです。
  (以上、http://www.time.com/time/nation/article/0,8599,1556651,00.html?cnn=yes、及びhttp://www.slate.com/id/2153287/による。)

(完)