太田述正コラム#1516(2006.11.19)
<美人論(その2)>

 (本扁は、コラム#1511の続きです。)
 (ある知人に、黄金分割と美、ないし美人の関係について話したところ、「先だって、TVの番組で同じ話をやっていた。その時、白銀分割の話も出ていた」とのこと。日本の民放の番組編成にかける熱意はすごいなと思いました。それにしても、「私は知っていたよ」と言ってこられた方が一人もおられないところを見ると、わが読者は、皆さん忙しい方ばかりで、碌にTVもご覧になっていない、ということのようですね。)

3 美人論

ここから先は、Von Drehle自身が展開している議論です。

 歴史のほとんどの期間を通じて、庶民は、美女や美男を目にする機会はなかった。
 美女や美男の絵や彫刻は、宮殿や寺院の中にあり、他方で庶民の大部分は草むす田舎で生涯を送ったからだ。
 しかし、今や、映画やTVの誰もが日常的に美女や美男を目にすることができる。
 だから、みんながみんな、美女や美男になりたがる。美人の民主化が起こったのだ。
 米国では、この10年間で美容整形手術数は5倍に増えた。手術の平均費用は1,000米ドルもする。
 また、米国人は毎年、化粧品や香水に335億ドル、フィットネスクラブに150億ドルも使う。更に、何10億ドルも美容院やネイルサロンや背中塗油店(back-waxing emporium)に費やす。歯へのレーザー照射や漂白も盛んだ。女性だけでなく、男性もファッションに惜しげなく金をかける。
 美などというものは存在せず、みんなが「美人」関連産業に踊らされて誤った強迫観念にとらわれているだけだ、特に、「美人」関連産業は、男性達の意向を受けて、仕事や家庭や政治で力を増しつつある女性達の力を削ごうとする陰謀に加担している、といった議論がしばしばなされるが、美人には、科学的根拠がある、というマルカートの主張を踏まえれば、必ずしもそうは言えない。
 さりとて、すべてがマルカート流の美の科学理論で説明できるわけでもない。
 美女や美男の観念には、階級的要素があるからだ。また、この観念には、時代によって、また人種によって微妙な違いもある。
 例えば、白人の場合、貧しい人達が農場で働いていた時代には、日焼けした肌は貧困の印であったことから、金持ちの女性達(や時には男性達も)は顔におしろいを塗りたくったものだ。しかし、産業化時代が到来すると、貧しい人たちは都市の工場で働くようになり、青白い顔つきをするようになった。すると今度は、日焼けしているように見えることがステータスになった。
 また、かつては腹を空かしている人が沢山いたので、太っていることが金持ちであることの証だったが、最近では、やせていることが格好いいということになった。それが行き過ぎたので、最近のマドリードにおけるファッションショーで、やせすぎのモデルが閉め出されるようなことが起きた(注3)。

 (注3)前年の参加モデルの30%が失格となるという厳しい基準が採用された(http://www.cnn.com/2006/WORLD/europe/09/13/spain.models/index.html
。11月19日アクセス)(太田)。

 もう一つ。ギリシャ・ローマ時代から17世紀のルーベンスの時代まで、絵や彫刻に登場する美女や美男達(ギリシャ神話の神様を含む)はみんな小太りだが、単に小太りであるだけでなく、成熟した体つきをしており、女性の場合は、経産婦のように見える者が多い。
 このことを考えると、現代の米国人は、美に取り憑かれている以上に、若さに取り憑かれているように見える。

4 コメント

 読者の中から、「美」についてのhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E、及び「美人」についてのhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E4%BA%BA、の二つのウィキペディアに、美の科学理論を加筆する方が出て欲しいものです。
 「美人」に関しては、日本人にとっての美人像の変遷についても、もう少し書き込んで欲しいと思います。

(完)