太田述正コラム#1530(2006.11.26)
<奴隷制への英国の謝罪>

1 始めに

 奴隷制廃止の経緯については、以前(コラム#591、592、594、601、608で)詳細に取り上げたところですが、明11月27日にブレア英首相が、奴隷貿易で英国が果たした役割を非難する声明を英議会で発表することになったと、英ガーディアンの姉妹紙であるオブザーバーが二つの記事で報じているので、この二つの記事の内容の概要をご紹介しておきましょう。

2 声明案

 ブレアの声明案のさわりの部分は次のとおりだ。

 「現在では人道に対する罪とされていることが昔は合法だったということを信じるのは困難なことだ。・・個人として私は、<1807年の奴隷貿易廃止法成立>200周年記念日<の目前であること>が、奴隷貿易がいかにとんでもなく恥ずべきことであって、それをわれわれがどんなに非難しているか、その廃止に向けて戦った人々をわれわれがどんなに褒め称えているか、そしてわれわれが、そんなことが起こったこと、そんなことが起こりえたことを深く悲しむとともに、かつてとは異なる、より良き時代にわれわれが今日生きていることをこの上もなく喜んでいることを申し述べる機会を与えてくれていると思う。」
 
 何とまわりくどい言い方かと思われるかも知れないが、これは、これまで奴隷制に関わった欧米諸国の首脳としては、最も踏み込んだ遺憾の意の表明なのだ。
 (例えば、クリントンは、大統領であった1998年にアフリカを訪問した際、「<米国が>まだ国家になっていない頃、欧米人は奴隷貿易の果実を享受していたが、それは間違っていた(we were wrong in that)」という程度のことしか言っていない。)
 これ以上踏み込み、明確に謝罪する声明を出すと、奴隷の子孫からの損害賠償訴訟が多発すると考えられたこともあって、この程度の表現に落ち着いた。

3 おさらい

 もともと、アフリカでは奴隷が広範に用いられていた。
 また、アラブ商人はアフリカの黒人奴隷を中東やペルシャに運んで売る商売を行ってきた。
 1450年頃から欧州人が奴隷貿易に乗り出し、1517年には初めてスペインが奴隷貿易の認可証を発給した。スペイン・ポルトガル・フランスが初期の奴隷貿易の主たる担い手だったが、次第に英国のシェアが増えていき、最盛期には、英国だけで毎年30万人以上の黒人奴隷を大西洋を越えて運んだ。
こうして、19世紀初頭までの間に、推定1,000万人から2,800万人の黒人奴隷が大西洋をわたった。
 大西洋を運ばれる最中に、うまく行って約5%、悪くすると約20%の黒人奴隷が命を落とした。こうして、都合百万人を優に超える黒人奴隷が、航海中に死亡したと考えられている。
 英国では1790年代から奴隷制廃止運動が始まり、1807年に奴隷貿易が欧米諸国としては初めて英国で廃止され、1833年には奴隷制そのものが、やはり欧米諸国で初めて英国で廃止された。
 かつては、これは、黒人奴隷の反乱(ハイチのフランスからの独立を勝ち取った黒人奴隷の反乱等)や重商主義から資本主義への時代の変化に伴う奴隷の必要性の減少のためだと言われてきたが、近年は、奴隷制の非人間性に目覚めた英国人が覚醒した解放奴隷達と手を携えて行った、世界最初の市民運動の成果であったと考えられている。

4 終わりに

 ブレアは、謝罪を求め続けてきた黒人達の声もあって、このたびの声明発出の運びとなったわけで、次は、19世紀のアイルランド大飢饉についても、同様の声明を求められることになるのではないかという声も出ていますが、いずれにせよ、今回もまた、英国は、欧米諸国の先鞭を切って奴隷制(奴隷貿易)に対する遺憾の意を表明することになったわけであり、英国の「栄光」の歴史に新たな頁を書き添えることになりました。
 (以上、最後の段落の後半を除き、
http://observer.guardian.co.uk/politics/story/0,,1957278,00.html
http://observer.guardian.co.uk/politics/story/0,,1957354,00.html
(どちらも11月26日アクセス)による。)