太田述正コラム#1567(2006.12.14)
<ベレゾフスキー対プーチン(その2)>

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 コーエンは、米国は、西独が人口1,700万人で40年間共産主義の下にあった東独を吸収統合したのとおなじように、人口1億4,000万人以上で70年間共産主義の下にあり、7つの時間帯にまたがっているロシアを世界経済に統合しようとして失敗した、と指摘します。
 米クリントン政権は、宣教師的情熱でもって、フリードマン流のマネタリスト的ショック治療(shock therapy)をロシアのエリティン政権に推賞し、緊縮財政とソ連時代の消費者向けや福祉目的の補助金の廃止、そしてロシアの国家企業等の国有資産の民営化、市場の外国の製造企業への開放、政府の役割の大縮小、を行わせた、というのです。
 そして、そのために、米国政府・諸機関・財団・教育機関がカネを出し、山のようなアドバイザー達をロシアに送り込み、彼らをロシア政府・政治運動・労働組合・メディア・学校に入り込ませ、その彼らは、お好みのロシアの政治家にカネを渡し、大臣達に教えをたれ、法律や大統領令を起草し、教科書の原案をつくり、1996年のエリティン再選本部で勤務した、というのです。
 米国の投資家達も、同様の宣教師的情熱にかられていた、といいます。
 
 しかし、彼らは、当時のロシアの現実が全く見えていなかった、というのです。
 クレブニコフ(Paul Klebnikov)が著書の GODFATHER OF THE KREMLIN, Harcourt の中で言ったように、エリティン体制というのは民主主義ではなく、拝金主義(kleptocracy)だったのです。
 クレブニコフは、急速にロシア一の大金持ちになった資本家もどきのベレゾフスキー(Boris Berezovsky。元数学者)こそ、この時代を象徴する人物だと指摘しています。
 クレブニコフに言わせれば、ベレゾフスキーは、権力亡者にして陰謀家であり、情け容赦のない人物であって、組織暴力団の手を借りつつ、富を生み出すどころか、彼が携わるあらゆる事業を掠奪して次々に破壊したのです。アエロフロートしかり、ロシアの公共放送であるORTしかりです。
 コーエンは、こんなベレゾフスキーらのオリガーキーをのさばらせたエリティンは、ロシア最初の民主主義的指導者などではなく、不格好なネオ・ロシア皇帝主義者であってゴルバチョフ(Mikhail Gorbachev)が始めたロシアの民主主義化への歩みを破壊した人物であると主張します。
 このエリティンの下で首相を務めたチュバイス(Anatoly Chubais)は、自称改革派であり米国のお気に入りでしたが、その実態は、オリガーキーと癒着したロシア国民の生活水準の破壊者だったのです。
 癒着(注1)とは、「改革派」がオリガーキーに合法的に国営企業をただ同然の借料でコントロールさせ、その見返りにオリガーキーにエリティン政権を支持させ、エリティンの1996年の大統領再選を確実にしたことです。

 (注1)当時、英ファイナンシャルタイムスのモスクワ支局長であったフリーランド(Chrystia Freeland)は、著書のSale of the Century, Crown Businessの中で、この癒着をファウスト的取引(Faustian bargain)と呼んだ。

 要するに、1992年から1998年の間のロシアにおいては、民主主義化や市場改革をめぐる抗争が行われていたのではなく、オリガーキーの間で国家資産のコントロールをめぐる抗争が行われていた、というわけです。

 コーエンは、米国のメディアも、米国の政府等と同じ情熱に取り憑かれており、ロシアのこの実態とかけ離れた報道を続けた、と指摘します。
 チュバイスやガイダル(Yegor Gaidar)やネムツソフ(Boris Nemtsov)やキリレンコ(Sergei Kiriyenko)らの「改革派」ないし「民主主義派」は常に褒め称えられ、慎重に改革を進めようとしたプリマコフ(Primakov)や、1996年にエリティンへの対抗馬として大統領選に立候補したヤヴリンスキー(Grigory Yavlinsky)らには罵声が浴びせかけられた、というののです。
 それどころか、チュバイスが側近による金銭スキャンダルをもみ消そうとした時もチャバイスをむしろ持ち上げ、チュバイスが民営化で個人的に金銭的利益を得ていたことが知られるようになってからもチュバイスをかばい続けた、というのです。
 そして、1993年にエリティンがロシア国会を、憲法違反を犯して閉鎖し、更にこの国会に向けて戦車砲をぶっ放した時も、クリントン政権の意向に忠実に、訳の分からない理屈をこねあげてエリティンを擁護した、というのです。

 この米国の愚行の結果、ロシアにおける反米感情は、ロシア史上例を見ないほど高まった、とコーエンは指摘します。
 (以上、
http://www.nytimes.com/books/first/c/cohen-crusade.html?_r=1&oref=slogin
http://www.businessweek.com/2000/00_44/b3705025.htm
(どちらも12月13日アクセス)、及び、
http://www.nytimes.com/books/00/10/08/reviews/001008.08kaplant.html
http://www.thenation.com/doc/20001002/cohen
(どちらも上掲)による。)