太田述正コラム#1670(2007.2.23)
<6か国協議合意をめぐって>

 (本篇は、情報屋台(
http://www.johoyatai.com
)のコラムを兼ねています。)

1 始めに

 6か国協議の主役は何と言っても北朝鮮と米国ですが、北朝鮮は文字通り金正日の独裁国家であり、米国は大統領が外交・安全保障に関しては極めて大きな権限を持っている国です。
 従って、6か国協議をめぐる情勢分析は、金正日とブッシュがそれぞれ何を考えているかが分かれば、9割方終わり、と言ってもよいのであって、この限りにおいては比較的簡単に「正解」に到達できると言えるでしょう。
 その一方で、これだけアクターが少ないと、金正日かブッシュのどちらかが非合理的に行動することによって、状況が大きく変わってしまうことがありえます。そうだとすると、6か国協議をめぐる情勢分析はそう簡単ではない、ということになりそうです。
 このような特異性のある事柄ではありますが、軍事とアングロサクソン論の視点から国際情勢分析を行う、という私の方法論の有効性を読者の皆さんに評価していただきたいと思い、今回の6か国協議での合意を取り上げてみました。

2 軍事

 では、軍事から始めましょう。
 北朝鮮の金正日独裁体制の最後の拠り所は軍事力です。
 北朝鮮の経済が破綻状況にある今日、軍事力は、唯一の拠り所と言ってもいいかもしれません。
 核兵器は究極の軍事力と言えます。
 だからこそ金正日は、核兵器の開発、保有を止めることができないのです。

 その北朝鮮は、石炭はまだとれるものの、このところ炭坑の老朽化により、採炭量は大幅に落ちていると見られていますし、外貨不足から石油の輸入もままなりません。発電所や送電施設の劣化も一層進んでいるとされています。
 軍の装備や弾薬もつくっているところの工業はエネ切れで稼働率が落ち込んでおり、軍の弱体化が進んでいると思われます(太田述正コラム#1559。未公開)。
 核兵器だけ持っていても在来兵力がガタガタになれば、どうしようもありません。
 だからこそ、金正日は今回6か国協議で合意を追求せざるをえなかったのであり、原子炉停止の見返りに、たった5万トンの重油(1340万米ドル相当)をもらう取引で手を打つはめになったと考えられるわけです。

 それにしてもなぜ重油なのでしょうか。
 重油は大きな発電機を回したり、大きなボイラーを湧かしたりする用途にしか用いることができず、ジェットエンジン用等軍事用に転用することが困難だからですし、硫黄分が多いため、これを用いる北朝鮮の発電施設の劣化を一層促進するからでもあります。
 ですから、米国が1994年の合意枠組みに基づいてかつて北朝鮮に毎年提供したのも重油でした。
 ちなみに、重油5万トンは、北朝鮮の年間エネルギー所要のわずか4分の1パーセント以下にしか相当しないと見積もられています。
(以上、
http://www.slate.com/id/2159933/
(2月17日アクセス)による。)
 米国の冷徹さを思い知らされると同時に、北朝鮮がいかに追い込まれているかが分かりますね。

 他方、ブッシュ米大統領は、昨年の中間選挙で米議会の両院で多数派となった民主党の反対を押し切ってイラクへの米軍兵力の増派に踏み切ったことから、民主党を少しでも懐柔するため、民主党が強く求めてきた北朝鮮との直接対話を行い、一切見返りを与えないとしてきたそれまでの方針を緩和し、金融制裁の一部撤回や重油の提供を約束することで6か国協議の場において北朝鮮と合意を達成したわけです。
 つまり米国の方も、今回の合意に至った背景には、軍事があったことになります。

3 アングロサクソン論

 (1)始めに

 今度はアングロサクソン論です。
 アングロサクソン文明は個人主義、すなわち自由主義の文明です。
ちなみに、アングロサクソン文明は本来的には反民主主義的文明です。民主主義は多数による専制、つまりは個人の圧殺に堕しがちであるからです(太田述正コラム#91)。
 実際、民主主義、すなわちやや単純化して言えば普通選挙制、が確立したのは、英国にあっては20世紀に入ってからであり、米国に至っては、黒人への法的差別がなくなった1960年代になってからでした(太田述正コラム#1374、1376)。
 そんな歴史を忘れたかのように現在、米国が、自由主義のみならず、民主主義についても、国是として掲げていることはご承知のとおりです。
 ここで大事なことは、それがいかにタテマエ論であったとしても、ブッシュは国是たる自由主義と民主主義に沿った対外政策しか追求することはできないということです。
このような観点から、今回の6か国協議での合意の解明を試みてみましょう。
 
 (2)自由主義
 
 昨年末から米国の対北朝鮮スタンスが大きく変わった、という受け止め方がもっぱらなされています。
しかし私は、ブッシュ政権の対北朝鮮戦略そのものは変わっておらず、ブッシュは北朝鮮問題の解決を先送りしたに過ぎないと見ています(注1)。

 (注1)2005年9月に6か国協議で共同声明がまとまった時にも、米国の対北朝鮮スタンスが軟化したと言われたものだ。当時も私は、ブッシュがイラク等のより緊急度の高い問題への対処に追われているために北朝鮮問題の解決を先送りしただけのことで、ブッシュ政権の対北朝鮮戦略そのものは変わっていない、と力説した。(太田述正コラム#874、975)

 では、ブッシュの対北朝鮮戦略とはいかなるものなのでしょうか。
 私見によれば、それは一貫して、軍事力による恫喝ないしは軍事力の行使による北朝鮮の体制変革であり、具体的には金正日体制の打倒です。
 ブッシュが、2002年1月にイラン、イラク、北朝鮮の三カ国を悪の枢軸と呼び、体制変革の対象とした(太田述正コラム#17)ことはご記憶のことと思います。
 どうしてブッシュがこの三カ国を体制変革の対象にしたかと言うと、これらはいずれも、反自由主義的な人権抑圧国であると同時に核兵器の保有を目指している(と思われる)、米国にとっておぞましくかつ危険な国であったからです。
 ブッシュは、2003年3月にまずイラクを武力攻撃してその体制変革を実現し、悪の枢軸の一つを解消しました。

 問題は、この対イラク武力攻撃が、十分な国際法的根拠なくして決行されたことです。
 しかも、フセイン政権が核兵器を保持していなかっただけでなく、核兵器開発を断念していたことが後で分かったため、対イラク武力攻撃の国際法的根拠の薄弱さが一層浮き彫りになってしまいました。
 (以上、太田述正コラム#111参照。)
 自由主義の文明は法の支配の文明でもある以上、ブッシュとしても、内心忸怩たるものがあったに相違ありません。
 この反省を踏まえて、爾後ブッシュは、国際法的根拠を十分固めた上でなければ、イランと北朝鮮の体制変革には乗り出さないことにした、と考えられるのです。
 その結果採用されたのが、いわゆる多国間(multilateral)アプローチです。
 多国間アプローチは、世上、外交を軍事より優先するアプローチと受け止められていますが、より正確には、法の支配に十二分に配意しつつ軍事力を行使するアプローチである、と解すべきであると私は思うのです。
 2002年10月の北朝鮮のウラン濃縮計画の「露見」、そしてその後の北朝鮮の原子炉再稼働を受けて、ブッシュが米朝2国間協議を避けて米朝中露韓日の6か国協議という多国間アプローチに固執し、2003年8月に6か国協議の1回目の開催に漕ぎつけたのは、安保理常任理事国である中共とロシアを最初から関与させることで、将来、安保理で対北朝鮮武力攻撃の国際法的根拠となるような決議を成立し易くするためである、と解するわけです。

 ところで米国は、残された悪の枢軸たる北朝鮮とイランのどちらの体制変革の方がむつかしいと思っているのでしょうか。
 北朝鮮に対する武力攻撃は、北朝鮮の反撃によって休戦ラインに近い韓国の首都ソウルに壊滅的な被害を生じる懼れがあるし、イランに対する武力攻撃は、イラクを含む中東全域の情勢を大きく不安定化させる懼れがあることから、米国は軍事力の行使による北朝鮮やイランの体制変革にはそもそも慎重にならざるをえません。
 イランの場合は、それに加えて、神政主義と民主主義が並立していて民主主義が部分的には機能していることから、軍事力の行使によらずして、体制変革が実現される可能性が皆無ではない以上、米国としては、民主主義ゼロの北朝鮮の体制変革の方が、はるかにむつかしいと思っているに違いありません(注2)。
 (以上、
http://www.nytimes.com/2007/01/28/magazine/28iran.t.html?ref=world&pagewanted=print
(1月29日アクセス)、及び
http://www.csmonitor.com/2007/0222/p01s04-usfp.html
(2月22日アクセス)を参考にした。)

 (注2)いずれにせよ、イランに対しても、国際法的根拠が(しかるべき安保理決議の採択、またはイラク等駐留米軍へのイランの攻撃の形で)十分に整わない限り、ブッシュが武力攻撃を命じるようなことはありえない、ということになる。

 むつかしいからこそ、ブッシュとしては、北朝鮮問題は、長期間にわたって一張一弛を伴いつつ、慎重かつ忍耐強くその解決を図らなければならないと考えているのでしょう。

 さて、米国は国是たる自由主義の一環としての人権の世界への普及に努めてきました。
 ブッシュが対北朝鮮戦略を変更していない根拠は、彼が2005年8月に北朝鮮人権問題担当官を任命し(太田述正コラム#904)、北朝鮮が人権を蹂躙していることを糾弾するキャンペーンを一貫して続けてきたことです。
 この間、ブッシュ自ら、ホワイトハウスで朝鮮人脱北者と日本の拉致家族と会ったりした(太田述正コラム#1207)ことは記憶に新しいところです。
 戦略を変更していないもう一つの根拠は、今回の6か国協議が開かれる直前の1月16日に米国がわざわざ、国連開発計画(UNDP)による北朝鮮への支援金が違法に流用されているという疑惑を提起したことです(太田述正コラム#1637)。

 (3)民主主義

 以上縷々ご説明してきたブッシュの対北朝鮮戦略は、米国の民主主義、つまり世論によって支えられている戦略であることも忘れてはなりません。
 2月の頭に米国で実施された世論調査によれば、北朝鮮(友好的12%、非友好的82%)はイラン(友好的9%、非友好的86%)に次ぎ、世界で2番目に非友好的な国家と米国人から認識されており、また、各国の状況が米国の国益に及ぼす影響が「非常に重要」との回答が多かったのはイラク(70%)、イラン(65%)、北朝鮮(64%)の順(
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/02/23/20070223000011.html
。2月23日アクセス)なのですから・・。

 (4)有事における自由主義・民主主義の部分的停止

 蛇足ながら、米国ひいてはアングロサクソン諸国において、自由主義や民主主義が国是となっているとは言っても、それは平時の話であり、有事においては、自由主義や民主主義が部分的に停止されることが当然視されていることもまた、忘れてはなりません。(ただし、事後的に立法府もしくは司法府によって妥当性等が審査されます。)
 米国では有事において、例えば、疑惑外国人に対する人身保護令状の適用は停止されますし、疑惑外国人のみならず、疑惑自国民に対しても、拷問を伴う尋問が許されます(
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/story/0,,2019580,00.html
http://www.latimes.com/news/opinion/la-ed-gitmo21feb21,0,5849031,print.story?coll=la-opinion-leftrail
(どちらも2月23日アクセス))。
 東欧などの諸外国に米CIAが、直営の「秘密刑務所」を設置し、拉致したテロ容疑者に対しCIA自ら拷問を伴う尋問をしていること(
http://johoyatai.com/?page=yatai&yid=56&yaid=331
)など、さほど驚くべきことではありません。
 テロリストの疑いがあっただけの無辜の人物が治安当局によって射殺されることすら、英国で先般起こったことをお忘れなく。