太田述正コラム#12838(2022.6.27)
<伊藤之雄『山県有朋–愚直な権力者の生涯』を読む(その15)>(2022.9.19公開)

 「・・・<西南戦争の>戦地において山県参軍は、陸軍のみならず海軍や巡査(内務省所属)までを統制する実権を持っていた・・・。
 <その>山県は・・・援軍を送るよう、・・・求めた。・・・
 別働旅団を作り黒田に指揮させる決定は、・・・大久保が伊藤の同意を得て行った。
 黒田は別働第二旅団(1個大隊半と巡査700余名)を率いることになった<(注19)>。・・・
 黒田は上陸地点や作戦について山県と相談した形跡はない・・・。

 (注19)「明治10年(1877年)に西南戦争が起きると、黒田は2月に海路鹿児島に至ってここを確保し、いったん長崎に引き上げた。3月14日に征討参軍に任命された。このとき熊本城は包囲され、北から来る山縣有朋の主力軍が解囲戦に苦戦していた。黒田は敵の背後を衝くため八代付近に上陸し、3月30日から交戦をはじめ、前進を続けて4月15日に熊本城に入った。翌16日、山縣と合流した当日に自らの辞任を請い、23日に辞令を受け取った。開拓使で黒田が育てた屯田兵は、入れ替わりに戦線に到着し、以後の戦闘で活躍した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E7%94%B0%E6%B8%85%E9%9A%86

 別働旅団の編成に賛同したものの、黒田参軍が山県の指示を仰がずに行動したのは、山県にとって不快極まりないことだったろう。・・・

⇒西南戦争における山縣の上司は、形式的には総督の有栖川宮熾仁親王であり、実質的には大久保利通であって、黒田が、大久保の指示に従い、有栖川の許可を得て行動している以上、(そして、もちろん、山縣に対して大久保ないし有栖川宮から黒田の行動については適宜情報提供があったはずですから、)山縣がそんな感情を抱くはずがありません。(太田)

山県は後年、西郷の死体を発見した様子を回想している。・・・
 こぼれる涙をどうすることもできず、「衷情(ちゅうじょう)(まごころ)」からその死を悼んだ・・・。
 ところで、<その前、>西南戦争の激戦が続く中、・・・木戸孝允<も>胃病のため死去し<ている>。・・・
 <しかし、>山県は・・・、特に強い感慨を表していない。・・・
 二人の間はしっくりいかなかった。
 山県にとって、西郷の死の方がはるかに悲しかったのである。」(150~151、165)

⇒山縣は本籍長州藩だが現住所薩摩藩である、と私がかねてから指摘していることを思い出してください。
 不思議なのは、翌年に大久保が暗殺された時の山縣の言動が、ネットに少し当たった限りでは見いだせなかったことです。
 いささか意外ながら、後継者として私見では指名してもらったというのに、「大久保と云う人は薩人の中にても一種特別なる性格あり。云わば当時文明流の政治家なり。故に動もすれば薩人中には大久保を目して、彼は驕奢に長じたる者なりとか、金殿玉楼を造れりとか云うて誹毀する者あり。大久保の所に往きては茶一つ飲まぬと云う様なる傾きありし。現に今の侯爵大山などもその一人なりき。加うるに征韓論以来二派に分れ、一方は西郷に属して野に下り、一方は大久保に属して朝に留まることとなりしより、自ら政府の為す事は大久保一身に責任を負い、西郷と大久保と確執せしとはなかるべしと雖も、総て反対者より怨を受くるように為りたるなり」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E5%88%A9%E9%80%9A
という彼の大久保評からは、彼が大久保を余り評価していなかったことが窺えます。
 この山縣から、私見では後継者として指名してもらうこととなる、西園寺公望、の大久保評だってさんざんな内容です。↓
 「大久保は中々悧巧な男で、政治向きの事は全然伊藤に任せて何うか斯うか切り盛りして居ったが、大久保が世帯風の才があったと云っても宜い。また極く低級の語で云えばズルかった。彼にもズルい位の智慧はあった」(上掲)
 ちなみに、渋沢栄一の大久保評も、一言で言えばコケ脅かしの小人物で識験も浅い、的なものであり(上掲)、さすがに驚きです。 
 元に戻って、紹介した西郷の死に臨んだ山縣のエピソードについてですが、大久保の、「西郷死亡の報せを聞くと号泣し、時々鴨居に頭をぶつけながらも家の中をグルグル歩き回っていた(この際、「おはんの死と共に、新しか日本が生まれる。強か日本が……」と呟いた)。西南戦争終了後に「自分ほど西郷を知っている者はいない」と言って、西郷の伝記の執筆を重野安繹に頼んだりもしていた。また暗殺された時には、生前の西郷から送られた手紙を持っていたとされる。」(上掲)というエピソードの前には、さすがに霞んでしまいますね。(太田)

(続く)