太田述正コラム#1691(2007.3.14)
<英国のガーナ統治がもたらしたもの>(2007.4.14公開)

1 始めに

 比較的最近(コラム#1673、1677で)、「英国のインド統治がもたらしたもの」をとりあげたところですが、今回は、「英国のアフリカ統治がもたらしたもの」は他日を期すこととし、アフリカの中のガーナ(Ghana)をとりあげることにしました。
 ところで、国連事務総長は、現在、韓国出身の第8代の潘基文ですが、この潘基文(旧日本領)とペルー出身の第5代のデ・クエヤル(旧スペイン領)を除けば、旧植民地出身者は、ビルマ(ミャンマー)出身の第3代のウ・タント、エジプト出身の第6代のブトロス・ガリ、そしてガーナ出身の第7代のコフィー・アナン、といずれも旧英領出身者です(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%80%A3%E5%90%88%E4%BA%8B%E5%8B%99%E7%B7%8F%E9%95%B7
。3月14日アクセス)。
 他方、旧仏領出身者は皆無です。
 英国の植民地統治は、戦後世界のリーダー達を輩出した、と言えそうです。
 しかし、ミャンマーもエジプトもガーナも、独立後の歩みはお世辞にも高い得点はつけられません。
 ガーナについて、ニール・ファーガソンのコラムに拠りつつ、もう少し見てみましょう(注1)。
 (以下、全般的に
http://www.latimes.com/news/opinion/la-op-ferguson11mar11,0,1243249,print.column?coll=la-opinion-rightrail
(3月12日アクセス)による。)

 (注1)アナン(Kofi Annan。1938年??)は、ガーナのアサンテ(Asante)州知事兼ファンテ(Fante)族酋長の息子。ガーナの大学を出た後、米国のマカレスター(Macalester)大学で経済学の学士号をとり、ジュネーブの高等国際問題研究所に学んだ後、米MITで経営学の修士号を取得。1997年に国連の職員から初めて事務総長に就任し、2任期10年務めて2006年退任。(
http://www.aljazeera.com/cgi-bin/review/people_full_story.asp?service_id=8337
。3月13日アクセス)

2 戦後のガーナ

 昨年、米国はガーナに2,350万米ドルの食糧援助を与えました。
 そのガーナが今年3月から、独立50周年記念行事を始めました。総経費は2,000万米ドルです。
 果たして、独立50周年を、こんな巨額の経費を使って祝うべきか、疑問ですね。
 英国は、ガーナ・・当時は黄金海岸(Gold Coast)と呼ばれていた・・をアフリカの英領植民地の中で真っ先に独立させました。
 それは、ガーナが一番進んでいたからです。
 英国のガーナ統治は、教育や医療面では不十分であったものの、経済的政治的安定のための基盤であるところの、健全な通貨、法の支配、清廉な行政を実現していました。
 そして独立当時、ガーナの1人当たり所得は英国の39分の1に達していました。
 ところが、現在ではガーナの1人当たり所得は英国の92分の1になってしまっています。そして、国際機関や外国からの経済援助がガーナのGDPの16%、政府支出の73%を占めています。
 すべてをだいなしにしてしまったのが、ガーナ独立の父とも言うべきエンクルマ(Kwame Nkrumah。1909??72年)でした。
 エンクルマは、英植民地当局がガーナにつくった名門アチモタ(Achimota)中学(注2)を卒業し、ガーナのカトリックの修道院で更に学んだ後、米国のリンカーン大学で学士号、ペンシルバニア大学で修士号を取得した人物です。
 (以上、エンクルマについては、特に断っていない限り
http://en.wikipedia.org/wiki/Kwame_Nkrumah
(3月14日アクセス)による。)

 (注2)この学校の卒業生には、エンクルマのほか、後にガーナの元首となったローリングス(Jerry John Rawlings)(後述)及び同夫人や、ガンビアの初代元首のジャワラ(Alhaji Sir Dauda Jhawarra)、ジンバブエの悪名高い現在の大統領のムガベ(Robert Mugabe)及び同夫人がいる(
http://en.wikipedia.org/wiki/Achimota_School
。3月14日アクセス)。

 独立後、ガーナの最高権力者(最初は首相、後には大統領)となったエンクルマは、政府支出を約10倍、役人の数を約5倍にに膨張させ、役人に自分の政党の支持者達を採用しました。また、選挙は一回目以降は形骸化させてしまいます。
 共産党員であったエンクルマは、米CIAが彼を敵視しているというKGBの話を真に受け、KGBによって訓練されたスパイ網を、1,000名ものソ連の「顧問」に助けられながらガーナ国内に張り巡らします。
 1966年に、エンクルマがハノイ訪問中にクーデターが起こり、エンクルマは追放され、その後クーデターが何度も生起し、1981年にローリングス中佐が権力を掌握し、2001年に退任します。しかし、現在もなお、ローリングスがつくあった政党が引き続きガーナを統治しています。
 ガーナだけでなく、ボツワナを唯一の例外として、サハラ以南の旧英領植民地の状況は、大量の経済援助が注ぎ込まれているにもかかわらず、独立後ひどくなっています。
 その原因は、オックスフォード大学の経済学者コリヤー(Paul Collier)によれば、ダイヤモンドや石油といった天然資源に依存していることであったり、内陸国であることであったり、内乱であったりしますが、何と言っても一番大きいのは、ガバナンスの悪さです。
 チャドの例で言えば、農村の医療クリニックのための資金で、現場に行き着いた額は1%に過ぎず、残りは途中で腐敗した役人達によってネコババされた、という調査結果があります。

3 感想

 ファーガソンは、アフリカ諸国のひどい状況は、だから、英国による植民地統治のせいではないと言いたいわけです。
 私自身、旧英領のサハラ以南のアフリカ諸国が、中共やインド並の経済高度成長をしてしかるべきだとは全く思いませんが、ほぼ軒並み、独立当時より相対的に政治・経済状況が悪化しているというのは、どう考えても植民地統治のせいに違いないと思うのです。
 決定的なのは、ファーガソン自身が認めているように、教育への配慮がほとんどなされなかったことではないでしょうか。
 英領ガーナの植民地当局が、中等教育がろくに行われていなかった中で、アチモタのような超エリート校を一つつくったこと(アチモタ校に係るウィキペディア上掲)は、その卒業生に鼻持ちならぬエリート意識を植え付け、大衆蔑視、大衆操作の独裁者、及びそれを取り巻く特権階級への道を歩ましただけだ、という気がします。