太田述正コラム#13090(2022.10.31)
<工藤美知尋『海軍大将 井上成美』を読む(その9)>(2023.1.25公開)

 「・・・海軍省軍務局第一課長の井上成美に対する軍令部側の交渉者は、第一班第二課長の南雲忠一大佐だった。
 ある日のこと、南雲が・・・「貴様のような訳のわからない奴は殺してやる!」とすごんだ。
 井上も負けじと、「やるならやってみろよ。そんな脅かしでへこたれるようでは、職務が務まるもんか! おい、君に見せたいものがある」と言って、机の中から予て用意の遺書を取り出して、南雲の顔の前に叩きつけた。・・・

⇒南雲忠一は、単に誰かの命令で交渉に臨んでいたとは思いにくいのですが、ネット上では、南雲の世界観等を知る直接的な手掛かりが得られませんでした。
 唯一の収穫は、「風雅を尊ぶ性格もあり、・・・トラック島の第4艦隊司令・・・長官<当時、>・・・茶道をたしなみ、部下を集めてピアノの演奏を披露したりした。異色なのは母親の影響で、琴が弾けたことである。」
https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/2038/
くらいです。
 で、私の仮説は、「旧米沢藩領は盆地に所在し、海のない地域であったが、海軍に人材を輩出したことから”米沢の海軍”の異名があった」(注15)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%A3%AE%E6%B2%A2%E9%95%B7%E6%94%BF
ところ、南雲は、米沢の海軍の先輩である山下源太郎の艦隊派としての対米漸減邀撃作戦構想
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8B%E6%BA%90%E5%A4%AA%E9%83%8E 前掲
の心酔者であり続けた、というものです。(太田)

 (注15)旧米沢藩士の小森沢長政(1843~1917年)は、「米沢藩士、明治期の海軍法務官。初期海軍の法制度確立に努め、海軍省法務部長に至る。また郷里の後進・・・が海軍に進むことを願って関係者を説き、また自ら米沢で学生らを勧誘した。その結果、後に提督となる人材が海軍兵学校に入校したのである。小森沢は山下源太郎・・・が海兵に入校した際の保証人を務めるなど、海軍に進んだ後進たちの世話もしており、・・・米沢海軍の祖とされる人物である。・・・
 <旧米沢藩出身海軍軍人(少将以上):>大将:山下源太郎、黒井悌次郎、南雲忠一 中将:釜屋忠道、上泉徳弥、千坂智次郎、左近司政三、大湊直太郎、今村信次郎、平田昇、片桐英吉、下村正助、近藤英次郎、小林仁 少将:井内金太郎、近野信雄、山田勇助」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%A3%AE%E6%B2%A2%E9%95%B7%E6%94%BF 前掲 

 9月中旬には省部の案が確定し、・・・9月23日、大角海相が天皇に裁可を申し出たところ、・・・天皇は・・・結局、即日裁可されず、翌日になってようやく裁可された。・・・
 天皇は大角への下問において、「この改正案は一つ運用を誤れば、政府の所管である予算や人事に、軍令部が過度に介入する懸念がある。海軍大臣としてこれを回避する所信は如何。・・・」と述べられた。

⇒張作霖爆殺事件や満州事変によって、昭和天皇の陸軍に対する不信感が高まっていたであろうことから、海軍における省部関係を陸軍におけるものと同等にすることに疑義を抱いたのは分からないでもないのですが、同天皇と井上成美の論理が私には理解不能です。
 どうして、省部関係を陸海同等のものにすることが問題なのでしょうか。
 井上には無理としても、同天皇は、海軍の動きを押しとどめた上で、むしろ陸軍の方に海軍と同等にするよう促すことができたはずなのに・・。(太田)

 憤然と海軍省を去った井上への同情によるものか、伏見宮から「井上をよいポストにやってくれ」との口添えがあった。・・・
 そのため井上は、軍令部条例改定の強硬派「高橋三吉中将が元凶で、伏見宮様こそ誠に御迷惑なこと」とか、「高橋次長がお人のよい殿下をそそのかして、無理にやったのではないかと想像する」と言った考えを、戦後まで持ち続けることになった。

⇒これほど海軍部内の動きについてさえ掌握できていない井上の無能さは眼を蔽わしめるものがあります。(太田)

 この改定以後、海軍大臣の選任の際は、前任者が後任者を推挙し、伏見宮の同意を得る不文律が出来た。
 戦後、高木惣吉海軍少将は、「この専門家集団たる軍令部をチェックすべき海軍省の力が、制度上からも人事上からも弱体化させられてしまい、果ては軍令部の独走を許し、陸軍と同調して大戦に突入してしまった」と語った。」(117、119~120、122)

⇒高木もどうしようもありません。
 どうして、彼は、まさに、最初からそれを意図して海軍において省部の関係の改定が行われた可能性に全く気が付くことがなかったのでしょうか。(太田)

(続く)