太田述正コラム#1617(2007.1.14)
<日本の科学技術の源も江戸時代?(その1)>(2007.7.11公開)
1 始めに
 日本文明の江戸時代からの連続性に着目したコラムをいくつか書いてきましたが、科学技術についてはどうなのでしょうか。
 技術、科学の順番に考えてみましょう。
2 技術
 (1)始めに
 江戸時代の日本では、世界でもトップクラスの優れた「からくり人形」が製作されていました。これらを作り出した代表的な人物の一人が「からくり儀右衛門」こと田中久重でした。
 久重は1799年(寛永11年)に福岡・久留米の鼈甲細工師の家に生まれ、幼いころから類まれなる才能を発揮し、やがて「当代随一のからくり師」として全国にその名をとどろかせるようになりました。
 特に有名なのが茶運び人形(茶酌娘と称した)と文字書き人形です。文字書い人形は、1770年代にスイスでもジャケ・ドローが製作していました(オートマタと称した)が、日本でも同じようなからくりが時代をそれほど隔てずに作られていたわけです。
 久重は、からくりの創作のみならず、有名な万年時計をはじめ、「無尽灯」(空気圧で油を自動で吸い上げて灯りを10倍以上にする灯火機)や「雲竜水」(消火器)、「懐中燭台」といった実用的な器械を次々に世に送り出して行きました。そして明治維新の頃、佐賀藩の精錬方などに招聘され、蒸気船、汽車、大砲の雛形などを製作しました。1875年(明治8年)、東京の銀座に田中製作所を創業し、これが後に芝浦製作所となり、これが現在の東芝の礎となるのです。
 当時のからくり人形は、蘭学、医学、天文学、測量学など、さまざまな学問をベースにした総合的な技術の集大成であり、ロボット技術のルーツとなるものでした。現在の日本の世界有数の技術力の源が江戸時代にあることは間違いないでしょう。
 (以上、
http://digitallife.jp.msn.com/article/article.aspx/articleid=34451/genreid=111/
。1月11日アクセス)
 (2)遊び志向
 
 ただし、日本の和算が遊びに始まって遊びに終わった(コラム#1480)ほどではないとしても、日本の江戸時代の技術にも実用より遊びの要素が強かった(石川英輔『大江戸テクノロジー事情』講談社文庫1995年 191頁)ことは興味深いものがあります。
 江戸時代における武器の発達の停滞は、戦国時代の終焉とともに、文字通り武器が実用から遊びの対象になったことによります。
 戦国時代末期の日本には当時の世界のどの国よりも沢山の銃があった(332頁)というのに、徳川幕府は大名達が銃を作ったり持ったりすることを制限したばかりではなく、幕府自身が銃の技術革新をする努力をやめてしまいました(181頁)。その代わり江戸時代の日本は花火大国になりました(333頁)。
 また、刀は武器というより、武士の身分を示す装身具として完成していきました(190頁)。
 弓については、張りを強くするための材料の組み合わせ技術こそ時とともにかなり進歩しましたが、握りの部分に目盛りをつけたり、発射の時に矢を支持する部分を設けたりするといった、少ない練習量で命中率を上げるための改良は、全く行われませんでした。支那では春秋時代から使われた弩機(いしゆみ)のような、弦を引き金にかけて発射する弓・・狙いをつけやすく狙ったままで長時間持て、低い位置からでも発射できる・・も採用されることはありませんでした(190~191頁)。
 武士にとって重要な武具であった馬についても、交配によって優秀な馬を作る品種改良の努力はほとんどといっていいほど行われませんでした(224頁)し、二輪戦車(chariot)や兵員・物資の運送用に馬車が用いられることもなく(233頁)、欧州では9~10世紀に始まった、蹄鉄を使う習慣が日本に導入されることもありませんでした(222~223頁)。
 (3)エコロジー志向
 
 馬関連「技術」の停滞にはもう一つ理由がありました。
 江戸時代の人々のエコロジー志向です。
 当時の世界で最も人口過密な社会であった江戸時代の日本では、馬車のような効率的な運送手段ができれば、大勢の人足や馬方、駕籠かき、船乗り等が失業することから、寛政の改革の際、馬車の使用の提案があったにもかかわらず、老中の松平定信が反対したのです(232、334、238頁)。
 また、江戸時代の日本では、原料の砂鉄も還元剤の木炭もいずれも貴重品であり、そんな貴重品を消耗品である(馬の成長に応じて取り替え、またそもそも頻繁に取り替える必要がある)蹄鉄に用いる訳には行かなかったことでしょう(234頁)。
 ところで日本では、荒々しい雄馬を去勢して使いやすくする、という、日本以外の国では大昔から当たり前のように行われてきたことも行われることはありませんでした(222頁)。
 去勢はもちろんですが、馬車を曳かせることも蹄鉄をつけることも、馬にとっては迷惑千万な話です。
 江戸時代の日本人は、馬を含め、あらゆる家畜(犬・牛・鶏)や野生動物に対して優しく接していたのです(231、232頁)。
 おかげで、江戸時代に絶滅した動物は皆無であるといいます(239頁)。
(続く)