太田述正コラム#1998(2007.8.14)
<軍隊の訓練は人殺しのため?:消印所沢通信19>
 「こんばんは,『クローズアップ原生代』の時間です.さて,辺野古では業者側のダイバーと基地反対派のダイバーとが,互いに「人殺し!」と罵り合う事態になっています
http://obiekt.seesaa.net/article/48930018.html
が,基地反対派の反対理由の一つに,「人殺しの訓練をするための施設は,いかなる理由があろうと反対」 というものがあります.(例えば
http://atsukoba.seesaa.net/archives/20070503-1.html
>人殺しのための基地を作らせない). では,軍隊の訓練は人殺しのためのものなのでしょうか?今日はその点を検証してみたいと思います.それでは,ゲストをスタジオにお呼びしております.人殺しといえば,この方,ゴルゴ13さんです.ゴルゴさんは住所氏名年齢不詳.世界中の様々な人々から依頼を受けて,ライフルで狙撃して暗殺することをなりわいとしております.ゴルゴさん,今日はよろしく御願いします」
 「……」
 さてゴルゴさん,時間がありませんので単刀直入にうかがいますが,軍隊の訓練というのは,人殺しのためのものなのですか?」
 「……」
 「あのう?……」
 「……」
 「えー,大変無口な方のようですね(苦笑).軍隊の存在理由は,江畑謙介氏によれば,『軍事力(それは広くは軍隊自身を含め,兵士だけではなく国民の指揮や継戦能力,すなわちどれだけ戦闘を続けられるかの能力も含まれる)の最大にして最も根本的な役割は抑止力である』※ とのことですが,そうだとしますと,軍隊の訓練は抑止力のためであって,人殺しのためではない,ということにはなりませんか?」
 「……まあ,そうだな」
 「しかし,実際に戦闘になったら,やはり軍隊は戦うわけですよね?」
 「……」
 「だとしますと,やはり軍隊の訓練は人殺しの訓練という要素を含むということになるのでしょうか?」
 「……」
 そのとき原作者のさいとうたかをが,ゴルゴのあまりの無口さにとうとうしびれを切らし,自らスタジオに出てきて口を挟み始めた.
 「まあ,なんと言いますか,その場合でも,決して人を殺すこと自体が目的じゃないんです.ほら,警察だって銃を撃つ訓練はするけれども,決してそれは人を殺すためじゃないですよね? それはいざってぇときに,犯人を威嚇したり,犯人の抵抗をやめさせたりして,犯人逮捕を行うという目的のためのものですよね? 犯人が両手を上げて建物から出てきたってぇときに,犯人を撃つバカな警官はいない.軍隊もそれと同じことで, 目的のために敵を排除できればそれでいいんで,目的を達することができるなら,別に敵兵が何人死のうが死ぬまいが関係ないんです」
 さいとうの突然の乱入に戸惑いながらも,アナウンサーが, 「目的というのは?」 と聞くと,再びゴルゴを差し置いて原作者.「それは敵地を占領したり,兵站を妨害したり,偵察したり,都市を降伏させたり,色々でさあね.そしてその目的を妨害しにくる敵兵に対しては,それを『無力化』できればいいんでしてね.極端なことを言えば,敵を取り囲んで,弾丸を全部撃ち尽くさせてしまえば,そうすれば彼らはもはやこちらを攻撃することはできませんやね? このゴルゴにしたところで,みんなで取り囲んで彼の手に弾が渡らないようにし,ライフルがタマ切れになってしまえば,ただの格闘技の強いあんちゃんです.銃を持った人間にはなかなかかないませんから,あとは逃げるしかない.かくしてゴルゴを殺すことなく,ゴルゴから身を護るという目的を達成できますね?」
 調子に乗ったさいとうは,取り囲むかのようにゴルゴのまわりをグルグル回り始めた.  
 するととっさにゴルゴは 「俺の後ろに立つな」 と鋭く言って,椅子から回転するように降りて床に伏せざま,持っていた拳銃を一発発射.「ズキューーーーーン!」 という「ゴルゴ13」にはおなじみの擬音がとどろき,あおむけに倒れたさいとうのみけんには大きな穴が. これで超長期連載記録を伸ばしていた「ゴルゴ13」も連載終了かと思いきや,次の号にも何事もなかったかのように「ゴルゴ13」は載っていましたとさ.
 げに恐ろしきは,さいとうプロのオートメーション方式.
(終劇)
※1 『軍事力とは何か』(光文社,1994/12/20)
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<太田>
 消印所沢さん、コラム#1831(2007.6.23)以来久方ぶりのご登場ですな。歓迎します。
 おおむねおっしゃっておられることには同感ですが、江畑謙介氏が『軍事力・・の最大にして最も根本的な役割は抑止力である』と言っておられるらしいところ、そう所沢さんもお考えになっておられるとすれば、その点については不同意です。
 「軍事力」ならぬ「軍隊(armed forces」について、英語版のウィキペディアでは、「国家の軍隊は、・・その政府(governing body)の外交及び内政を推進する(further)ためのものである」としています(
http://en.wikipedia.org/wiki/Armed_forces
。8月13日アクセス)。
 ですから、外国等による自国または第三国に対する武力攻撃を抑止する、という江畑氏の定義は、軍隊の存在目的のうちの一つだけを取り出したものであって、軍隊の定義としては狭すぎて不適切です。
 江畑氏は、日本の自衛隊のことが念頭にあってこのような定義をされた可能性がありますが、そうだとしても依然不適切であり、私なら、「自衛隊は、米国に対する見せ金としての軍隊もどきとして設置されたものであり、その意図せざる結果として米国の抑止力の一端を担うことはある(コラム#30、58)ものの、もっぱら政治家や現役・OB官僚が金銭的利益を得るための手段となっている(コラム#1997)」と書くところです。
 補足1:防衛省が沖縄の普天間基地移設計画に伴い、移転先とされている辺野古の海で実施される事前調査に海上自衛隊の掃海母艦「ぶんご」を出動させたことに対 し、防衛庁は明確な法的根拠を示すことができないことを問題視する声がある(
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200705281645381
・8月14日アクセス)が、困った話だ。法的根拠がなければ動いてはいけない警察(
http://en.wikipedia.org/wiki/Police
。8月13日アクセス)とは異なり、本来軍隊は法的根拠なくして動けなければ存在意義はない(コラム#227)。自衛隊はやはり「見せ金としての軍隊もどき」に他ならないということだ。
 補足2:守屋次官は辺野古に関する政府案を堅持しているのに対し、沖縄での声を踏まえて政府案の修正を環境相兼沖縄・北方対策担当相や首相補佐官時代から小池防衛相は唱えており、この点でも二人は対立している、とも言われている(8月14日朝のTV朝日報道番組)。この二人、あるいは沖縄県、辺野古の地元、更には移転元の普天間の地元の動きにそれぞれいかなる利権がからんでいるのか、よくよく見極めなければなるまい。