太田述正コラム#2090(2007.9.28)
<銀河英雄伝説:消印所沢通信20>
 それにしても,世情というものはヒーローに対して,何か
聖人的なものを求める傾向があるようで.
 例えば朝青龍の問題も,突き詰めるとそういうことに
なるんじゃないですかね.
 「横綱の品格」とは何か?と問われたら,それを明解な
言葉で,具体例を挙げて,客観的に説明できる日本人なんて,
そう多くないと思うんですが(それどころか皆無かも),
でもそれを,外国人に求めちゃっていたり.
 日本人にも説明の難しいものを,外国人に「分かれ」と
いうのは無茶というもんです.
 しかもなんだか,ビジネスまで批判されている.
 旅行会社がどうとか,温泉ビジネスがどうとかまで,
言われている.
 引退した力士の再就職先が,相撲協会職員か,親方と
なるか,プロレスラーか,ちゃんこ屋か,警備員くらいと
いう,そちらのほうがちょっと悲しいと思うんですがね.
 金儲けが悪というのは,いったいどこから
来ているんでしょうかね?
 アレですかね,金儲けを軽蔑する儒学思想でもいまだに
影響しているんでしょうかね?
 そういえば,江戸時代は「士農工商」なんて言って,
「商」を最下層扱いしていましたね.
 また,田沼意次も吉良上野介も,賄賂というキーワードで
叩かれていますね,当時.
 実際には,どちらもそんなことはなかったらしくて,
歴史雑学本を読みますと,浅野内匠頭が吉良に斬りかかった
理由は,はっきりとは分かっていないようです.
 取調べに対し,浅野は「遺恨あり」としか答えず,どんな
遺恨なのかについては何一つ語っていません.
 また,浅野は癇癪持ちであり精神疾患も患っていたことから,
そちらのほうの原因を暗示している小説
(『四十七人の刺客』)もあります.
 同書によれば,賄賂云々は赤穂浪士が流した
プロパガンダだったとも.
 田沼の「腐敗」もやはりプロパガンダ説がありまして,
こちらは田沼を目の敵(かたき)にしていた松平定信一派が
流したものだとか.
 最近では逆に,田沼の重商政策や外交政策が評価される
傾向にあるようで.
 仮に金儲け罪悪観が江戸時代の武士の価値観からきていると
して,では,江戸時代の武士のご先祖様である,戦国時代の
武士はどうだったかと申しますと,これはもう「何でもアリ」だったようで.
 試しにそうした武士の1人に,話を聞いてみることに
しましょう.
「それでは,ヒーロー・インタビューです.
 今日は,配下の者が石田三成を捕えた田中吉政選手に
きていただきました.
 まずは東軍の勝利,おめでとうございます!」
「ありがとうございます」
「今回の戦いでは,先鋒を務めたり,三成を捕らえたりと,
大活躍でしたね」
「はい,武士の誇りのため,一所懸命がんばりました」
「(お前の親父,百姓だったじゃん.いきなり経歴詐称かよ)」
「何だって?」
「ところで,名目だけとは言え,豊臣秀頼お墨付きの軍勢に
対して,よく戦闘する気になれましたね?」
「……まあ,私の見るところ,これはしょせん豊臣家中の
派閥争いに過ぎませんから」
「ということは,秀次事件のようなものですか? あのときは,
大勢の家臣が連座したにも関わらず,田中選手は逆に
加増されていますよねえ?」
「……何が言いたい?」
「ところで田中選手,佐和山城攻めでも勇猛果敢でしたね!」
「はい,ありがとうございます!」
「城の搦め手からの突入,見事でした!」
「そうですね,あそこが弱点と思ったんで,思いきってやって
みたらジャスト・ミートしました」
「関ヶ原で大勢は決しているのに,あそこで力攻めしたことが
意外でしたが? 戦死者も余計に出たようですし」
「……まあ,任務第一でしたから」
「そうですよね! あそこには三成の親族がいた
わけですからね!」
「そう,その通りですよ!」
「秀次事件のときにも田中選手をかばってくれた,あの三成の
親族ですからね!」
「……おい」
「そもそも田中選手が百姓から大出世できたのも,三成から
田中選手が目をかけられていたおかげですし,その三成の
親族ですからね!」
「おい!」
「やっぱり,忠義とか義理とか人情とかより,戦国武将に
とってはなりふり構わない出世が一番ですよね?」
「……」
「あれ,どうしました? 肩なんか小刻みに震わせて?
 そんなに嬉しいですか?
 では田中選手,最後に一言!」
「てめえ,ブッ殺す!」
 ゲラゲラ笑いながらタイム・マシンで逃げる
インタビューアー.
 予備のタイム・マシンを奪って追いかける田中.
 とっさにインタビューアーが飛び出したところが松の廊下.
 逆上してメチャクチャに刀を振りまわした田中が,
吉良上野介の背中をスパッ!
 そしてそのまま,インタビューアーを追って,次の
時空間へと消えてしまいます.
 一方,何が何だか分からないまま,乱入してきた暴漢に
対し,刀を構えようとしたのは浅野匠頭守.
 けれども刀を抜いたときには,すでに田中達は消えており,
後ろを振りかえってその刀を見咎めた吉良は,浅野に
斬られたものと勘違いして
「殿中でござる!」
 こうして,何が何だか分からないまま,浅野は乱心者として
切腹をさせられ,松の廊下の事件の真相は迷宮入りと
なってしまいましたとさ.
 めでたし,めでたし(?)
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<太田>
 参考にされた文献等をつけていただくとありがたいですね。
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 コラム#2092(2007.9.28)「朝鮮戦争をめぐって(その2)」のさわりの部分をご紹介しておきます。
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 (3)ニューヨークタイムス2
 「ハルバースタム氏は、・・チャイナ・ロビーが及ぼした悪しき影響についても、歯に衣を着せぬ批判を行っている。彼らが蒋介石と国民党に無条件で支援を続けていたために、共産主義の支那と朝鮮における紛争に対して冷静な政策をとることが不可能になった、と。」
→そこまで言うなら、米国人の大部分がが蒋介石と国民党ロビーだけでなく、毛沢東と共産党ロビーでもあったため、支那における紛争に対して米国が冷静な政策をとることが不可能になった1930年代をどうしてくれる、と言いたくなります。
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 (4)ロサンゼルスタイムス
 「米国人数百万の頭の中に存在していた支那像は、米国と米国人が大好きな忠実で従順な農民で一杯、という幻想に満ちたものだった。
 
→そう。その裏返しが、米国と米国人を物とも思わぬ狡猾で好戦的なサムライで一杯、という幻想的な戦前の日本像だったことが問題なのです。
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 (5)スレート誌
 
 ・・<省略>・・>
→その通り。米国の指導者達は、ほとんど全員国際情勢が分からず、とりわけアジアのことなど、皆目分からないのであって、マッカーサーはフィリピンにいた期間が長く、その上日本に5年もいたのですから、当時の米国の指導者達の中ではまだマシな方だったのでです。
 何と言っても、マッカーサーは、(恐らく朝鮮戦争が起こったことで)先の大戦が日本の自衛戦争であったことに気付く程度の国際情勢リテラシーはあったからです。(後で再び論じる。)
 ・・
(続く)