太田述正コラム#1898(2007.8.8)
<原爆投下62年と米国>(2007.9.9公開)
1 始めに
 原爆投下62周年を迎えたわけですが、米国の主要メディアが原爆投下をどのように報じているのか、あるいは報じていないのかを検証してみようと思い立ちました。
 その結果、ニューヨークタイムス電子版やスレート誌の沈黙が気になりますが、ロサンゼルスタイムスの電子版が二回、CNNの電子版が一回、ワシントンポストの電子版が一回採り上げていることが分かりました。
2 ロサンゼルスタイムス電子版
 (1)ニュース報道
 6日付のロサンゼルスタイムス電子版は短い記事(
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-briefs6aug06,1,7779623.story?coll=la-headlines-world  
。8月7日アクセス)ですが、安倍首相の広島での慰霊祭出席を取り上げていました。
 記事の焦点は、久間前防衛大臣の「仕方がない」発言を同首相が謝罪した点です。
 この記事は、久間発言を、「原爆投下は戦争を早く終わらせた。おかげでソ連に日本の領土を奪われないで済んだ」というものだと紹介していますが、「原爆投下は戦争を早く終わらせることによって米兵多数の命を救った」という米国における社会通念(注)だって、日本では大臣が馘首されるほどの暴言であることを米国人に知らしめることを暗に意図している、と思いたいところです。
 (注)原爆投下は「百万人」の米兵の命を救ったという社会通念の虚構性を暴いた、東大教授(独文学)中澤英雄氏の「原爆百万人米兵救済神話の起源」萬晩報2007年07月08日参照。
 (2)当時の手紙の紹介
 6日付のロサンゼルスタイムス電子版のもう一つの記事(
http://www.latimes.com/news/opinion/la-oe-smollar6aug06,0,324571,print.story?coll=la-opinion-rightrail  
。8月7日アクセス)は、同紙の元記者が、1945年当時フィリピンに軍医として滞在していた父親が、広島に原爆が投下されたことを知って米国にいる妻(記者の母親)宛に出した手紙を紹介したものです。
 これで戦争が早く終わると喜んだ手紙を出した後、次第に人類の将来を心配したペシミスティックな内容に手紙は変わって行ったというのです。
 この記事は、原爆が投下された時点では米国人の間ではこのような声があったのに、それから52年経った現在、このような声が余り聞かれないことを問題視している、と私は受け止めました。
 いや、この記事は、もっと根本的な問題提起をしているように思います。
 というのは、この記事の中で、この軍医たる父親が、原爆投下を知る以前に出した手紙の内容・・米軍当局が2軒の売春宿の設立を命じた、一つは白人用でもう一つは有色人種(黒人?)用だった、設立目的は米兵の性病罹患防止だった、軍医は医療面を担当することになっており、部隊の司令官と憲兵士官と「マダム」に会えと言われた・・がわざわざ紹介されているからです。
 つまりこの記事の記者は、米下院の先般の慰安婦決議の偽善性を衝こうとしているのであって、米軍だって先の大戦の時に軍が関与して売春宿をつくったではないか、しかも米軍には日本軍には見られなかった人種差別があったではないか、それだけでも慰安婦決議はなされるべきではなかったし、そもそも、原爆を投下して日本の一般市民を大量虐殺したことへの真摯な謝罪なくして慰安婦問題ごときで日本を声高に非難するのは偽善この上ない、と言いたいのだと私は思うのです。
 
2 CNN電子版
 CNN電子版の記事(
http://www.cnn.com/2007/SHOWBIZ/TV/08/06/HBO.atomic.survivor.ap/index.html  
。8月7日アクセス)はAP電をキャリーしたものですが、日系人のオカザキ(Steve Okazaki)が撮ったTVドキュメンタリー「白い光/黒い雨:広島と長崎の破壊(White Light/Black Rain: The Destruction of Hiroshima and Nagasaki)の紹介です。
 
 この記事は、上記ドキュメンタリーに出てくる原爆投下直後の瓦礫の山と化した広島や長崎の風景やひどく醜い姿になった被爆者の写真や映像を米国で目にすることは これまでほとんどなかったとし、その理由はホロコーストと違ってこれは米国人がやったことゆえ米国人は見たくなかったからだ、と指摘します。
 そして、被爆者から米国人が目をそむけてきたのは、原爆が一瞬にして20万人の命を奪ったと思いたいのであって、後遺症に長く苦しんで亡くなった人や長く苦しみながら生きている人々がいるなどと思いたくないからでもある、と付け加えています。
 日本で被爆者を差別し、被爆者をして余り語らせないようにしてきたこともこれを助長した、というのです。
 その上で、このドキュメンタリーが米国のサンダンス映画祭で上映されたところ、知的には歓迎されたものの、情的には観客はゆさぶらずほとんど誰も涙を流さなかったという奇妙な反応だったことに触れています。
 慰安婦決議を推進したホンダ米下院議員のような日系人もいるけれど、オカザキのような日系人もいることをわれわれは忘れてはならないでしょう。
3 ワシントンポスト
 ワシントンポストの6日付電子版の論考(
http://newsweek.washingtonpost.com/onfaith/guestvoices/2007/08/the_soul_of_the_destroying_nat.html?hpid=opinionsbox1
。8月8日アクセス)は、原爆実験場のニューメキシコ州ロスアラモス(Los Alamos)の近くで育ったギャラハー(Nora Gallagher)が、自分が書いた原爆をテーマにした小説を紹介しつつ、原爆投下に対する彼女の心情を述べたものです。
 まず彼女は、原爆投下時点で広島の人口は40万人だったが、10万人が死亡し、1945年の終わりまでにはその数字が14万人になり、5年後には20万人になり、死亡率は54%に達し、死亡者の非軍人・軍人比率は実に6対1だったと指摘します。
 次いで、子供二人を失った被爆者の凄惨な話をします。
 そして、原爆開発に携わったうちの150名の科学者達がトルーマン大統領に対し日本に原爆を投下しないように嘆願書を提出したにもかかわらず、広島に原爆が投下されたと続けます。
 特に興味深いのは、彼女が、原爆投下後に感想を聞かれたガンジーの言葉を引用しているところです。
 ガンジーは、「日本人の魂を破壊する結果に当面はなったが、原爆を使った国の人々の魂に何が起こったかを見て取るにはまだ早すぎる」と語ったというのです。
 その上で彼女は、原爆投下が米国人の道徳感覚を腐食させたのではないか、原爆投下がグアンタナモやアブグレイブをもたらしたのではないか、と問いかけるのです。
4 終わりに
 原爆投下から目をそらす米国の大半の人々は、スターリンの行った大虐殺から目をそらすロシアの大半の人々(
http://www.taipeitimes.com/News/world/archives/2007/08/06/2003372929 
。8月7日アクセス)と好一対ですね。
 これらの人々に真実を直視させることもまた、日本の重要な使命の一つではないでしょうか。 
 そのことは、いわれなき汚辱まみれの戦前史から日本を解放することにもつながるのです。