太田述正コラム#2230(2007.12.12)
<皆さんとディスカッション(続x16)>
<ドイツゲーマー>
>・・とMixiで書いてから、「戦争も」という一言が入っているのに気がつきました。
>それなら確かに常識・通説を覆す新学説ですね。
そう,公共事業だけでなく「戦争も」恐慌からの回復に役立たなかったというのが驚きでした.要は,大恐慌の主因が貨幣・金融政策的なものであって,実物・財政政策による回復には限界があったということです.ただ,いま手元に本がなく,どこでそれを読んだのか定かではありません.とりあえず,ただで読めたものを挙げますが,この戦争無関係説は直接出て来ませんでした.…だんだん不安に…
http://www.federalreserve.gov/boarddocs/speeches/2004/200403022/default.htm
http://eh.net/encyclopedia/article/Steindl.GD.Recovery
http://www5.cao.go.jp/99/d/19990607zeroinfure/5.pdf
http://www.mof.go.jp/jouhou/soken/kenkyu/ron040a.pdf
<だっと>
 
            –腑に落ちない–
 はじめまして。「たかじん~」を見てからちょくちょく訪問しているものです。
 太田さんは9条を改正するのではなく、解釈を変えることによって集団的自衛権の行使を可能にすると述べていますが、殺せなくて死ぬこともできない自衛隊のままでNATO等に参加しても良いのでしょうか?先に9条を改正させなければこの問題が解決しないと思いますが。
 お忙しいでしょうからお答えいただかなくても結構です。ですがコラムナンバーだけでも教えてくれると嬉しいです。(私の検索能力がないためかサイト内検索ではわかりませんでした。)
<okano>
 太田さんは、憲法9条変更派と思いましたよ。
 核武装も、消極的推進派です。
 も一度、 <核武装と憲法改正に向けた日本の国家戦略> コラム、大変な量ですが読まれたらと思います。
 ちなみに、 私は憲法変更反対です。
 そのままで、自衛防衛はもちろん出来る、しなければいけないと思います。
<太田>
 コラム#21、30、58をぜひお読み下さい。
 分からない部分があったら、質問をお寄せ下さい。
 要するに、第二次世界大戦後は、米国や英国同様、日本も本格的侵攻を受ける可能性は無限に小さくなったということなのです。
 (もとより、核攻撃を受ける、という第二次世界大戦以前には考えられなかった形の「本格的侵攻」を米英日が受ける可能性が新たに生まれているわけですが、この話は議論が混乱するのでちょっと横に置いておいておきましょう。)
 日本が本格的侵攻を受けるようなことに万が一なれば、もちろん自衛隊は総力を挙げて戦い、敵を殺す一方で、自衛隊に戦死者も出るであろうことは疑いの余地がありません。
 しかし、繰り返しますが、そんな事態が起きることはまず考えられないのです。
 憲法第9条を改正しない、あるいは憲法第9条の現在の政府公定解釈を維持する、ということは、自衛隊に永久に働き場所を与えない、ということであり、言葉を変えれば、自衛隊は何分の一かに縮小しても良い、縮小すべきだ、ということです。
 恐らく、そうしたところで、米国が日米安保を破棄することはまずないでしょう。
 ですから、現在同様、日本自身が(核攻撃を含む)軍事的危険に晒されることはまずないでしょう。
 国民の皆さんが、このオプションを採用する決断を下すのであれば、それはそれでやむをえないと思います。
 しかし、私自身はこのオプションに与しません。
 日本は世界第二位の経済大国であり、日本の経済的繁栄は、世界の人々が資源を売ってくれ、日本がつくり出した財・サービスを世界の人々が買ってくれるからこそ維持されています。
 その日本が世界の平和と安定に応分の貢献することは当然ではないでしょうか。
 それは、せっかくこれだけの規模の熟練した自衛隊を活かす道でもあるのですよ。
 現在でもPKOへの参加等、自衛隊は国際貢献をやっている?
 イラクのサマワでの民生支援やインド洋での燃料の提供なんて自衛隊じゃなくてもできます。
 自衛隊は軍隊としての機能を発揮する形での国際貢献など全くと言ってよいほど行っていませんよ。
 その証拠に、派遣された自衛隊は「敵」を殺すことも戦死者を出すことも事実上禁じられています。いや、そんな必要が生じないような場所、場面にしか派遣されていないのです。
 私は、自衛隊に軍隊としての機能を発揮する形での国際貢献をさせるべきだと考えているのです。
 このオプションは、論理必然的に自衛隊員に「敵」を殺させ、自衛隊員に戦死者を出すことにつながるオプションなのです。
 このオプションを採用するためには、憲法第9条を改正するか同条の政府公定解釈を変更することによって集団的自衛権の行使を可能にする必要があります。
 前者は事実上不可能なので、私が推奨しているのは後者です。
 そのようにして初めて、日本はNATO等の本格的な双務的安全保障機構に入ることができます。
 賛否は別にして、私の論理はお分かりいただけましたか?
<一有料購読申し込み者>
 <私が有料読者になるのは、>「日本はアメリカの属国」という大田さんの発言に同感したから。
 しかし、日本がアメリカから独立する方法が見つかりません。小生は、独立戦争も辞さない覚悟が必要と考えますが、いかがでしょうか。
<太田>
 1950年に朝鮮戦争が始まった瞬間に米国は日本を「独立」させる決断を下しています(典拠は省略します)。
 独立戦争をする必要など全くありません。
 米国は爾来一貫して日本が「独立」することを希っているのですから・・。
 なお、日本が米国から「独立」するためにも、日本が集団的自衛権を行使できるようにする必要があります。
 日米安保を真の双務条約へと改訂することなく、日本が米国から「独立」することなど不可能だからです。
 現行の日米安保は、宗主国たる米国が日本を一方的に守るという保護条約であることをお忘れなく。
<てらチャン>
 太田党の話実現化ではないですが・・・ 。
 主義の多様化した今、党は必要なのでしょうか 。
 人間は生き抜くために群れを成しますが
 群れることで取引を行い 口利きをする構図ができてきます。
 僕は群れているだけで まず疑いの目を持ってその人をみてしまいます。
 上手に群れるべきか 群れない制度をつくるべきか 。
 どうでしょう。
<太田>
 戦前の1940年における体制翼賛会の成立は、自由民主主義世界の中で日本が先駆けとなって無党派時代を切り開いた画期的出来事であったと私は理解しています。
 この体制翼賛会は、いかなる意味でも政党ではありません。綱領・宣言の類を持っていなかった(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%94%BF%E7%BF%BC%E8%B3%9B%E4%BC%9A
。12月12日アクセス)からです。
 こんなことが可能であったのは、当時の日本において、世界の他の自由民主主義国では考えられないことに、既に階級間対立も宗教間対立も人種間対立も地域間対立も基本的に克服され、存在しなかったからです。
 戦後の55年体制も形を変えた体制翼賛会の継続であり、自民党と社会党の対峙は、実質的には体制翼賛会内の主流派と反主流派の対峙でしかなかったのです。
 どこが違うかと言えば、戦前の体制翼賛会は独立国における体制翼賛会であったのに、戦後のそれは米国の従属国(保護国)の体制翼賛会である点です。
 つまり、私は本来日本は政党の存立基盤がない国であると見ているのです。
 しかし、戦後の日本が米国の従属国(保護国)であることからすれば、日本は米国から「独立」すべきか「独立」すべきでないのか、という対立軸をめぐって政党的存在が二つ存立し、対峙しても不思議ではないのではないでしょうか。
 私は、この対立軸をめぐって政界大再編がなされることを願っています。
 (当然のことながら、このような対立軸において、旧時代の遺物である公明党が存続する余地は皆無です。)
 
<MS>
コラム#2184,2189<人種別知能指数比較(その1,2)>
に関連する記事を見つけました。
http://www.iht.com/articles/2007/12/09/opinion/ednisbett.php?page=1
W. Saletan の論文の論拠を否定する形で引用しているので、 よかったら参考にしてください。
<太田>
 ご教示ありがとうございます。
 時間があれば、読ませていただきたいと思います。
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太田述正コラム#2231(2007.12.12)
<近況報告(続x3)>
→非公開