太田述正コラム#2267(2007.12.30)
<皆さんとディスカッション(続x28)>
<新規名誉有料読者>
 アナキズムに関するご返答ありがとうございます。
 確かに現状を考えると自衛のための権力はいずれの地域にも必要だろうと思いますし、市場主義というのも、現在の価値観から否定することは難しいでしょう。
 しかし例えば国防のための兵器は核兵器以外持たない、というような選択をし得たとするなら、国防のための権力というのを(ほとんど)なくす選択も、可能になるのではないか、と思っています。
 スケールの違いこそあれ、アナーキーな状態で自発的に起こるであろう自警団程度の権力にしかならないはずだと私は考えるのです。
 太田様が
>どちらも近代以降のいかなる時代、場所においても実現不可能であるという点では同じだと思います。
と思っておられる理由はどのようなものでしょうか?
 私は、確かに現在までどの地域でも実現されていないが、それが「近代以降」に含まれる未来においても実現しない、とは思わないし、むしろ紆余曲折はあれど、人類は少しずつそちら側に向かっていくだろうと感じています。
 (人間が何かに不自由を感じ続ける限りにおいては・・。)
<太田>
 市場経済を否定するバクーニン流アナキズムでは、社会構成員の勤労意欲を維持することが困難です。
 だからこそバクーニン流アナキズムは、市場経済を否定する点では同じであるけれども、社会構成員の勤労意欲をかき立てるために内外に敵をでっちあげて危機感を煽ったり、物理的に社会構成員を強制勤労させたりする必要があることから、強大かつ独裁的な国家権力の樹立が不可欠だと判断したマルクス・レーニン主義との政治闘争にロシアにおいてあっけなく敗れたのです。
 また、国家権力を否定するプルードン流アナキズムでは、国際的国内的社会秩序を維持するすべがないのであって、これは文字通りのユートピア思想以外の何物でもありません。
 将来世界政府ができれば、国際的社会秩序を維持する必要はなくなるものの、国内的社会秩序を維持する必要は残るので、将来ともプルードン流アナキズムの実現可能性はないでしょう。
<新規名誉有料読者>
 太田様は江戸時代についてのコラムもいくつか書かれているようですが、私は最近E.S.モースの「日本その日その日」を読みました。
 その本でも感じるのですが、江戸時代(正確にはレポートされているのは明治初期ですが)というのは今よりもはるかにアナーキーな時代だったのではないでしょうか。
 もちろん江戸時代には明確な支配者階級と明確な被差別階級が存在し、男尊女卑思想も色濃く、すばらしい時代であったと手放しでほめることはできませんが、少なくとも町人生活に関しては、今よりもはるかに自由で今よりもアナーキーな(ヒエラルキーを意識することが少ない)時代だった、と感じます。
 とはいえ、江戸時代も近代以前であるのは確かです。たかだか130年前の日本にこうまで隔世の感があるのはすごく複雑な気持ちです。
 江戸時代がよりアナーキーであったというのは近代以前と近代以降ということでご理解ください。(前段の「人類はアナーキーに向かう」の信憑性を落としている気がしますが。。)
<太田>
 私は、「近代」という言葉を産業「革命」以後の社会という程度の意味で使っていますが、近代の枠をとっぱらって考えてみると、縄文時代、平安時代、昭和時代と並んで江戸時代は私の言う縄文モードの時代であり、これらはすべてあなたのおっしゃるような意味でアナーキーな時代だったのではないでしょうか。
 (日本型政治経済体制は、産業革命後の社会を江戸時代を念頭に置いて再編成したもの、という捉え方もできると思います。)
 これらの時代を貫くキーワードは、「平和と小さな権力」であると私は思っているのですがいかがでしょうか。
 (それ以外の時代は、弥生モードの時代であり、これらの時代を貫くキーワードは、「戦乱と大きな権力」であると私は思っているわけです。)
<yoshu>
 太田さんのコラムは、多岐に渡ってるのでいつも、興味深く読んでます。核武装と原爆投下のコラム読みました。目から鱗が落ちて、もの凄い衝撃受けてます。とは言え、今のところ、日本は非核非武装でいるべきだの気持ちは変わりませんが。
<太田>
 日米安保的なものを前提にしないのであれば、核武装だけというオプションも、非核非武装というオプションもどちらもとりえません。
 前者は、非国家からのテロリスト的攻撃には無力ですし、核保有国家からのテロリスト的攻撃を抑止することも困難だからです。(誰もテロリスト的攻撃に対し、日本が核戦争を甘受して核報復をするとは思わないでしょう。)
 後者については、とりえない理由をご説明する必要もありますまい。
<大阪視聴者>
><友人TK>
>太田君のTVでの発言で恩給を復活すべしという主張は皆様どう思いますか?
 視聴者として意見を申し上げます。民間企業に勤務されている方からしてみれば、なぜ公務員だけが、と考えるでしょうね。年齢をかさね能力が低下した人は、近年民間ではリストラされることもあるからです。
 ただ、役所を退職した後の生活のため天下り先をつくり税金を無駄ずかいされるのなら、私は恩給は必要悪かな、と考えております。
>役所に希望するまで留まる仕組みに変更するのではだめですかね?(たとえば上級公務員経験者の国家戦略策定支援インテリジェンスグループ。)
 役所に民間企業では使い物にならない方が溜まっていくのは、職場環境としてよくないと思います。若い人の仕事への士気をそぐことになります。
 職場から離し、一箇所に集めて仕事をさせないで給与だけを払うというのであればいいかもしれません。実態は恩給と同じになってしまいますが。
 「国家戦略策定支援インテリジェンスグループ」は現役の優秀な人にやっていただいた方がよいのでは。失業対策としては荷が重過ぎるかなあ、と思いました。キャリア官僚は退職する時期でも、優秀な人が多いでしょうけど。
>頭脳を活かすのであれば官庁に留まっていただくのが最良と思いますが。多分給与は下がるのでしょうがモチベーションは維持できるのではないかと推測します。
 民間企業で定年があるのは、高齢になると能力が下がるという前提ですね。キャリア官僚の早期退職はどうなのでしょうか。
 外務省のラスプーチンこと佐藤優さんが、「海外の情報機関では、組織をリストラされそうになった職員がめちゃくちゃな行動をするのを防ぐため、偽装の仕事でもその分野で十分生活できる技量をつけさせる。」と書いておられます。キャリア官僚は役所を辞めても生活できる資格(弁護士など)を必ず取るか前もって取得していることを義務にすればどうでしょうか。
<太田>
>キャリア官僚は役所を辞めても生活できる資格(弁護士など)を必ず取るか前もって取得していることを義務にすればどうでしょうか。
 私は、特定の役所に勤めておれば資格を与える現行制度(税理士、公証人等)にも反対なのですが、これら食いっぱぐれのない資格を事前にとることをキャリアに求めることにも反対です。
 いたずらにキャリアのソースを狭めかねないからです。
 「必要悪」の恩給制度の復活が単純明快でよろしいのではありませんか。
 なお、私は役所におけるキャリア制度は基本的に存続させるべきだと考えています。