太田述正コラム#1893(2007.8.4)
<3人の従兄弟達と第一次世界大戦>(2008.2.4公開)
1 始めに
 第一次世界大戦の時の英国王ジョージ5世(George 5。1865~1936年)とドイツ皇帝(Kaiser)ウィルヘルム2世(Wilhelm 2。1859~1941年)、及びロシア皇帝(Czar=Tsar)ニコライ2世(Nicholas 2。1868~1918年)は従兄弟同士であり、ジョージ5世とウィルヘルム2世、及びニコライ2世の妻は英国の女王ビクトリア(Victoria。1819~1901年)の孫でした(注1)。
 (注1)ニコライは、皇太子時代の大津事件の際、随行していた従兄弟のゲオルグ殿下(Prince Georg)が杖で防戦してくれたおかげで、九死に一生を得る。このゲオルグの妻もビクトリア女王の孫であり、ゲオルグの孫はエリザベス英女王の夫のフィリップ殿下だ。(ニコライ・ゲオルグ・フィリップ等に関する英語版ウィキペディアによる。)
 この3人の従兄弟は、併せて全世界の半分以上を支配していました。
 19世紀後半から20世紀初頭にかけて、欧州は平和であり、繁栄のただ中にあり、未来への希望に満ちていました。
 ところが、そこに第一次世界大戦が起こり、欧州のみならず世界は大動乱の時代へと突入します。
 その原因の一つが、この従兄弟同士の3人それぞれの人となり及び相互の関係にあることを示唆しているのが、英BBCのドキュメンタリー制作者のクレイ(Catrine Clay)が上梓した’King, Kaiser, Tsar: Three Royal Cousins Who Led the World to War’です。
 彼女の言うところに耳を傾けることにしましょう。
 (ここまでを含め、特に断っていない限り
http://books.guardian.co.uk/review/story/0,,2114839,00.html
(7月1日アクセス)、
http://www.csmonitor.com/2007/0724/p13s01-bogn.htm  
(7月24日アクセス)、
http://www.publishersweekly.com/article/ca6429150.html
http://www.decaturdaily.com/decaturdaily/books/070715/book1.shtml
http://www.libraryjournal.com/article/CA6441443.html
http://www.januarymagazine.com/features/bestof06nonfiction.html
(いずれも8月4日アクセス)による。なお、ジョージ・ウィルヘルム・ニコラスに関する英語版ウィキペディアも参照した。)
2 3人の従兄弟の運命
 ジョージ、ウィルヘルム、ニコライは互いに遊び、誕生日を祝い、後には結婚式に出席し合う仲であり、それぞれジョージー(Georgie)、ウィリー(Willy)、ニッキー(Nicky)と呼び合っていた。
 
 この3人のうち、一番問題があったのはウィルヘルムだった。
 彼は英語が達者だった(注2)が、左腕が短く生まれたことへの劣等感と自己嫌悪が彼につきまとった。その劣等感と自己嫌悪は、弱々しいニコライに会う度に、その背中をこづき回す程度では癒されなかった。
 (注2)ウィルヘルムの(ビクトリア女王の娘であった)母親は、ウィルヘルムを含む子供達の名前は英語読み・・ウィルヘルムの場合はウィリアム・・しかしなかったという。
 ウィルヘルムは、嫉妬深く残酷で精神不安定な誇大妄想狂の仕事中毒人間として人となる。
 現在なら、精神科医のお世話になるべきところ、なんの治療も受けないまま、こんなウィルヘルムが勝手気ままにドイツ帝国を統治したのだからたまったものではない。
 
 他方ジョージとニコライは、デンマーク王室の姉妹をそれぞれの母とする従兄弟同士であって大の仲良しであり、彼女達から、1864年から1865年にかけてデンマークがプロイセンにシュレスヴィッヒ/ホルスタイン(Schleswig-Holstein)を奪われたことをさんざん聞かされて育ったため、二人ともドイツ嫌いになる。
 その上人となりが上述の通りだったのだから、ドイツのウィルヘルムが、ジョージとニコライから疎まれたのは当たり前であり、ウィルヘルムもまたこんな2人に敵意を抱くようになる。
 ウィルヘルムが第一次世界大戦を事実上引き起こし、その結果退位に追い込まれたのはこのような伏線があったのだ。
 ニコライにも問題があった。
 ニコライも英語が達者であった点ではウィルヘルムと同じだ。
 その彼は、好人物だけれど弱い性格で優柔不断であり他人に影響されやすいロマンティストで、同時にすこぶるつきに専制的な人物だった。
 ニコライが大津事件の意趣返しも兼ねて日露戦争を引きおこして敗れたというのに、更に第一次世界大戦に参戦して苦戦し、ロシア革命を引き起こしてしまい、その挙げ句家族全員とともにボルシェビキに銃殺されてしまったのもまた、ある意味で必然的な成り行きだった
 ジョージはドイツ語訛りの英語を話した(注3)。
 (注3)ジョージの曾祖父母までのご先祖様14人中11人がドイツないしデンマーク生まれであることを想起して欲しい。
    第一次世界大戦が始まると、首相のロイド・ジョージ(Lloyd George)の勧告に従い、ジョージは姓をドイツ姓のサックス・コーブルグ・ゴータ(Saxe-Coburg-Gotha)からウィンザー(Windsor)に改める。これを聞いたウィルヘルムは、シェークスピアの「ウィンザーの 陽気な女房たち」ならぬ「サックス・コーブルグ・ゴータの陽気な女房たち」を観劇したいものだ、と茶化したという。
 彼は、しっかりした頼りがいのある、身持ちの良い人物だったが、国際戦略には疎かった。
 だからジョージは、第一次世界大戦を回避するために何もせず、結局英国はドイツに宣戦布告することになる。開戦の日、彼は日記に「結構暑く風雨あり。」と記しただけだ。 しかし、ジョージは自分自身と英王室を守ることにかけては抜け目がなく、仲良しだったニコライが英国亡命を求めた時、ニコライが英国人に好かれていないことからこれを拒否し、ニコライを見殺しにした。
3 終わりに
 第一次世界大戦の勃発には、オーストリアとフランスも関与していますが、英国、ドイツ、ロシアの責任が大きいことは論を待ちません。
 となると、従兄弟同士のジョージ・ウィルヘルム・ニコライのそれぞれの人となり及び相互の関係こそが、第一次世界大戦、そしてスターリン主義、ファシズム、更には第二次世界大戦等、大戦争と大殺戮という惨禍を20世紀の全人類にもたらした、とも言えそうですね。
 それにしても、ジョージ・ウィルヘルム・ニコライは血統的に互いに良く似ている・・ジョージとニコライはそっくりさんと言ってもよい・・はずであるところ、もともと微妙な違いがあり、その違いがそれぞれが統治した国の形の影響を受けて増幅され、単純化すれば、プラグマティックなジョージに対するに専制的なウィルヘルムとニコライへと分かれ、ジョージは平穏無事に生涯を過ごすことができたけれど、ウィルヘルムは亡命生活を送り、ニコライは銃殺されたことに感慨を覚えざるをえません。