太田述正コラム#2483(2008.4.13)
<皆さんとディスカッション(続x111)>
<Ueyama>
≫→ソフトの不正コピーの正確な実態はもちろん分からないけど、国によって大きな差があることは分かっていますし、マイクロソフトなど不正コピー防止(2台までしか無償使用を認めない)に躍起になってますね。罰則を強化することを含め、不正コピー防止努力には「実質的な効果」があるからこそでしょ。(太田)≪
 たとえばベトナムなんかではここ数年で数%しかさがっていませんが(
http://www.murc.jp/report/research/2007/0771.pdf
ベトナム2003年92%、2006年88%。中国2003年92%、2006年82%)、私にはマイクロソフトが躍起になっているめんどくさい不正コピー防止策の効果ではなく、その国の経済的な事情でしかないように思いますね。
 (中国がこの時期それ以上に下がっているのもそれの傍証のような気がしますね。妄想ですけど。)
 もちろん彼らの不正コピー防止策を回避できなくなればコピーが不可能になるわけですが、今はそんなものは簡単に回避できますから、上記の88%からいっても、不正コピー防止策の効果はないといっても過言ではないはずです。
≫→そんな例があったら挙げて下さい。プロの仕事ってそんな生やさしいものじゃありませんよ。(太田)≪
 先に断っておきますが、私は別に生やさしいから兼業で大丈夫だ、といってるわけではありません。
 さて、どのような例を提示すればいいのかちょっとわかりませんが、兼業については、(残念ながら私はクラシックを聴かないのでクラシックミュージシャンの例は出せません)
・N’dambiは見ようによっては兼業ですが、大変素晴らしい作品を書いていますし、
・兼業農家のお米も(おいしいものは)大変おいしいし、
・私のような(ある意味では)兼業開発者の開発物も悪くはない
と思いますよ。そうそう、Phat Phunktionは少なくとも私が聴いたときには完全な兼業でしたが(今は知らないという意味です)、大変素晴らしかったです。
この例だけでも、私にはどうしても「それだけの儲けで飯が食えている」人の作品しか価値がないとは思えません。だいたい、ほとんどのミュージシャンは、売れるまではほとんど兼業でしょう。
その他に関係がありそうなのは、
 Radioheadは購入者が価格を決められる(払いたくなければ払わなくていい)という方式で楽曲をリリースしましたし、Nine Inch Nailsは無料か5ドルかという方式で楽曲をリリースしましたが、充分な利益を得たようですよ。
 つまり、無料でアクセスできる情報にわざわざお金を払った人がたくさんいるということです。
 公式に無料でリリースされていても充分に利益が出るのに、不公式に無料で複製されていたら充分な利益が出ず彼らは死んでしまうのでしょうか?
≫→カネの威力を甘く見てはいけません。言いたいことが言えなくなっても、仕事らしい仕事ができなくなっても、ヤミ年金をもらう・・天下りをする・・ことを選択する官僚ばかりじゃないですか。(太田)≪
 私は別に金儲けをするなといっているわけではありません。
 金のために他人の自由を侵害するのはいかがなものか、といっているのです。
≫→だから、「自由」だって排他性はないでしょう。(太田)≪
 これも意味がわかりませんでした。すいません。この場合の自由というのは何のことをおっしゃっているのですか? 仮に人を殺す自由があるとすると、殺される人の自由が侵害されますから、(言いようによっては)排他性があるということになると思いますが、自由なんて排他性があるとかないとかって話じゃない気がしますけど。私は、「人は他人の自由を侵害しない限り何をしたって自由である」というような場合の「自由」を「自由」といっているつもりでした(自由の範囲を定義しているわけではなく、語義の確認です)。
 太田さんのおっしゃっている自由という言葉は、また別の意味でしょうか。(排他性のない?)
 一応、私が問題は排他性だ、といったのを説明しておきますと、例えば今私が使っているマグカップは、私が使っている間は私しか使えないですから排他性があるといえますが(勝手に誰かが使うと私が使う自由が侵害されます)、楽曲データやソフトウェアデータ、あるいは発明などは、誰かがそれをコピーして使っていても、その創造者が使えなくなるということはなく、排他性がありません。
<太田>
 ここでは、狭義の知的財産権、という意味での無体財産権(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E4%BD%93%E8%B2%A1%E7%94%A3%E6%A8%A9
。4月13日アクセス(以下同じ))の話をしているわけです。
 以下の引用をご覧下さい。
 「・・・特許法等の保護はなぜ必要なのであろうか。特許法等の保護する対象である知的財産権は無体物でありその占有は不可能であり、経済学的に公共財的性質を帯びている。また発明の開発等には莫大な利益がかかる。よって法がなんら保護を与えなければ、みながフリーライダーになろうとして発明の開発を行おうとはしない。そうなればわが国の産業は発達しなくなり、結果社会的便益は下がってしまう。よって法的保護が必要なのである。ではどのくらいの期間保護するのが適切なのであろうか問題となる。法は発明の保護と利用の調和を図ることにより、産業の発達を図ることを目標としている。発明の保護が強すぎると独占期間が長くなり結果社会的便益は低くなる。また保護が弱すぎると発明開発のインセンティブがなくなり新たな発明は生まれてこない。・・・」
http://www.isfj.net/ronbun/report2005/ronbun/keizai/sangyo/Asou_san.pdf
 「・・・ソフトウェア開発には、膨大な開発コストがかかる。・・・仕事の効率化や新サービスをつくり出すなど、利益をもたらす財産である。・・・ソフトウェア・特にプログラムは、簡単に、不正使用と無断コピーができてしまう。・・・ソフトウェアは、上記のような性質をもっているので、これを防ぐための法的保護が必要である。ソフトウェアを法的に保護する権利としては、「著作権」「特許権」などがある。」
http://roots55.tripod.com/9syou.htm
 以上が、日本のみならず世界のコンセンサス、と言って悪ければ世界の多数意見であり、無体財産権に関する条約や各国の国内法はこの多数意見に従ってつくられています。
 もとより、所有権等の「有体」財産権同様、権利者はその権利を放棄することは自由です。
 しかし、権利を放棄しない権利者の権利を認めないことは、現行法上は権利の侵害であり、権利者の自由の侵害でもあります。
 もちろん、あなたのような少数意見が日本の多数意見になれば、実行可能性はともかくとして、日本が上記条約や国内法を破棄することは理論的には可能です。
 私があなたとのやりとりで用いた国の独立、すなわち自由の回復とは、かかることを行いうること、すなわち国としてのガバナンスの確立を意味しています。
 このような「自由」を追求すべきだ、という点ではあなたと私の意見は一致しているはずです。
 そして、このような意味における「自由」を私は無体財産的な公共財(当然排他性はない)であると申し上げたつもりです。
 以上は議論の余地のない話だと思いますよ。
 蛇足ながら、私が関心があるのは、高い市場価値のある無体財産権を生み出す能力に地域やグループによって著しい差があるという事実です。
 それこそが、世界各地域の有形無形の豊かさの違いをもたらしている一番大きな要因のように思います。
 また、かかる無体財産権を余り生み出していないグループとしては、女性がありますが、かつての貴族もそうだ、という面白い言及をしている論考(
http://www.miracosta.cc.ca.us/home/gfloren/nochlin.htm
。4月12日アクセス)を見つけました。
 社会的しがらみがありすぎると創造力が萎えてしまう、ということなのかもしれません。
 
<読者SK>
 太田さま、コラム#2481での回答有り難うございます。
≫コラム#1160(2006.4.3)「朝鮮日報の「親」日戦略」で既に私は同じことを指摘しています。恐らくそれ以前から朝鮮日報はこの戦略を社を挙げて推進してきているはずです。思うに、これは韓国の大衆レベルにおける意識が、ホンネでは親日へと志向しつつある・・コラムもあるはずですが、すぐ#が出ません・・ことを嗅ぎ取ってのことでしょう。 一昨日付の朝鮮日報のコラム<中略>もすごいですよ。≪
 コラム#1160、#1132を読ませて頂きました。政権が変わる前からこの動きがあったのですね。
 「モーニング・コリア」というメールマガジンを読んでいるのですが、この動きは分かりませんでした。世界日報が出しているので世界日報の記事に準じた事しか書いていなかったのでしょう。
 ご紹介頂いた朝鮮日報のコラム「代案教科書に学界が反応しないワケ」を読みました。
 驚きです。以前だったら、大反響で非難轟々だと思われます。
 以下のコラムを見つけました。
http://www.nikkei.co.jp/neteye5/suzuoki/20080410n5b4a000_10.html
作者の鈴置高史氏が誰と意見交換しているか不明ですが、コラムに結論にあります
 ・・・結局、韓国にとって「一方が半島で決定的な力を持てないよう、日中が牽制しあう」のが望ましい。しかし、その度が過ぎて激しい対立に至っても困る」ということなのだろう・・・
 これが朝鮮日報の目的でしょうか? という事は韓国も日本の「自立」容認へ?
<太田>
 鈴置氏の書くものには「プロの視点」らしからぬクオリティの低いものがあるので、お読みにならない方が安全ですよ。
 私自身、コラム#941と1514で彼の論説を引用したこともあったのですが、コラム#1835で指摘したような彼の余りにひどい誤報ぶりに呆れかえり、その後再度(コラム#1884で)皆さんに注意を喚起したことがあります。
<コバ>
                            
 産経新聞がワシントンで開催されている桜祭りを取り上げ(
http://sankei.jp.msn.com/world/america/080412/amr0804121823016-n1.htm
)、日本の持つソフトパワーや日米の結びつきの強固さを訴えているようです。
 しかし、米国の属国たる日本のメディアが何を書こうが、日本にはソフトパワーはないし(難民や移民問題、女性差別問題とか・・。自分にも偏見や差別意識があるのは残念なことです)、日米関係は絶望的に奈落の底にあるわけです(米国の大事である軍事をめぐって日本が面従腹背してればそりゃ米国に徹底的に軽蔑され、無視される・・)。
 産経(右、現状擁護?)が書いているような記事が実際に説得力を持つためには、革命家太田さんの言うように「現状」を抜本的に変革させる革命を起こさないととても無理であるように思えます。
 しかし、日本が自立を選択すれば、記事にあるように米国と強固な信頼関係を得ることができるのでしょうか。コラムナンバーは失念しましたが、日本と米国が互いに文化を理解しあう?のは難しいといった内容の太田さんのコラムがあった気がするのですが・・。
 漂流する日本なんて置いてきぼりで、主張をはっきりする韓国や中国のほうが独立国として米国の信頼を勝ち得ているのやも。
<太田>
 産経は、(その電子版が)一次資料的なものを載せるように努めているのが貴重ですし、中共や台湾に関する記事・論説には読むべきものがあるのですが、それ以外はおおむね信頼性が低いので、読み飛ばされることをお奨めします。
 これは、日経が、鈴置氏の論説以外の論説・記事がおおむね信頼性が高いのと対照的です。
 ついでに言うと、朝日は、論説を除いては、つまり記事はおおむね信頼性が高いと思います。ただし、このところ朝日の社説のクオリティが高まっているので、今後同紙の論説一般の信頼性が高くなることが期待できるかも・・。
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太田述正コラム#2484(2008.4.13)
<チベット騒擾(続x5)>
→非公開