太田述正コラム#2501(2008.4.22)
<皆さんとディスカッション(続x119)>
<雅>
コラム#2439の西国立身論に対してご丁寧なご返事ありがとうございます。
 中村正直氏が翻訳された「自由之理」を読み忘れていることに気がつきました。早速Amazonに注文して読んでアングロサクソン文化について楽しく学んでみたいと思います。
 人と言葉を交わすことで色々自分に見えてないことが見えるものだと思い、特に近年のインターネットの発展に伴い英語を使えると言うことの情報量の差を実感した今日この頃です。
<太田>
 どうもどうも。
 大昔、原書で’On Liberty’に挑戦して挫折した経験があります。
 ご健闘を祈ります。
<雅>
 近くの美術館を見た感想。
 先日近くの、九州国立美術館を見にいった所、一目でこれには相当な建造費がかかったのだなと思いました。まあ、美術館の建築費を<含めて>採算を求めるのは無理なことは解りますが、
 「おみやげ屋の工夫のなさ・中の過剰な従業員の「ムダ」の多さ・無駄に豪華な設備(便座とか?)」が一目して解りました。つまり、全くその施設の中で自ら採算をとろうとか現状維持費を算出しようとかいう「精神」がないとしか見受けられませんでした。
せめてこの美術館だけでも「優秀な採算を!」という心意気が館長にはないのですかね、、いやもしかしたらその館長自体に「独立的権限もなく、独自で経営を行える指揮命令系統・任期がないのかも!」と思っちゃいました。ってそんな環境が公共設備(学校含)無いのがいまの現実なのですか?
<ちょいまる>
 <コラム#2499を読み、>納得いたしました。
 二つ目の質問にも、端的かつ的確に答えて頂きどうもありがとうございます。何度も読み返し、しっかりと消化させてもらいます。
 話変わって、また太田氏ご自身について聞きたいです。
 桜咲く今、大学に入学し、喜んでいる学生と、残念ながら涙を呑んで、浪人している学生が居ることかと思います。
 太田氏は、かなりの記憶力を持ち、言語感覚も鋭いようにお見受けします。受験競争が今よりも相当厳しい時代に、ストレートで東大法学部に入っておられますし。
 そこで、大学受験生時代、模試の判定含め、どんな状況であり、好きな科目は何で、苦手なものはあったのか?等、教えて欲しいです。東大入試には、古文単語、英単語、社会用語を含め、かなりの量の暗記が必要かと思いますが、殆ど苦もなく覚え合格されましたか? 
 某有名政治家のよく耳にしていた自慢話、「小学校入学前に常用漢字はすべて書けた!!」 に匹敵するエピソード楽しみにしております。
<太田>
 若かりし頃のアイドルを聞かれてお答えした手前、逃げるわけにもいきませんね。
 最近じゃやっていないようですが、帰国後編入学した永田町小学校では6年生の時知能テストを実施してました。その時偏差値が83だったことを覚えています。
 ずっと後になって、偏差値の意味が分かるようになった頃、日本で私の同学年が約200万人いるところ、83がいかほどのものなのか計算し、何だこの程度のことか、と思った記憶があります。
 私が苦労したのは、理数系がてんでダメだったことです。
 麹町中学に入ってから、文系の国語、英語、社会、それに音楽は、全く勉強しなくてもやたら試験の成績が良かった反面、数学の成績は、常に5段階相対評価の3でした。
 そんな私が、中2の時、ピアノを止めて勉強をする時間的余裕ができたためか総合成績が急に伸び、3学期目のすべての学年共通テスト(業者テスト1回と期末テスト)で学年1位になったのです。
 数学3の生徒が学年1位になるというのは、恐らく当時、麹町中学だけでなく、どの中学でもおよそ考えられないことではなかったでしょうか。
 3年生になってからは、みんなが受験勉強を始めたこともあって成績は10何位まで下がってしまいましたが・・。
 当時は高校入試は全教科(国語、英語、社会、数学、理科、技術家庭、音楽、美術、保健体育の9科目)入試であり、科目による出来不出来に伴うリスクが皆無であったことから、成績に照らして合格は間違いないと思い、日比谷高校1校しか受験しませんでした。
 ところで、先日たまたまウィキペディアで「麹町中学」を引いたら、同校卒の「著名人」21人の中に、私の名前と沢雄二、山本コウタロー(厚太郎)の名前が載っていました。
 1947年創立の中学で「著名人」(定義は何だ?)21人というのが多いかどうかはさておき、沢も山本も私の同期生です。同期でシェア7分の1ってのは多いですよね。
 沢とは同級生で親友でした。
 日比谷高校でも一緒だった山本とは確か高校時代に同級だったのだけれど、無口でおとなしい感じでしたね。山本が「走れコウタロー」で芸能人としてブレイクした時には、あの山本が、と仰天しました。
 それにしても、参議院議員選挙に山本がまず挑戦して落選し、次いで私が落選し、最後に沢が当選したってのは面白いと思いません?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E4%BB%A3%E7%94%B0%E5%8C%BA%E7%AB%8B%E9%BA%B9%E7%94%BA%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%A2%E9%9B%84%E4%BA%8C
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E3%82%B3%E3%82%A6%E3%82%BF%E3%83%AD%E3%83%BC
 さて、日比谷高校では、理系がダメなのがこたえましたね。
 これまた2年生の時に学年13位(文系志望者中では3位だったか?)になったのが最高であり、ひどい時は80番台くらいまで成績が落ちたんじゃなかったかと思います。
 3年になっても私は学習塾になんか行ってませんでしたが、3年の夏休み明けに受けた全国模試で、志望先だった東大文1合格可能性なし、という通知を受けた時はショックでした。
 急遽自宅のすぐそばの寺子屋的学習塾の門をたたき、先生に数学だけ個人教授を受けることにし、しゃかりきに受験勉強を始めました。
 ただし、勉強は不得意な数学を始めとする理科系の受験科目が中心であり、英語はほとんどやった記憶がありません。国語は古文と漢文だけをやりました。
 私は、はっきり言って記憶力は悪い方だと思います。
 ですが、いわゆる暗記物については、日本史と世界史は大好きでしたから、全く苦労しませんでした。しかし生物は必死になって暗記をしたはずです。
 ちなみに、当時の受験科目は、文系理系とも、国語、英語、数学、社会2科目、理科2科目、計7科目でした。(試験内容は異なる。)
 その後も全国模試を受けたのではないかと思うのですが、受けたことも、従ってその折の成績も記憶にありません。
 今度も受験は東大の文1だけに絞りました。
 日比谷からは、東大へは現役浪人合わせて、150人を超える合格者数を出すような時代であったとはいえ、高校入試の時とは違って、確実に合格する自信など全くありませんでした。落ちたら浪人して再挑戦する気だったのです。
 恐れていたとおり、数学では碌に点がとれなかったのですが、幸運にもそれでも合格できました。
 これで理系とはおさらばできると思ったのもつかの間、教養課程で数学が必修であるほか選択必修の理系科目があることを知った時はガックリ来ましたね。
 教養課程1年の終わりに、専門課程への進学振り分けの目安として、入学区分ごとに成績がつけられるのですが、その時の私の成績は、平均点79点であり、文1の約730名(当時の文1は1学年630名だったが、これに留年生約100名が加わったもの)中、58~85位相当でした。
 文1の学生は、だまっていても法学部に進学できるので、教養課程の時には遊びほうける奴の方が多く、余り意味のない数字ですが・・。
 1学年の人数が400名(?)くらいだった日比谷高校当時の悪い時の私の成績と変わらないのを見て、日比谷ってレベル高いな、と妙な感心をしたものです。
 2年の時に東大紛争が勃発するのですが、この話は省略するとして、法学部に進学してみて初めて分かって頭を抱えたのは、法学は基本的に理系だということでした。
 実社会を知らない私にとって、とりわけ抽象的で数学のように映った、私法系の民法、商法、民事訴訟法はからっきしだめでしたね。公法系の憲法や刑法や刑事訴訟法は何とかついていけましたが・・。
 必修科目である民法の債権法など、どの先生の授業だったか忘れちゃいましたが、不可を喰らってしまい、最終学期に来栖先生の授業をとって今度はようやく不可を免れ、かろうじて卒業できたという有様でした。
 ですから私は、最初は私法コースを選んだのですが、途中で公法コース(商法、民事訴訟法をとらなくてよい!)に這々の体で尻尾を巻いて逃げ出しました。政治コースにまで逃げこまなかったのは、国家公務員試験(法律職)を受けると決めてかかっていたからです。
 結局、法学部時代の成績は優良可不可の4段階表示で優が約半分といったところであり、公務員試験の成績は、法律職の合格者230名余のうち68位でした。
 防衛庁に入ってから留学することになり、卒業後3年目に受験したTOEFL(英語を母国語としない人々を対象とした英語能力検定試験)では610点で上から7%、GRE(米非プロフェッショナルスクール大学院入学希望者能力検定試験。英語と数学)では英語は下から22%、ATGSB(米ビジネススクール留学希望者能力検定試験(その後GMTへと改称)。英語と数学)では英語は下から30%でした。
 その後留学してみて、経営学も、必修科目たる会計学、経済学、統計学、意志決定理論、コンピューター・プログラミング、マーケティング、組織論のうち、最後の二つを除いてすべてが理系・・ただしマーケティングも方法論の部分は理系・・であることを発見し、スタンフォードビジネススクールで大苦戦することになります。
 これに比べ、オマケで在籍した政治学科では楽勝でした。
 この前のミニ・オフ会で誰かが言っていたように、学部でも大学院でも、私は自分に向いていない勉強ばかりもっぱらする、というめずらしい経験をしたことになります。
 だからといってこれらの経験がムダだったとは思いませんが・・。
 あーあ、洗いざらい情報開示しちゃった。
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太田述正コラム#2502(2008.4.22)
<史書と小説>
→非公開