太田述正コラム#2465(2008.4.3)
<先の大戦正戦論から脱する米国?(続)(その2)>(2008.5.6公開)
 ワシントンポストの2度目の書評は、1度目の書評のスタンスを維持しつつ、日本に対して一層厳しいものとなりました。
 そのさわりは次のようなものです。
 ベーカーは、第二次世界大戦が米英にとって良い戦争だったという既成観念によくまあ挑戦しようとしたものだ。
 ナチスはホロコーストを行ったし、日本は何度も虐殺を行い、占領地域の女性を強制的に性奴隷にしたというのに・・。
 もちろん米英が行った戦争の中には対イラク戦のような悪い戦争だってある。私がなぜ対イラク戦が悪い戦争だと思うかと言うと、サダム・フセインを失脚させるという戦争目的そのものは正しかったけれど、その結果もたらされたものが酷すぎるからだ。
 しかし、だからといってベーカーのように、直接的自衛以外のあらゆる戦争を排斥すべきではなかろう。
 第一次世界大戦後の欧州では大戦の惨禍の記憶から、あらゆる戦争を排斥する考えが主流となった。
 その結果ヒットラーへの対応が微温的なものとなってしまったし、1933年の英オックスフォード・ユニオンでの若者達のディベートでは、「われわれはいかなる状況下においても国王と英国のために戦うべきではないと決した」という宣言が発せられる始末だった。
 しかし、結局のところ、彼ら英国の若者達は第二次世界大戦を戦った。戦わざるをえなかったのだ。
 J.S.ミルが、「戦争は醜悪だ。しかし、最も醜悪だというわけではない。戦争よりはるかに醜悪なものは、人生において戦うに値するものなど存在しないという考え方だ」と記していることを思い出して欲しい。
 第二次世界大戦は、米英にとって様々な意味で戦うに値する戦争だった。とりわけ、殺人を止めるためには殺人者達を止める以外に方法がなかったという意味で・・。
 この書評子は、ナチスによるホロコーストと日本軍による南京事件等を同視するとともに慰安婦を性奴隷ととらえた上で、これら独日による蛮行を止めさせるために米英は第二次世界大戦を戦ったと総括しているわけであり、「既成観念」の中にひたすら閉じこもり、ベーカーの問題提起を耳を塞いでやり過ごそうとしていると言うべきでしょう。
 (5)ロサンゼルスタイムス(2度目)
 そこへ昨日付でロサンゼルスタイムスまでもが2度目の書評(
http://www.latimes.com/features/books/la-et-history2apr02,0,1875662,print.story
。4月3日アクセス)を掲載したのです。
 更に大変なことになってきました。
 これは、米国の知識人の間で議論が沸騰している証拠です。
 (にもかかわらず、しかも日本にも密接に関わるというのに、これまでのところ、日本のメディアはこの米国で現在進行中のこの大事件を全く取り上げていませんね。)
 これで、ロサンゼルスタイムスのスタンスもはっきりしました。
 ロサンゼルスタイムスは、ワシントンポストとは違って米英にとって第二次世界大戦もまた必ずしも良い戦争であったとは言い切れないものの、ドイツに対しては良い戦争であった可能性が高い、というスタンスなのです。
 その含意は、米英にとって第二次世界大戦は、日本に対しては悪い戦争であった可能性が高い、ということです。
 というのは、この書評のさわりは次のとおりだからです。
 米国人は、歴史に対するセンス(sennsibility)はお粗末(limited)だし、為せば成るという観念に取り憑かれているので、ベーカーのような既成観念に挑戦する本の意義は大きい。
 歴史は様々な見方ができることや、人間が達成できることには限界があること、を自覚することができるかもしれないからだ。
 このような自覚があれば、十分考えないまま対イラク戦を始めてしまう、といったことを回避することができたのはなかろうか。
 ベーカーの本は第二次世界大戦に関する米英の既成観念に挑戦したが、このたび、第一次世界大戦に関する米英の既成観念に挑戦した本が出た。
 リプケス(Jeff Lipkes)による’Rehearsals: The German Army in Belgium, August 1914’だ。
 リプケスは、第一次世界大戦は不必要な集団的愚行だった上、復讐心によって戦後処理がドイツに厳しいものになりすぎたためにナチスの台頭を招いた、という米英の既成観念に挑戦している。
 彼は、大戦が始まった1914年にドイツ軍がベルギーで、一般国際法や条約に違反して、6,000人近くの子供達を含む一般住民を1週間かけて虐殺した証拠を提示している。関係者はこの事実を否定したりそんな規模ではなかったと言い張ってきたというのだ。そして彼は、この虐殺は、20数年後にナチスが冒すことになる大虐殺の予行演習になったとし、ドイツにはこのような虐殺を冒すまがまがしい文化的性向ないし継続性があることを示唆している。
 彼は更に、この虐殺がこれまでほとんど取り上げられてこなかったのは、上述の第一次世界大戦に対する既成観念が邪魔をしたからだ、と指摘している。
 その上で、リプケスは、米英にとって第一次世界大戦は戦う意義のある戦争だった、と結論づけているのだ。
 実は、実際の書評の記述の順序を逆にしてご紹介したのですが、書評子が、ドイツの虐殺性向がホロコーストをもたらしたのであり、だからこそ、米英にとって第二次世界大戦もまたドイツに関しては戦う意義のあった、つまりは良い戦争だったと言いたいことは明らかですよね。
 それと同時にこの書評子が、ベーカーの本の意義を称えつつ、ナチスドイツについては強い留保をつけたにもかかわらず、日本については言及しなかった、留保をつけなかったということは、第二次世界大戦に係る日本についての米英の既成観念は見直す必要があることを示唆していることも、慧眼なる読者にはお分かりいただけることでしょう。
(続く)