太田述正コラム#13364(2023.3.16)
<小山俊樹『五・一五事件–海軍青年将校たちの「昭和維新」』を読む(その8)>(2023.6.11公開)

 「この頃、西田税と交流を深めていた藤井斉も、アジアの盟主としてふさわしい国家に日本を改造するとの理念を、強く受け止めた。
 藤井は天剣党への加盟を約した、唯一の海軍軍人となった。
 翌1928年3月、藤井は海軍有志を中心とした「王師会」の結成を宣言した。
 天剣党の海軍版というべき結社である。
 「腐敗の極」に達した世相の風潮と、政党政治の醜悪さに痛憤し、国家の改革のために「覚醒」した海軍軍人の組織を作ると宣言にはある。・・・
 一、日本海軍一切の弊風を打破し、将士を覚醒奮起せしめて、世界最強の王師たらしむべし。
 一、天命を奉じて明治維新を完成し、大乗日本を建設スベシ。
 一、建国の精神に則りて大邦日本帝国を建設し、もって道義により世界を統一すべし。
 (「王師会宣言」)
 設立当初の同志9名は、やがて20名ばかりに増えた。<(注22)>

 (注22)綱領では以下の内容が定められている。
 国家の目的 天皇は天命により授けられた神聖国家の実を挙げる。
 軍人の使命 国権を伸張し大陸経営を断行。有色民族を解放し、日本皇帝を奉戴する世界連邦国家建設の完成を目指す。
 国家の現状 日本精神の退廃と欧米物質文明への心酔により様々な弊害がもたらされたとして現状を分析。
 海軍の現状 武人の気魄に欠け軍隊としての強さが失われつつあるとし、また政治に関わらずとの伝統に隠れ責任逃れをしている。
 組織の必要 海軍軍人の覚醒のため、同志の一致団結が必要である。」
https://www.weblio.jp/wkpja/content/%E7%8E%8B%E5%B8%AB%E4%BC%9A_%E7%8E%8B%E5%B8%AB%E4%BC%9A%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81
 「計画上は会長、会長補佐、中央委員、地方委員、艦隊委員、特別委員を定めることになっていたが、実際には組織的な活動は見られなかった。古賀清志は「竜頭蛇尾に終わった」と証言している。・・・
 主な会員 藤井斉(海兵53期) 三上卓(海兵54期) 古賀清志(海兵56期) 塚野道雄(海兵47期) 黒岩勇(海兵54期) 山岸宏(海兵56期) 林正義(海兵56期) 村山格之(海兵57期) 伊東亀城(海兵57期) 大庭春雄(海兵57期)
 上記の10名のうち藤井と林は結成時のメンバーである。藤井を除く9名が五・一五事件に連座し有罪となった。他に事件関係者として13名の王師会会員がいる。
 五・一五事件同調者 岡村徳長(海兵45期) 小園安名(海兵51期) 和田鉄次郎(海兵51期) 源田實(海兵52期) 朝田肆六(海兵54期) 土肥一夫(海兵54期) 浅水鉄男(海兵56期) 板谷茂(海兵57期)など」
https://www.wikiwand.com/ja/%E7%8E%8B%E5%B8%AB%E4%BC%9A

⇒王師とは、「天子の軍」ないし「帝王の師範」という意味があります
https://kotobank.jp/word/%E7%8E%8B%E5%B8%AB-448925
が、「宣言」と「綱領」を読めば、それらが、秀吉流日蓮主義(島津斉彬コンセンサス)を要約したものであることは明らかでしょう。
 これは、1923年に出版された、北一輝の『日本改造法案大綱』(前出)・・それが、1931年までに、杉山元によって杉山構想として「案」がとれたものになる、と見る・・の前提たる思想を紹介したものである、とも言っていいのではないでしょうか。(太田)

 兵学校在学中の古賀清志(56期)・村山格之<(注23)>(57期)などが会員となった。・・・

 (注23)「村山海軍少尉(村山格之)<は>昭和7年2月3日駆逐艦薄に乗り組んで上海に出征し、同年4月16日上海斉<(ママ)>に停泊中の軍艦出雲で海軍大尉田崎元武からブローニング拳銃一挺、弾丸50発を入手し、当時通信艇として上海ー佐世保間を往復していた駆逐艦楡の乗組員大庭春雄少尉に頼んで佐世保に持ち帰らしめ、同月29日に自らこれを古賀清志に手渡<した>。・・・
 <また、五・一五事件当日、犬養首相襲撃が行なわれた後、>玄関から外庭に出たが、そこに平山八十松巡査が木刀で立ち向かおうとしたため、黒岩と村山が一発ずつ平山巡査を銃撃して負傷させ、官邸裏門から立ち去った。」(※)

 「ただ王師会の宣言には、・・・北の『大綱』への言及はない。
 西田と藤井の交友は続いていたが、北や陸軍将校の革命論には、軍事クーデターによる権力奪取の傾向がみられた。
 ただそれは、陸軍の兵力をもって可能な方法である。
 海軍に身を置く藤井は、おそらくは意識的に、北と異なる独自の方法論を模索したのであろう。・・・」(47~48)

⇒そういうことではなく、杉山らが、憲兵隊や海軍当局が放置するであろうギリギリのライン内に王師会の宣言や綱領をとどめるように藤井に助言し、藤井がそれに従った、というのが私の見方です。(太田)

(続く)