太田述正コラム#2500(2008.4.21)
<先の大戦正戦論から脱する米国?(続々)(その2)>(2008.5.26公開)
5 感想
 米国人のローゼンバウムもトーマスも、そしてイギリス人のヘースティングスも、ことごとくハセガワの本の存在を見て見ぬふりをしていることからくるイライラを、バードがまとめて断罪してくれたようなものであり、溜飲が下がりました。
 ハセガワの本やバードの共著の(オッペンハイマーについての)本等をめぐって、日本の論壇ではいかなる議論が出ているのでしょうか、それとも出てないのでしょうか。日本の論壇を全くフォローしていない私には分かりません。
 それにしても私には、日本の原水爆禁止運動団体は何をしているのだという思いを禁じ得ません。
 広島や長崎の市長だって、彼らから何も聞こえてきませんし、広島の場合は平和記念資料館があるというのに、そのサイト(
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/
)を見ても、このような米国での論争の類など全く関心の埒外にあるように見受けられます。
 広島市も、その平和記念資料館も核の廃絶を訴えているわけですが、核が現実に用いられたのは広島と長崎においてだけであり、この原爆投下が正当であった、意味があったという米国の公定史観を紹介、批判するとともに、この公定史観が誤っていると指摘する説の紹介に努めることは、核廃絶運動にとって極めて意義が大きいことを考えると、首をひねらざるをえません。
 それにしても、対日戦だけではなく、原爆投下に関しても、米国において、先の大戦正戦論から脱する兆候がみられることは慶賀の至りです。
6 付け足し
 イギリス人ヘースティングスの日本に対する底意地の悪い物の言い様は、私が何度も指摘しているところの、日本によって大英帝国を瓦解させられた憾み(例えばコラム#805)・・イギリスのまともなエリート達は克服済み・・の産物であると考えればいいでしょう。
 ここでは付け足し的に、原爆投下問題そのものから離れ、彼の主張を紹介するとともに、私のコメントを付したいと思います。
 ヘースティングスは要旨次のように記しています。
 この戦いは人種戦争的様相を帯びていた(注2)。
 (注2)ダワー(John Dower)が’War without Mercy: Race and Power in the Pacific War’(1986年。邦訳あり)で詳述している。(太田)
 英軍のスリム(Sir William Slim)将軍は、日本の兵士は「史上最も恐るべき戦闘昆虫だ」と述べた。また、硫黄島の戦いからハワイに戻った米海兵隊員の中には、日系米人達の前でのパレードの際、日本人の頭蓋骨を振りながら「これが杭に乗っかったお前らの叔父さんだぞ」と呼ばわった者達がいた。
 しかし、こんなことより、日本側が英米側に施した蛮行の方がはるかにひどい(前出)。
 しかも、日本は自分達の兵士の扱いだってひどかった。
 日本海軍は、米海軍とは違って、不時着したり撃墜された航空機の乗員の捜索・救難を行わなかった。そのため、何百人という熟練した操縦士達を失うことになった。
 また、日本の軍国主義者達は、古の武士道の規範を死の病的カルトへとねじ曲げた。
 日本人は降伏するより死を願うべきものとされ、戦争が進行するにつれ、米側もこのことに順応して行った。
 日本の捕虜達が自分達を救出した米艦艇でサボタージュ活動を試みることを米側が周知すると、米艦艇は海中の日本兵を救出しなくなり、時々「諜報サンプル」用に拾い上げるだけになった。
 日本側においては、降伏することは恥だと考えられていたがゆえに、降伏した米兵は不名誉を犯したとみなされ、基本的な人間としての尊厳を放棄したものとみなされた。
 (以上、ニューヨークタイムス前掲による。)
 しかし、英米側が日本側に対して行った蛮行の方がはるかにひどいと言うべきでしょう。
 いわゆる南京事件は、降伏しなかった国民党軍の国際法違反が引き金となり、それに日本軍兵士達の個人的規律違反が加わって引き起こされたものであり、日本軍の「制度的」蛮行の例証にはなりません。(いずれにせよ、支那派遣日本軍の規律が弛緩していたことは厳しく咎められなければなりません。)(コラム#253、254、256~259)
 シンガポールの支那系壮年男子住民の大量殺害は、過剰なゲリラないし諜報工作予防措置ではあったけれど、国際法違反であったかどうかは微妙なところではないでしょうか。(いずれきちんと論じたいと思います。)
 英米兵捕虜に労働させたこと自体は国際法違反ではありませんが、彼らの死亡率が監督した日本兵や同様の労働に従事した日本人よりはるかに高かったのは、日本兵並みの食事しか与えられず、しかも彼らが亜熱帯の環境下において日本人より脆弱であったことによる部分もあるとはいえ、国際法違反と言わざるをえません。(コラム#805、806) 
 他方、いわゆるフィリピンにおけるバターンの死の行進は、米兵の捕虜が、劣悪であった日本兵と同等の処遇を受けた結果生じたものであり、国際法違反であるとは言えません。(コラム#830、1433)
 (いずれにせよ、ここでも、日本が兵士の命を、給養面でも作戦においても大事にしなかったことは厳しく咎められなければなりません。)
 大事なことは、これらは戦後ことごとく英米側によって国際法違反と断じられ、BC級戦犯が数多く処刑されたのに対し、英米側が犯した同等の行為(コラム#1433)は、戦時中に日本側によって処断されたもの以外は、放任されたまま現在に至っているという事実です。
 これに対し、米国による日本の都市に対する戦略爆撃と原爆投下は、もっぱら文民の大量殺害を意図した「制度的」(組織的計画的)な行為であり、明白な国際法違反です。特に原爆投下は、化学兵器使用を禁じた国際法違反にも該当すると言うべきでしょう。
 (戦略爆撃そのものについては、コラム#520、521、523、日本に対する戦略爆撃の違法性については、コラム#213、258、423、805、806等参照。) 
 これらの蛮行の責任者達すら、放任されたまま現在に至っていることはご存じのとおりです。
(完)