太田述正コラム#2531(2008.5.6)
<オバマ大頭領誕生へ?(続x8)(その1)>(2008.6.11公開)
1 始めに
 今回は、ちょっと趣を変え、米国の原罪の根深さとこれを克服する必要性に焦点をあてることにしました。
2 1967年まで存在した恐るべき黒人差別法制
 (1)ラビング夫妻の悲劇
 1960年代までの米国がどんな唾棄すべき社会であったかをお教えしましょう。
 1958年、23歳の白人の大工のリチャード・ラビングと17歳の黒人の愛人で妊娠したミルドレッドは、2人が住んでいたバージニア州カロライン郡から車で90マイル離れたワシントン市に行き、そこで結婚しました。
 カロラインに戻り、同居生活を始めていた2人の家を郡保安官が午前2時に訪れ、二人をバージニア州の人種間通婚禁止法(Anti-miscegenation law。同州の法律の名称はRacial Integrity Act。)違反の廉で逮捕・勾留し、同州地区裁判所の裁判官は、一年間の刑、ただし、同州を25年間離れることを条件に執行猶予を言い渡したのです。判決文にいわく、「全能の神は白人、黒人、黄色人、マレー人、そして赤色人を創造したもうた。そして、それぞれを異なった大陸に配置された。よって、神ご自身がそう思し召された場合を除き、かかる<人種間の>結婚は根拠がない。神が人種を分離されたことは、神が人種が混淆することを意図しておられなかったことを示している。」と。
 そこで、ラビング夫妻は1959年にワシントン市に引っ越しをしました。
 しかし、都会生活が合わなかった夫妻は、5年後に故郷に戻りました。
 そして、ただちに再び逮捕・勾留されてしまいました。
 彼らは、こんなことは1964年に成立した市民権諸法に反するのではないか、と時の司法長官、ロバート・ケネディに手紙を書いたところ、米市民的自由連合から国選弁護人が派遣され、裁判が提起されました。
 この裁判は最高裁まで行き、1967年6月12日、バージニア州のこの法律は、白人のからむ人種間結婚だけを禁ずる白人至上主義に基づくものであり、違憲であると、全裁判官が一致して、1883年の判決を変更したのです。
 (2)まとめ
 米国が発足した時の全13州が人種間通婚禁止法を持っていました。
 先の大戦が終わった時点でも、なお全米で30州が人種間通婚禁止法を持っていました。
 この判決が下された時点においてすら、依然バージニア州を含め、16州が人種間通婚禁止法を維持していたのですが、この判決を受け、そのすべてが撤廃されました(注1)。
 (注1)人種間通婚禁止法の中には、結婚だけでなく、同棲することや性的関係を持つことすら禁止するものがあった。人種間通婚禁止法を施行したのは、米国以外に、ナチスドイツ(1935~45年)と南アフリカ(1949~85年)がある。言うまでもなく、米国の施行期間が飛び抜けて長い。
 現在は、全米で430万組もの人種間夫婦が存在しており、時代は確実に変わりました。
 ところで皆さんは、これは黒人だけの話だと思っておられませんか。
 しかし、バージニア州の裁判官は、「黒人、黄色人、マレー人、そして赤色人」すべてが白人との結婚を禁じられていると判示したことにご注意下さい。
 そして、これはバージニア州だけではありませんでした。
 州によって違いはあるものの、ほぼすべてで、黒人とともに、少なくともアジア人(Asians。黄色人種とマレー人)との結婚が禁じられていたのです。
 もちろん、アジア人、就中黄色人種の中に日本人は入ります。
 (以上、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/05/05/AR2008050502439_pf.html
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/05/05/AR2008050502669_pf.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Anti-miscegenation_laws
(いずれも5月6日アクセス)による。)
 戦前、米国で日本人がいかに法的に人種差別の対象とされていたか、以前(コラム#254、1110)で記したところです。
 戦中の日系米人の強制収容は、その論理的帰結だったのです。
 そして戦後も、引き続き日本人は上記のように法的に人種差別の対象にされていた、ということです。
3 オバマに対して続く陰湿な攻撃
 (1)ファラカン・ライト・オバマ攻撃
 ヒッチェンスのような戦闘的無神論者にしてリベラルの権化のような人物が、ファラカンをこきおろした上で、ライトがファラカンに敬意を表し、そのライトを師とするオバマがファラカンに師(minister)をつけて語ったと批判した(
http://www.slate.com/id/2190589/  
。5月6日アクセス)には心底がっかりしました。
 これほどまでに、リベラル連中からもこきおろされるファラカンとはどんな人物だったのでしょうか。
 米イスラム教徒団体、Nation of Islam (NOI)の事実上の主宰者である、黒人のファラカン(Louis Farrakhan。1933年~)が、米国のユダヤ人団体から「黒いヒットラー」呼ばわりをされるようになったきっかけは、ジャクソン(Jesse Jackson)師が民主党の大統領予備選に出馬した1984年に、オフレコでニューヨークはユダヤ都市(Hymietown)だと言ったのが公開されて問題になった時に、ファラカンが、ジャクソンに何かあったらタダじゃ置かないめいた発言をしたことです。
 ファラカンが、その後、「ヒットラーがユダヤ人に対して行った悪業は誉められたものではないが、そんなことは誰でも知っている。しかし彼はドイツを無から立ち直らせた。」と述べたことにより、ファラカンは反ユダヤの人種主義者だ、という汚名が確立してしまったのです。
 しかし、この種の発言など、どうってことないじゃないですか。
 私には、ファラカンを非難する連中の方がよっぽど人種主義者(黒人差別主義者)に見えます。
 面白いのは、ファラカンは若かりし頃、名バイオリニストであったことです。
 事情があってバイオリンを何十年も封印してきたファラカンは、1993年、メンデルスゾーン(ユダヤ人!)のイ短調バイオリン協奏曲をコンサートで弾いて、ニューヨークタイムスの絶賛を浴びました。
 また、今年2月には、オバマ候補について「全世界の希望の星であり、米国は変化しより良くなるだろう」と演説しました。
 オバマ自身は、大慌てで、ファラカンを(師という尊称をつけつつ)批判し、その支持などいらないと言明しましたが・・。
 (以上、
http://en.wikipedia.org/wiki/Louis_Farrakhan
(5月6日アクセス)による。)
(続く)